「いつでも受け入れます」の真意
複数のチームが共通のプロジェクトに関わるために、代表者が寄り集まってミーティングをする機会が週に1度ある。
チームそれぞれに独特のカラーがあって、それぞれに独特のルールが存在する。それをルールと言っていいのか疑問に思うような、ビジネスらしからぬ決定プロセスを辿るものもある。
そういったルールが公には明確でないためにチームそれぞれの考え方の違いで誤解が生じて、やり取りがスムーズにいかなくなることがある。
実際、昨年度はそれで嫌な思いをした。今思えば、批判的な思考に陥っていたのは、相手を尊重しきれていなかったからだと思う。昨年の失敗を省みて、誰かが正しいとかそう言うことではなく、どのチームも尊重されるべき仕組みや考え方があって、チーム外の人間が評価していいものではない、ということを肝に銘じてきたはずだった。
ところが、今日の会議でまた同じことが起こりかけ、危うく衝突が起こりそうになった。
AがBの言葉を間に受けて、協力し合える事がどの範囲でのことなのか、できないことは何であるのかの確認を怠り、見切り発車をしてしまったのだった。その上、Cが、AとBの間のみで取り交わされた協定をCにも適用されると考え、協力要請したのだった。
これ、Bが「いつでも受け入れます」をこれまでの会議で連発していたために起きた誤解であった。どこまで協力できるのか、何ができないのかを明確にすることなく、「いつでも受け入れる気持ちでいます」のリップサービスをしていたのだなと、今なら分かる。
リップサービスはあくまでリップサービスで、実際に「受け入れる」ことを近い未来として想定して話していたわけではなかったのだった。
これは、誰が悪いというのではなく、同じ言語を話しているつもりでも、チームによって文化が違ったというだけのことであった。
複数のチームが連携して1つのプロジェクトを進行させようとするなら、まずは各チームが持つ言語や文化を理解して共通の基準を設けるしか方法はないのだということ。
なまじ日本語で話しているから、同じ価値観のもと動いていると思いがちになるけれど、目に入るものも、そこから生まれる判断と決定も、実際には何もかもが違う。
何ができないか。何ができるか。時間帯や物資に制限はあるのか。他のチームからは想像ができない特殊な事情があるのか。協力要請における決まった手続きはそれぞれのチーム共通であるのかの確認。
通常の時間的な余裕がある時の協力要請と、時間がなく今この時だけという、単発の特別な要請で手続きが変わることを許容できるか否か。
この辺りが認識、確認不足だったために、今回の不穏な雰囲気を醸し出す原因となったのだった。
そして、一番重要なことは、1対1での取り決めではなく、少なくとも第3の者を介して、取り決めをある程度公的なものとして保証してもらう事。
とにかく、組織内連携というのは、実は外部との連携よりもずっと難しいものに突然変わることを秘めていると今日は知ったのだった。
学ぶことはまだまだあるな。
今日もよく頑張りました。
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