最近食べたうまいもの
主体的自己の回復は、まず武蔵野うどんを食うところから始まる。
カレーは神保町に在り。水道橋から東に歩けば、北斎の弟子が描いたのと同じお茶の水の坂を下る。
両国で昼間から飲むのが良い。両国にはジンギスカンが在る。ちゃんこが在る。美術館と博物館と庭園が在る。写真はない。
富士宮焼きそばはうまい。富士宮焼きそばにはコシがある。
大室山山頂の眺望は茫洋として、逆説的に世界の限りあることを知る。カルデラを臨んで食う団子がまたうまい。
引き続く自粛生活で、想像の世界へ無限に拡大され希薄になった自己は、さわやかハンバーグとの邂逅によってのみ有限に規定し直される。自己は有限で具体的な現実に存在していたのだ!
名前の在るものがうまいのか。否、ただうまいものだけがうまいのである。名前の無い鍋が身体性を賦活する。
船橋法典の駅を出たところに、酒のたくさん並んだうどん屋がある。熱すぎるかしわ天が、自分が肉体を持つ存在であることを思い出させる。
精神性の何をもって自己とし何をもって主体とするか、その答えは言葉の枠組みを超えて現実世界に臨む身体から感じとるほかあるまい。
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