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『2121年 Futures In-Sight 展』に行ってきました

2021年12月21日〜2022年5月22日の間、六本木の21_21 DESIGN SIGHTギャラリー1&2で行われている『2121年 Futures In-Sight 展』を観に行きましたので、その感想をブログにまとめることにしました。
※ 本展は、携帯での写真や動画の撮影は自由に行うことができます。

『2121年 Futures In-Sight 展』は、

「Future Compass」(未来の羅針盤)というツールをきっかけに、未来を思い描くだけでなく、現在を生きる私たちの所作や創り出すものに内在する未来への視座を、デザイナーやアーティスト、思想家、エンジニア、研究者など、多様な参加者たちとともに可視化していくことを試みます。
http://www.2121designsight.jp/program/2121/

という主旨の企画展です。

「Future Compass」は、企画展の公式サイトにある下記画像のようなツールで、三段構成の各レイヤーを来場者が好きに設定することができるようになっています。例えば、下の画像では「Why」「Futures」「Start?」が設定されているので、「複数形の未来は何故起こるか?」というテーマになるわけです。『2121年 Futures In-Sight 展』では、これらのテーマについてのクリエイターによる作品や言論が会場内に展示されています。また、来場者自身が、設定したテーマについてのIn-Sight(洞察)をTwitterに投稿することもできます。

Future Compass(未来の羅針盤)

ここからは、『2121年 Futures In-Sight 展』の中で特に印象に残った作品を紹介していきます。以下で紹介する以外にも、皆さんの琴線に触れる作品や言論は沢山あるかと思いますので、気になった方は是非会場まで足を運んでいただければと思います。

まず、会場に入って最初に目にする作品『宇宙138億年の歴史を歩く』です。これは、ビッグバンが起こった138億年前を1月1日として、これまでの宇宙の歴史を365日で表現すると、どのように世界が可視化されるのかを示した作品です。

宇宙138億年の歴史を歩く DAY1

ビッグバンを1月1日とすると、地球誕生が9月です。この時点で、すでに、1年のうちの3/4が過ぎてしまっています。

宇宙138億年の歴史を歩く September

そして、ビッグバンを1月1日とすると、西暦が始まるのは12月31日の23:59:55、近現代が始まるのは12月31日の23:59:59になってしまうんですね。この作品は、「この宇宙ができて138億年が経つ」という言葉だけではは流してしまう宇宙の歴史の途轍もない時間的広大さを、非常に直感的に体験させてくれます。

宇宙138億年の歴史を歩く DAY365

最初から、圧倒されてしまう作品を受けて、ディレクターズ・レターに続きます。ディレクターズ・レターの一文目もかなりパンチが効いています。

22世紀の歴史の教科書には、「プレパンデミックの時代には、人類はインターネットをまだほとんど使っていなかった」と書かれていることでしょう。
ディレクターズ・レターより
ディレクターズ・レター全文

これは単純に「未来はそれだけハイテクになる」という未来予測をしているわけではなく、こうした100年後(2121年)の未来を想像し伝える行為そのものが、複数形の未来(Futures)のきっかけであり、人間を人間たらしめた、その根源的な営為を問い直すことも繋がると言っています。

「プレパンデミックの時代には、人類はインターネットをまだほとんど使っていなかった」という未来を想像し、他者に伝えた時、その受け手は「そんな未来ワクワクするね!」だったり「そんな無機質な世界は嫌だ!」というような感想を抱くでしょう。そんな感情が、行動に派生し、未来の行く末に影響をもたらしていくと考えると非常に興味深い話です。

上記の話に呼応する形で、会場内には1920年に発行された言論紙に掲載された企画「百年後の日本」の一部が掲載されています。画像を拡大するか会場で直接観ていただければと思うのですが、これが非常に興味深いです。1920年というと、1914年に起こった第一次世界大戦が終わり、国際連盟が発足した大正時代です。そんな時代に既に、東京の地下鉄網や電動キックボード、男女共同参画などが予想されていたのには驚きです。また、100年後の日本文字は、英字のように横書きの筆記体になるというような予想もあり、当時の西洋化の大きなうねりも感じることができます。

100年前に想像された未来

この作品を見ると、未来を想像し伝えることが、どれだけ実際の未来に影響を与えるのかということを考えさせられます。

本企画展で一番好きな作品は、『仮想標識は都市の未来を変えうるのか?』です。これは、AR(拡張現実)上の好きな場所に標識を置けるアプリを使った作品なのですが、「標識というものは、その時代の価値観を反映したものである」という洞察が素晴らしいと感じました。

仮想標識は都市の未来を変えうるのか?

例えば、最近は以下のようなマスク着用をお願いする張り紙が当たり前になりました。こういったものも含め標識と定義すると、標識は、その時代、その場所における価値観が表層化したものと見做せるというわけです。

https://www.town.nasu.lg.jp/0209/info-0000002046-1.html

展示では、「プラスチック禁止地区」や「自動運転レーン(この先運転禁止)」、「禁止行為の禁止」といったオリジナル標識をAR上に設置していました。数年前は「プラスチック禁止地区」など意味もわからなかったでしょうが、今なら有り得そうと感じます。標識を通して、過去-現在-未来の変化を見るというのは思いもつかなかったです。

端的でわかりやすい作品としては『REAL FOOD』が面白かったです。「100年後は、食べ物の元型を知る人がいなくなる。なので食品パッケージで元型を見せることになるのだ。」という作品です。

REAL FOOD

この作品も「100年後にはそうなるのだ」という未来予測(合っている、間違っている)として見てしまうと全く面白くありません。「多くの人が、食べ物がどうして作られているのかを知らないことは、いいことなのか悪いことなのか?」、さらに拡大すると「高度化した現代社会において、それぞれのヒトの仕事が見えなくなってしまっている。私達は、どこまで自分以外のヒトの仕事に興味を持ち、知る必要があるのか?」という話をするきっかけとしてみると、意義深い作品だと思うのです。

魚は切り身のまま泳いでいるという子どもが増えているという都市伝説』が笑い話になっていますが、「自炊をせず惣菜や冷凍食品で済ます人はハンバーグが何を材料にどう作るのか知っているのだろうか?」、「普段使っているスプーンやフォークは何を材料にどう作るのか知っているのだろうか?」「携帯電話ならどうだろうか?」と拡大すると笑い話ではなくなっていきます。

これに対し、「知らなくてもいいじゃないか、高度な社会であることの証明だよ。」という意見でも構わないと思います。ただ、きっと、人によりこのテーマに対して感じることは変わります。この分岐が『複数形の未来(Futures)』であり、このFuturesを私達が共有することになる『単数系の未来(Future)』にどのように落とし込むのかが、これからの私達が嫌でもしなければならない仕事なのだろうと思います。

他にも紹介したい言論や作品は山程あるのですが、このままだと誰も読めない一大巨編になってしまうのでおしまいにします。

最後に、唯一、この企画展で残念なところがあるとすれば、データを元にした展示がなかったことです。総務省統計局の『人口推計』ですとか、厚生労働省の『人口動態調査』といった、現在のデータはどうなっているのか、そして将来はどうなる予定なのかが、補足資料として存在しているだけで、各々の意見は、より具体的な話に繋がっていくように思いました。

とはいえ、非常に脳を刺激するいい展示なので、オススメです!

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