本。自立と依存の心理

今日は本の話。『自立と依存の心理』(加藤諦三、PHP電子)を読んだ。

最近、「自立」に興味があり、タイトルに「自立」と入っているこの本を借りてみた。読んでみると、依存の方に重きを置いた本だったように思う。依存から脱却することで自立できるわけで、まずは依存がどういうものかわからなければ自立を目指せない。そういう意味では自立についても書いているのだけれど、予想していたほどは「自立すること、その方法」については書いていなかった。

また、この本は主にうつ病の人に向けて書かれたものなのかもしれない。うつ病の人が何故うつになるのか。うつ病の人はこういう心理だということが全編に散りばめて書いてある。身近にうつ病の人がいる人は、もしかしたら理解する一助になるかもしれない。

さて、「自立している人」というのは、「自分の中に心の支えがある人」のことだ。自分はどうなってもやっていけると思える。困難を恐れない、変化を恐れない人のことだ。

権力や名声、お金などを過度に求める人というのは、言い換えればそれを「心の支え」にしようとしている人のことである。だからこそ、それが無いと不安になる。どれだけ手に入れても安心できない。まだまだ足りないと思ってしまう。つまり、依存している。

元々人は、幼少期に「母なる愛(無条件の愛)」を求め、それが得られれば安定して自分を持って生きていけるのだが、得られなかった場合、それを何か他のものに求めてしまう。「何があっても自分を受け入れてくれる存在」を無意識に求め、それを友や恋人や配偶者等に求めてしまうのだが、ある程度歳を重ねた時にそれを完全に受け入れてくれる他人などいない。他人に依存しても、全てを受け入れてくれる他人などまずいないのだ。だから他人に依存することでは満足できないし幸せにはなれない。

また、権力や名声を得ることで心の支えとしようとするが、その人が本当に欲しいのは「自分を受け入れ、愛してくれる存在」である。本当はそれを「心の支え」にしたい。だから結局満足できないし、得られないことで無気力、無関心などになってしまう。

本当は幼少期に「母なる愛」を受け取ることができ、愛されて育つことがその後も楽に生きていく方法なのだが、現実、それを得られる人は少数だ。大抵の人は「心の支え」となるほどの母の愛は得られないらしい。

そんな人はどうすればいいのか。「自分で自分を認め」それを「心の支え」としていくしかない。他人に求めることも、何かに求めることも、結局は依存だ。「自分で自分を支える」ことでしか自立はできない。「ありのままの自分に自信を持つこと」それが自立だ。

幼少期に母なる愛を得られなくて、辛く苦しい人生を今まで送ってきた。しかしそんな中でも今まで自分は生きてきた。苦しい中でも今まで生きてきたことは十分立派で誇れることである。そんな自分を認める。自信を持つ。それが、自立のための一歩なのだと思う。

結局のところ、この本に書いているのはそういうことなのだと思う。正直なところ、最近のビジネス書を読み慣れている私には読みにくい文章だったのだが、依存の仕組みを知れるのは面白かった。

やはり幼少期に子どもに「無条件の愛」を与えることは大事なのだな。母の責任は重大である。ただ、私は、苦しい中で自分に自信を持とうとすること、「あの時を乗り切ったのだからこれからも大丈夫」だと思えることで、随分生きやすくなった経験がある。それはそのまま、この本に書かれている「自立」への道なわけだが、ただ愛されて育った子と、自分で自分の支えを見つけた子だとどちらの方が強いのだろう?

愛されて育っても困難なことはもちろんある。そんな時に無条件に「自分は大丈夫」と思えればそれが「自立」になるのだろうか。愛されたからと言って実際にその場面で「自分は大丈夫」だと思えるかどうかも本当のところはわからないのだが、「自分で困難を乗り越えてきた」という経験はあった方が自立できるのではないかと個人的には思う。

だからと言って、決して子どもをないがしろにすることが良いとは思わない。もちろん愛情を持って育てる。しかし愛情が、困難に直面した時にどう作用するのかというのを実際に見ていないので、想像し辛いというのが正直なところだ。

私なりには日々愛情を持って、なるべく自分で乗り越えていく経験を積んでもらおうと息子に接しているけれど、さて息子は「自分の支え」を得ることができるだろうか。「ひとりで生きていく力をつけさせる」のが親の役目だと思っているので、これからも「自立」を目指して接していきたい。


ではまた明日。