ボロボロ葉っぱ

保育園の帰り道。息子が葉っぱを見つけた。

トランプのスペードのような形の葉っぱである。近くにそんな葉のつく木は見当たらないので、どこかから飛んできたのかもしれない。

葉っぱ好きな息子。案の定拾った。そして一言「かさかさ」と言った。確かにその葉っぱは茶色くて、完全に乾燥している風だった。

「握ったらどうなるかな?」

そう声掛けしたのは本当に偶然で、何となく、その場の思いつきだった。

息子が葉を握る。葉っぱは簡単に崩れてしまう。「ボロボロになっちゃった」息子は言った。

思えば1歳くらいの時から葉っぱが好きな息子だけれど、もっぱら拾ったり投げたり傘にしたりばかりで、握るということはあまりしていなかった気がする。握ればボロボロになる乾燥した葉っぱにも今まで沢山触れてきていたはずなのに、その言葉にはどこか驚きが含まれていた。

あぁそうか、と思う。私にとっては、茶色い葉っぱは乾燥しているもので、だから握ればボロボロになるなんて当たり前のことだけれど。息子にとって、それはまだ当たり前ではないんだな。乾燥した葉っぱ=割れやすいという式が息子の中では完成していないのだろう。

水が高い所から低い所に流れていくことのように、大人が見慣れていて当たり前と思っていることでも、子どもにとっては初めてだったり理屈がわからなかったりで、不思議なこと、驚きの体験になる。

この見た目の素材はこんな感触、握ればどうなる、経験すればある程度予想がつくものだけれど、息子はまだまだ経験が足りない。こうやって日常の何気ないところで経験し、学習していくんだろう。

その辺に落ちている葉っぱ1枚でも、いろいろわかるものなんだなぁ。大人が当たり前だと思って気にしていないけれど、子どもには驚きなこと、実は沢山あるのだろう。

ボロボロになってしまった葉っぱの近くに、同じ葉っぱがもう1枚あり。そちらはまだ乾燥しきっておらず、緑色の部分もあった。「ふにゃふにゃ。なんでぼろぼろにならないの?」「うーん。乾燥しきってないからかなぁ。水分が多いんだと思うよ」どう返すか少し迷ったものの、そう返してしまった。本当は、「さっきの葉っぱと違うところはある?」とか返した方が良かったのかもしれないが。外は暑いし早く帰りたかったのである。

私は教育上手なママにはなれんなと思いつつ。緑色の葉っぱは持って帰って、ベランダに吊るしてみることにした。さて、明日の朝にはどうなっているだろう。葉っぱが乾燥していく過程を見ることなど私の経験にも無かったことなので、子どもと共に見るのが楽しみなのである。


ではまた明日。