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職場での人間観察と思索

 職場は人間観察と自己内省のための機会をたくさん与えてくれる。

仕事そのものが内包している社会貢献度の側面だけでなく、個人的な人としての成長を促す経験が日々与えられる側面が、私にとっては仕事に従事していたい動機になっている。

こう書くとなんだか高尚なことを言っているかのようだけれど、実際にはもっと簡単な話で、「刺激がある」状態を日常的に得るには、仕事は最適だということ。

 特に、少し離れたところで他人の様子を見て思索するのは、心の平安も保たれつつ、良い刺激となる(自分に降りかかる災難はできれば避けたい)。そういう意味で、部下を叱咤する上司の姿というのは、人間性が透けて見える点において、とても面白い観察対象となる。

 今日午後、ある部署の上司Aがその部下に電話で、明らかに煽りのように聞こえる叱咤激励をしているところに遭遇した。正直、一瞬眉を顰めてしまった。後で、何が嫌な印象を作っていたのかを考えてみると、「相手に対しての敬意の無さ」「見方によってはパワハラ」の2点だった。

相手に対する敬意が感じられないコミュニケーションの取り方は、その人だけでなく、その人が所属している組織の格を下げる。多くの場合、その事実に気づいていない人がそういった振る舞いをするので、そのコミュニケーションの何が問題であるのかを言われてもなかなか理解することが難しい。

つまり、こういう人はなかなか変わらない。身も蓋もないけど。

 個人的には、そう言った人とは関わりたくないというのが正直な気持ちではあるけれど、仕事をしていればそういう人もいるので、どうやって上手く付き合っていけるかに視点を変えていくしかない。(それについてはまた別の機会に)

 そして、パワハラに関して。

自分の言葉がどのように人に受け取られるかは、常に意識しておいた方がいいというのは、普段から思ってることではあるけど、他人のあまり感心できない言動を客観的に見聞きするに、あれがもしスマホで録音でもされてたら、申し開きできないよねと冷静に感じる機会となった。

たとえ、部下との間にすでに信頼関係があり、そのパワハラもどきなやりとりが容認されるものであったとしても、誰がそれを見てどう評価するかは別の問題である。その上、当たり前のことを言うけれど、関係性というのは変化する

 人との関わり方は、仕事の本質ではないかもしれないが、仕事を円滑に進めるか滞らせるかを大きく左右する。そういう意味で、本質ではないが質を上げ下げするものではある。質の高い仕事をしたいなら、コミュニケーションの仕方は蔑ろにしてはいけないだろう。自戒を込めて。
 
職場の人も観察されて思索のきっかけにされているとは思っていないだろうな。

今日も一度は頭を使えました。ありがとう。


 

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