見出し画像

諦めない人たちの言葉が好きだ。〜比江島 慎 編〜❷

昨日の試合でマコさんがファールアウトした。

 その後は、悔しいを通り越した表情で佇んでいたように思う。

それは、そうだ。

エースたるものファールアウトしてはいけない。
田臥さんが能代時代に学んだ美学。

その美学を継承しているマコさんだから、それはそれは思うところがあったんだと思う。

そして、今日はやらなければいけないと言う気迫をすごく感じて、絶好調とはいかないけれど、願っていた通り追い詰められれば追い詰められる程力を発揮するヒーローが遅れてやってきた。

自信たっぷりで爆発するマコさんが早く見たい。

そんなマコさんの名言集その2。

正直まとめ切れないほどあるので、またそのうち追加したいと思います。

…………………………………………………………


◻️僕自身は本当に去年の悔しい負けの悔しさを持ってずっとやってきたので。それをぶつけて、同じCSという舞台でやり返したいなと思った

◻️(初めての海外生活や言語の壁なども)そこも人間として成長できる環境なのかなと思っているので、チャレンジしていきたい


◻️クイックネスがないからこそ、ここまで成長できたと思っています。ステップを工夫して、フェイントの数を増やしていった。自分に足りないところを、技術で補おうと思って練習してきました。それが実を結んだので、今では良かったと思っています。クイックネスがないことが、今の僕を作ってくれたんです。

◻️去年は大事な場面で決め切れなかった悔しさもあったし、自分の力不足を感じるところもありました。今度はそういう場面でもちゃんと決め切れるよう、自分の力をすべて出し切るつもりで戦いたいと思います(アジア選手権後の2016年)

◻️夢の一つの舞台で自分のスキルを存分に発揮できたのは、人生の中で大きな財産になる(東京五輪後)

◻️常に自分が強気で攻めることを忘れちゃいけないと思っています。

◻️プレー中、自分でも何考えてるんだろう…。
本能に近いと思います。

◻️NBAでもトップの高さを経験できて、あれ以上の高さはないと思うので、どこが相手であろうと臆することなく行く自信に繋がった。(東京五輪後)

◻️唯一やり残したことがあるとすれば、最後のインカレですかね。

◻️試合前に(監督に)呼ばれて言われたんですよ。『お前が負けたままで終わるのはダメだ。お前はこんなところで終わる選手じゃない。最後はお前の実力を証明してこい』みたいなことを。そこでスイッチがバンって入りました

◻️次のステップに行く選手もいれば、競技生活に一区切りをつける選手もいるのが大学バスケ。そういう中でプレーしているということは全員に忘れないでほしいですね。また、どちらの道を選ぶにせよ、大学を卒業したら社会に出て、いろんな大変さを知っていくことになるわけですから、最後の青春を楽しんでほしいとも思います。プロを目指す選手はそれを楽しみながら、1分1秒を惜しむように成長するチャンスを生かしてほしいです。


◻️自分の力を信じ、実力を見極めて、もっとしっかり進路を考えるべきだったなと思うんです。大学から海外に行っていれば、今、もっと違う景色を見ていたのかなと思ったりすることもありますし。

◻️僕がいつも心がけていることは『冷静沈着』で、どういう場面でも冷静な判断ができることを目指しています。

◻️(独特なリズムの動きを)活かした1対1は自分の得意分野だと思うし、自分の武器となるものなので、やっぱり誰にも負けたくありません。

◻️大きな目標は2020年の東京オリンピックに出場することです。これはもうほんとに、必ず、絶対出たいと思っていて、そのためにはどんな努力も惜しまない覚悟があります。


◻️B.LEAGUEというのは自分が成長できる大切な場所だと思っているので、まずはそこで100%の力を出し切って優勝すること。

◻️日本のためにうまくなっていきたい。日本代表で応援していただけたら。

◻️何かひとつ環境を変えたいというのはありましたし、プライベートも大変だったので独り立ちをしたいなという思いもありました。「このままじゃだめだ」という意志もわいてきました。(宇都宮移籍時)

