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【超短編小説】最終登校日

父親から、実は引っ越すことになったと聞かされたとき、僕は心から助かったと思った。また新たな環境でやり直すチャンスだ。転校先の中学校では決して同じ過ちは犯さない。未来の希望で僕の心は弾んだ。

学校に行くことは今まで苦痛でしかなかった。最終登校日になった今日も、やはり憂鬱だ。しかし、僕は今日、登校してなんとしてもやらないといけないことがあった。

僕が最終登校日であることを知っていた例の連中は、はなむけとして僕の机の上に菊を置いて待っていた。花瓶に入れられたその菊は、それはもう不気味なほどに白く輝いていた。連中は僕が登校してきて、その菊の花を見た時の反応を好奇の目で見つめている。この程度のことは想定内であったが、やはり実際にやられてみるととても悲しくなる。なぜこんな残酷なことが彼らにはできるのだろうか?なぜ一人の人間の死を、こんなにも願うことができるのだろう。僕は自分の席に到着すると、涙をこらえながら、その菊の花を花瓶から取り出し、教室のごみ箱に捨てた。ワルのグループのリーダー格である佐藤が、あれ、まだ生きていたんだ、と言うと、教室内で笑いが起きた。今すぐにでも帰りたいと思ったが、何としても耐えなくてはいけないと僕は自分に言い聞かせる。今日登校した目的は、あの計画を執り行うためなのだ。

すべての授業が終わると、僕は一目散に個室トイレに駆け込み、連中の目がつかないところに隠れた。見つかれば連中の気が済むまでボコボコに殴られるだろう。僕はこれから実行するあの計画のことを思うと、心臓の鼓動が急速に早まることを感じた。

トイレの中に潜伏してかれこれ1時間ほどたったであろうか。周囲から人の気配がなくなったことを確認すると、僕はゆっくりと個室トイレからでて、自分の教室に入る。誰もいない教室は静寂に包まれていて、僕が様々なひどい仕打ちを受けた場所とは異なる場所のように思えた。やはりこの教室の空気を支配していたのは、まぎれもなくあの連中だったのだと実感させられた。

誰もいない教室で僕は黙々と作業に着手した。最初は、僕の体操服を毎回泥でぐちゃぐちゃに汚した高木と桜井だ。教室のロッカーに保管されている奴らの体操着を取り出して床に投げ捨てると、僕はその体操着を何度も踏みつけた。きれいに洗濯されていた彼らの体操着は、多くの足跡でいっぱいになった。仕上げにこれらの体操着の胸の部分に、僕は持参した油性の赤いマジックで、「絶対に許さないからな」と書き込んだ。

次に出会う度に僕を殴ってきた吉川だ。僕は彼のロッカーに保管されている習字セットの墨汁を取り出し、それを彼のロッカーにぶちまけた。見る見るうちに彼の私物は黒に染まっていく。墨汁をかけずに残しておいた彼の白い体育館シューズを取り出し、赤い油性マジックで、「絶対に許さないからな」と書き込んだ。

最後はリーダー格の佐藤からだ。手始めにロッカーにある彼の所持品をすべて墨汁まみれにした。続いて僕はカバンの中からバタフライナイフを取り出し、おもむろにその鋭い刃を立てる。刃は教室に差し込んだ夕日を反射してきらりと輝いた。僕はその刀の柄の部分を強く握りしめ、佐藤の机に思い切り突き刺した。ゴンっという鈍い音を立ててナイフは机に垂直に突き刺さった。最後に僕は持参した錐を使って、「絶対に許さないからな」と佐藤の机に書き込んだ。文字は、深く深く佐藤の机に刻みこまれた。

これは連中に対する警告だ。連中がやってきたことに対して、何かトラウマとなるような衝撃的な一撃を食らわせてやらないことには、また連中は僕とは別の人間を標的にして同じことを繰り返すだろう。こんな悲劇は決して繰り返されてはいけないのだ。計画を実行後、僕はすぐに教室を後にし、走って家まで帰った。

その次の日、我が家は引っ越しを行った。家の中のすべての荷物を引っ越し業者のトラックに運び込み、私たちは自分たちの車で新居に向かった。これまであんなに新たな環境での生活を心待ちにしていたのにも関わらず、僕の心は晴れなかった。なぜなら、僕は内心気づいていたのだった。僕が次の被害者を救うためといって実施した昨日の計画は、決してそんな高尚なものではなかった。ただただ自分自身の心の鬱憤を晴らすだけの、感情任せで稚拙な行動に過ぎない。真っ向から戦えば負けることが分かっているから、連中が居ぬ間を狙って行ったひどく卑怯な行動だ。それを次の被害者の救済を盾にして自分の行動を正当化していた自分に対し、情けなくなって自然と涙が流れた。助手席に座っていた母親がバックミラー越しに僕の涙に気づき、

「大丈夫、次の学校でもきっといい友達ができるよ。」

と言った。違うんだよ母さん。僕は心の中で叫ぶ。もっと強い人間になりたい。みんなと同じように、楽しいと思える学校生活を送りたい。車窓からの移り変わるこの街の風景を眺めながら、僕は強く思った。

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