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多様性という名の不寛容

LGBTについて自分の考えを書いていたら、今までにないくらいスキやフォローをいただきました。
記事のシェア、スキ・フォローをしてくれた方本当にありがとうございます。

今回はテーマは多様性ついて。
多様性を認めましょうという風潮が強く、メディアはもちろんSNSでも見ない日はありません。
多様性とは無縁の田舎町に生まれ育った自分は、この風潮はとてもいいことだと思います。
野球は嫌い、バレーやテニス、バトミントンの方が好き(テレビで見る場合に限る)と言えば、女か!オカマか!と言われ。
車とか電車とか興味ない、漫画・ゲーム・小説が好きと言えば、オタクか!と言われ。
今やこれらを趣味と言っても、当たり前のこととして受け取られます。
テレビでは、ゲームはオタクのコンテンツで、虐待や犯罪を犯す人の趣味はゲームや漫画という風に描かれていたのに、今やみんなでゲームやる番組まであるのだから、良い時代になったなと実感。

一方、本来の意味で多様性として使われていないのでは?と感じる場面も。
ことジェンダーや人種問題に対して、ことさら多様性が使われる気がします。

LGBTに対し、否定的な意見や純粋な疑問を投げかけると「差別だ!」とそれらを封殺する風潮が多いと感じます。
そういう価値観や意見を受け入れる必要はないけど、一つの考え方だよねと認めるのが本来の多様性のあり方ではと思います。

少し前の起こった、女優の橋本愛さんが自身のInstagramで
「トランスジェンダーが公衆浴場や公衆トイレを使用する際は、体の性に合わせて区分する方がベターかなと思います」
という投稿が「トランス差別だ!」と炎上し、投稿を削除し、謝罪しました。

橋本さんはトランスジェンダーの方々で傷つく人もいると思うと心苦しいときちんと当事者の方にも配慮しながら、
「私は女性として、相手がどんな心の性であっても、会話してコミュニケーションを取れるわけでもない公共の施設で、身体が男性の方に入って来られたら、とても警戒してしまうし、それだけで恐怖心を抱いてしまうと思います。そんな態度をとって傷つけたくもない」
という女性として、素直に思うことや感じることを述べただけです。

自分は男なので、そういう場面での女性が感じる恐怖心を完全に理解・共感することはできません。
それでも自分の実体験から想像することはできます。

自分は男子トイレや脱衣所に中年女性の清掃員が入ってくるのは、かなり抵抗があるタイプです。
恐怖や身の危険を感じることはないですが、
「なんで男のパーソナルスペースに女性が入ってくるのはいんだろうか?」
とずっと疑問でした。
とあるときは、公園のトイレで女子トイレが混んでいたからか、中年女性が男子トイレの個室から出てきたときは、「よく涼しいな顔で出てこれるな…」と恐怖を感じたのを覚えています。
自分がゲイだからというわけではなく、ノーマル男性の知人などに聞いても抵抗を感じるという意見は何度も耳にしたことはあります。
気にしない人はいるかもしれないけど、パーソナルスペースに異性が入ってくることに、本能的に違和感や恐怖を覚える人がたくさんいるということです。

ましてや女性は特にそれを強く感じるのだろうなと思います。
腕力で抵抗できないし、性的な被害に遭うのも男性より女性の方が圧倒的
に高いことは警視庁からも発表されています。(35倍くらい違うそう)
身体的な特徴をクリアしない人が入ったきたとき、それをTだと見分けることができません。
例えTだとしても身体的な特徴が男性のままでは、恐怖を覚えるでしょう。
ジェンダーフリーというのは社会的立場や権利上であり、性質(身体、嗜好、価値観)として男女は明確に違うもの。
もちろん例外もありますが、性質が別物というベースが抜けているように感じます。(むしろ、そのベースを破壊しようとしているのではと思う)
外見で判断しないで、中身で判断してというのは、見ず知らずの人たちが一堂に会する公共の場では通用しません。
第一印象で見た目を無視して判断することはほぼ不可能です。

自分はゲイなので、恋愛するときの対象は当然男です。
では、どこで男と判定するかは見た目です。
見た目で判定するなんてひどい!心は男なのに!と言われても、困ります。
FtoMの人もいるじゃないか…すみません。恋愛の対象外にしています。
これは差別でしょうか?自分の好みの問題です。
FtoMの人も恋愛の対象にしているゲイももちろんいます。
自分はそういう人を否定するつもりもないし、素晴らしいとも思いません。
「自分はそうじゃないけど、そういう人もいるよね」で終わりです

世の中の風潮や正しさ(ポリティカルコレクト)に対し、少しでも反する意見は「差別」の一言で潰される。
これってゲイ=オカマというレッテルを張って、笑いものにしてた時代と変わらないのではないかなと思います。

反する意見も一つの意見として理解し、お互いが歩み寄れて、問題なく日常生活が送れるかを解決策を見出す。
これが本当の「多様性」ではないかと思います。


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