◻️自分の目標は、ワールドカップ(W杯)であったり、五輪で世界と戦えるレベルまで押し上げていくことだったので、Bリーグでやるのであれば栃木でやるのが一番、成長の近道かなと思いました。


◻️「(田臥さんに)一緒にプレーしていて一番楽しいのはお前だ」と言われたのですが、そこまで思ってくれているとは思ってもいなかったです。そんなこと言われたら……さすがに僕も、落ちるというか、そこが決め手です。(決断するにあたって)正直ものすごく大きかったです。(宇都宮移籍時)


◻️(高校2年)で考えながらプレーするようになったのは大きな変化です。これまで以上に高い目標を設定して、自分で自分にプレッシャーをかけて、なおかつ楽しみながら努力してやれました。いろんなことが噛み合う中で一生懸命練習したことで、すごく選手として伸びたと思います。

◻️(日中韓の大会で中国人選手の高さに苦戦して)もっとウエイトトレーニングを増やさないと世界とは戦えないとその時に思いました。高さはやっていくうちに慣れるので、その意味では経験が大事です。その他にもドリブルの技術だったりシュート力を高めなければいけないと意識するようになりました。3ポイントシュートもそうです。日本だったら外から打たなくても点が取れちゃうのであまり得意ではなかったんですが、それを機に練習するようになりました。


◻️「自分がやらなきゃ」という気持ちが強ければ強いほど、シュートは決まると思います。背負っているものが大きければ大きいほど、僕は力を発揮できます。

◻️昔からずっと、『チームを勝たせられる選手』というのを理想像としてやってきました。具体的には欲しい時に1本決められる選手、託してくれたら絶対に点を取ってくる選手ですね。そこを目指す気持ちは昔からずっと変わらず、代表に選ばれたりして最近はより強くなっています。

◻️高校生ぐらいまでの僕は試合に勝てなかったり練習でうまく行かないと「辞めたい」とすぐ思うタイプでした。でも、やっぱり負けず嫌いなので、一度は落ち込んでも立ち直るのに時間はかからなかったです。それと周りにライバルがいたおかげで辞めずに続けられました。ライバルたちには、当時はバチバチに意識していましたが、今考えれば良い仲間に巡り会えたと思います。その点では自分は『持ってる』と素直に思います。

◻️(2005年のジュニアオールスター)福岡県の選抜チームで優勝したのですが、僕はベスト5に選ばれませんでした。決勝で活躍したので「選ばれるんじゃないかな」と内心思っていて、それで名前が呼ばれないのはちょっとショックでしたね。そうなると周りの選手がすごかったから優勝できたと考えてしまう。自分が活躍しているのではなく、「まだまだ上がいる」という思いでした。


◻️やっぱり試合に出たい、試合に出ることで成長したいという思いはありました。

◻️僕は常に近くにライバルがいっぱいいてくれていました。彼らに負けたくないという一心で、うまく行かないことがあっても練習をまたやらなきゃと自然に思うことができました。「自分がこうしている間にも、あいつらは練習している」と思えば練習しますよね。そういうライバルを見つけることが大事だと思います。

◻️僕はそれまで博多弁が標準語だと思っていたんです。普通に博多弁を使ったら笑われました。標準語までは行かないですけど、そのタイミングで方言は直しました。少し時間はかかりましたが、チームに馴染むには必要だと当時は思ったんですね。

◻️(2018年)今シーズンは自分にもまだ伸びしろがあると気付かされたので、これからもどんどん新しい技にチャレンジしてもっと成長できる1年にしたいですね。

◻️周りのことはよく気がついて、何でもすぐにやる。自分のことはやらないんですけど(笑)

◻️自分の役割というのはチームを勝たせてなんぼだと思う






この記事が参加している募集

#この経験に学べ

53,861件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?