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「神の唾と蛇の唾」アフリカ縦断の旅〜エチオピア編⑯〜

 2018年8月26日午後6時、何とかカイヤファールに辿り着いた私たち。しかし、すでに移動手段は断たれていました。ここで1泊するか、日が落ちるまでヒッチハイクで粘るか。悩んだ結果、ヒッチハイクを選択。狙うは長距離移動の大型トラック。徐々に減っていく交通量と暗くなっていく街は、私たちを諦めへと追い込んでいきました。それでも、たくさんの現地人が共にヒッチハイクをしてくれたこともあり、午後7時半頃、ようやく1台の大型トラックが停車。荷物置き場に何とか乗り込んだ私たちは、カイヤファールからコンソの街へと向かうことに成功しました。しばらく車内は会話で溢れていましたが、度重なる移動疲れと、コンソ到着が確定となった安心感が眠気を誘いました。ウトウトしていた私たちでしたが、急ブレーキで目が覚めました。坂道とカーブが多い、未舗装の悪路を70kmで走行しては、急発進と急ブレーキを繰り返す大型トラック。結局、恐怖で一睡もできませんでしたが、午後10時頃、無事コンソに到着。しかし、相変わらずの無一文に加えて、宿がない私たち。何とか見つけた宿泊施設はもはや監獄でした。ボロボロの家具、水の出ない蛇口、立ち込める悪臭。不気味な空間に嫌気が差したものの、疲労回復のため寝る体制を整えました。そして数時間後、便意を催した私はトイレへ。当たり前のように紙がありませんでした。流れないのは承知の上で、日記用のルーズリーフを代用。
 災難とは畳み掛けてくるものである、この言葉に疑いの余地はありませんでした。

 2018年8月27日午前7時、体に巻き付けていたはずの寝袋は、いつの間にか剥がれ落ち、若干の肌寒さで起床。汚いベッドを避けて、壁にもたれかかって寝ていたせいで、腰が痛みました。重たい体を持ち上げた時、私の鼻を悪臭が襲いました。原因は用を足した自分。完全に閉まり切っていないドアの隙間を睨みつけた私は、駆け足で部屋を出ました。

「(どういうつもりで、この部屋が有料になるん?ボロいし、臭いし、汚いし、水でーへんし・・・)」

 ぶつぶつと文句を垂れ流せば永遠に続きそうだと思いながら、宿の廊下を歩いていると、ちょうど別の部屋からジョンが出てくるところでした。

「おはよう。よく寝られた?」

 ジョンが宿を探してくれていた手前、本音を言うわけにはいかず、できる限り頬を吊り上げて、嘘をついた私。3人でチェックアウトを済ませ、やっとの思いで脱獄。相変わらず重たい足取りのまま、ジョンに借金を返済すべく、ATMへ向かいました。

「(ジョンへの返済金と今日の宿代と飯代、明日の朝にはエチオピアとケニアの国境まで移動するから、そのバス代もいるか。)」

 ざっと見積もった結果、5000ブル(当時約2万円)をお引き出し。トゥルミでの宿代、カロ族へ向かうためのバイクレンタル代、ゴルチョ村の入村料、カロ族との触れ合い代、コンソに戻る移動費(ヒッチハイクでしたが、ある程度のお支払い必須)、コンソでの監獄宿代、通常のガイド料2日分。ここに感謝料を含めて、ジョンに1万6千円をお返ししました。改めて振り返ると、私たちの身の回りの全てをお世話してくれていたジョン。いくらガイドとしてお金を支払う約束をしていたとは言っても、こんなにも振り回して良いはずがありません。しかし、ジョンの寛大さは私たちの想像を超えていました。

「本当にありがとう、ジョン。ガイド以上の存在でした。共に過ごせて嬉しかったです。またここに来る時は、ガイドお願いします。次はもう少し成長しておきます。」

 何度も礼を伝え、深々と頭を下げた私たちは、遠ざかる彼の大きな背中を見つめていました。

「もうジョンを頼ることはできへんのか。とりあえず今日の宿を見つけに行かないと。」
「でも、近くに宿あったか?携帯も使われへんし。この街のこと全然知らんぞ。またあの監獄に戻るのだけは避けたいな。」

 ジョンの大きさに改めて気付いた私たち。厚かましくも、今日の宿だけ最後に案内してもらえば良かった、と後悔しつつ、宿を探すために歩き始めました。コンソ南側、レストランやマーケットが点在し、人の数も増えてきた様子。

「シャワー浴びれたらどこでもいいや。ゴルチョ村からの帰り道が悪路すぎて、体砂まみれ。2日風呂入ってないしな。」

 ふかふかの綺麗なベット、深呼吸したくなる部屋の香り、美味しいご飯、水洗のトイレ、有り余るほどのトイレットペーパー。そんな質の高い宿は求めていませんでした。

「(シャワーヘッドと蛇口から水が出れば良い。ただそれだけで良いんだ。)」

 そう強く思いながら、歩き回ること数十分。ついに宿を発見。すぐさま受付で確認をする私たち。

「この宿にはシャワーが付いていますか?」

「もちろんで

「泊まります!」

 こうして、食い気味にチェックインした私たち。案内されたのは、またしても監獄のような部屋。しかし昨晩とは少し種類の異なる施設。汚い、綺麗、ではなく、とにかく狭くて質素。謎のオレンジの壁と安定の鉄格子、部屋の8割はベッドが閉めているという圧迫感。しかし、シャワーを浴びられることが何よりも重要だった私たちにとって、それらは取るに足らない問題でした。部屋の左奥、ボロ切れのカーテンを開けたすぐ目の前には、銀色に輝く蛇の姿。

