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誰かの意思に従うことと、その向こう

 消耗品の価格高騰で、職場のコピー用紙にとうとう消費制限がかかった。物価高がこんなところにも波及している。なんだか物悲しい。同時に、トイレットペーパーでなくて良かったと思った。

 そう思うと、なぜトイレットペーパーではなくコピー用紙なんだろうと疑問が出てきた。制限する物を決めたのが誰かは知らないけれど、決めた人の価値観が反映されている気がしてならなくなった。

 私はこれまで、贅沢はしてこなかったが、貧乏性というわけでもなかった。物に執着はないが、常識の範囲内で必要だと思うものを買う時に金額を気にしたことはない。

 でも、これは金があるからではなく、自分が価値を見出さないものには金を出さないという、取捨選択をしているからにすぎない。

 職場の消耗品の制限もまた、誰かの価値観が元になって決定されたのではなかろうか。そう思うと、世の中の決定は誰かの価値観が元になっていて、それは複数の人の折衷案ではなく、確実に誰か一人の価値観であるような気がしてきた。

 組織に属していると、誰かの決定に従わなければならない。そうすることでメリットがあるから。私にとって組織にいるメリットは、経験を積むことができるということ。

そしていつか、必要な経験を吸収し尽くして、メリットが少なくなったら、コピー用紙制限の決定に我慢ならなくなって飛び出すんだろうな。その時はトイレットペーパー制限かもしれないけれど。

 つまりは、組織に所属するということは、自分以外の意思で決定されたことに従うということ

 面倒でつまらないことほど本質のそばにいる。コピー用紙の制限すら人に委ねることをよしとするなら、組織で誰が決めたかわからないことにずっと従っていればいい。

 今の私にはまだまだ学ぶことがある。でも同時に向こうの景色が遠くに見える。









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