「やっと出会えた。おありがたい!」

 と、思い切り捻った蛇の首。しかし、その勢いとは裏腹に、蛇はポカンと口を開けたまま、一滴の唾液も出しません。

「・・・ん?」

 寝ている蛇に目を覚ましてもらおうと、何度も体を揺すりましたが、乾いた口を下に向けたままでした。

「この蛇死んでるやん!」

「(いや、そんなはずはない。隣の部屋ならきっと、、、)」

 そして、次々にドアを開けては、間抜け面でピクリとも動かない銀の蛇たちを叩き起こそうとしましたが、ついに一匹として口に潤いを取り戻す奴は現れませんでした。全客室で死してなおも干涸びている、蛇のオブジェ。

「話ちゃうやん!!!」

 すぐさま受付に直行した私たち。

「部屋で銀の蛇が死んでます!」

「あぁ。やっぱりそうなっちゃったのね。その子たちは用済みなのよ。最近は神様が直々に唾液を垂れ流してくれるからねぇ。そんなありがたいことはないでしょう?神の使いだか何だか知らないけど、とにかくもうあんな爬虫類に頼ることはないわ。そうそう、あなたたち体を清めたいんじゃなくて?あそこにある青の大きなバケツに、神様の唾液が溜まってるからね。どうぞ、遠慮なく浄化していただいて。」

 そして案内されたポリバケツの前。空から降ってきた純白に輝く神の唾が、植物や虫たちを巻き込んで大切に保管されていました。

「全部は使っても大丈夫よ。いやぁアガペーアガペー。」

 私たちがこれを浴びた瞬間に、徳を積んだことが確定し、舞い上がる受付嬢のことを思うと、あまり気乗りはしませんでした。しかし、体を綺麗にしたいのは事実。勢いよく頭をポリバケツに突っ込みました。しばらく息を止め、顔を上げる私。目の前に広がる真っ黒な液体。こんなにも自分が汚かったのかと驚愕するほど、信じられない闇の色。私が綺麗になればなるほど、神の唾はその分の汚れを全て吸収してくれました。

「さすが神の唾。絶対性高濃度リゾチーム。いや、莫大な人間の汚れを浄化しなければならないことへの、ストレス性高濃度リゾチームかもしれない。あぁ、そんな負担を減らすために、神の使いとして銀の蛇を人間界に送ったんやろうに。」

 そんなことを考えていると、頭からポトっと何かが落ちました。下を見ると、そこには真っ黒で、どことなく蛇似の小さな虫が、必死に体を左右にくねらせていました。

「さっきのポリバケツに入ってた虫!あんな地獄の汚さに変貌した液体の中で、まだ生きてたんか!」

 ゆっくりと力なく、部屋の左奥まで向かおうとしている様子の小さな蛇。

「人間の汚れを生命力に変えて、真っ黒な神の使いが現れた。銀の蛇を蘇らせるためには、こいつが最後かもしれない。」

 最後の力を振り絞って前に進む姿に、手助けするなんて野暮だ、と考えた私は、せめて出会いの瞬間を見届けたい思いました。

「もう少し、もう少し。」

・・・バタンッ

「どうだった?汚れは落ちたかしら?」

 勝手に部屋に入って来ては、私たちに神の唾を分け与えたのは、この私。徳を積んだのは、この私。と案の定、そんなことを言っているかのような表情で舞い踊る受付嬢。

「は、はぁ。まぁ、ぼちぼちですが。ありがとうございました。」

 一応、感謝を述べた私たち。これも積み上がる感謝の徳。しかし、これが間違いでした。

「あら、そう。それは良かった!今日はゆっくりしていってね。」

 そう言って振り返ろうとした彼女の足元に、さっきの小さな蛇。

「あっ・・・

 しかし、時すでに遅し。

 彼女の汚い靴を受け止める生命力が、その蛇に残っているはずもありませんでした。

「もぉ、汚いわね。ごめんなさいね。後でしっかり清掃の方に伝えておきますからね!」

「・・・いえいえ。お気遣いなく。」

 私たちが感謝を言ったばっかりに、徳積んで神からの恩恵受けよう精神に拍車がかかってしまった。しかし、両者共に欲しがる徳。

「あぁ、ごめん。誰か、ごめん。」

 何に対してか、もはや謝ることが正しいのかすら分かりませんでしたが、全てが上手くいっていないという確かな事実がそこにはありました。


 神を崇拝し、徳を積めば、自分にそれが返ってくる。純度100%の自己犠牲に、人間は自らの手で打算性を侵食させてしまったのです。

 意図ある自然の摂理を捻じ曲げて、自らを欲す。

 部屋での汚れたやりとりを見られていたのか、窓の外では雨が降り始めました。いつもより強い雨。しかし、足元の小さな蛇が再び動き出すことはありませんでした。







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