文章を書くことが最近人生の中心にある私。
最近、文章を書くのが楽しすぎて。
まるで人生を文章を書くのために過ごしてるみたいになってる。
作家でもないのに。。(^^;
まず、
「今日は何を書こうかな」って思って一日が始まる。
そうするとただの通勤時間や散歩なのに、
まるで、子供の目線みたいに、初めて物を見るかのように、周りを見るようになった。
その時に感じる、自分の心の動きを微細に観察するようになった。
そして、ひとたび「あ、これなんか気になる」「ちょっとざわざわするな」と思うと、
「あ、これ文章に書きたい!」になる。
そこですかさずスマホにメモを取る。
そしてこれを、「どうやって文章で伝えよう」って、次はワクワクするの。
それは、
友達に女子会で「こんなことあったんだよー。」って
伝えに行くような気持ちかな。
どうやったら、この気持ちたくさん伝わるだろう?
どうやったら嬉しさ、気づき、一番伝わるかな。
しっくりする言葉を、心と相談しながら
選びながら文章を書いている。
これが、本当に楽しい。
そして、最近さらに文章についてやりたいことができてね。
それは、表現力の強化。
以前、私の心の微細な変化を文章にしようとしたことがあった。
だけど、いくら書いても、
私の表現力では、それをうまく伝えることができなくて。
悔しいけど、その時は断念した。
その時、「ああー、もっと表現力があればな」って痛感したんだよね。
そして「私の「こうなりたい」っていう作家さんの本を読んで、表現を研究しようかな」って自然に思った。
そこで、最初に浮かんだのが森下典子さんだった。
森下典子さんは、「日々是好日」という映画の元となった小説を書いた作家さん。(おととし、黒木華さんと樹木希林さんが主演で上映されていた映画です)
森下さんの表現は、静かで、謙虚で、とてもチャーミング。
そしてとにかく抜群にセンスがいいの。
例えばね、水とお湯の音の違いを「お湯はトロトロ、水はキラキラって聞こえる」と表現している。
これを聞いて、お湯と水が、ただの物体ではなく、
とてもかわいいものに思えた。
お湯も水も個性があって、生きているような。
飛び跳ねているような
音も情景も浮かぶ。
それでいてまさに、ピンポイントな表現。
こんな表現で文章を書けるようになりたいなって、
強く強く思っている。
実はね、私意外に文章を書くことにトラウマを抱えていたことに
今になって気が付いたんだ。
以前書いたエッセイ教室で、私の文章に対して言われた「ダメな文章ですね」という先生の言葉。
それはそれで、終わったことだったはずなんだけど、
今でも時々その言葉がうずいてくるのがわかる。
「文章下手なのに、楽しんで書いてても何にもならない」
「そんな下手な文章をそもそもネットで公表してもいいだろうか」
油断してると、自分の中でそんな言葉が湧いてくるんだよね。
だけど、今はむしろ「だからこそ、自分らしい言葉で書きたい」「伝わる文章を書くことをあきらめたくない」「この気持ちをどこかに残したい」って気持ちが強いの。
ほんと、何がここまで駆り立てるのかなって思ったらね。
こうやって、文章を書いていて、コメントをいただけて、
私に話しかけてくれたり、
共感しましたって言ってくださる方がいて。
そういう方とのやりとりが、
「私なんか文章書いたら駄目だ」っていう気持ちを取り払って、
「それなら、もっとやってやる」って気持ちにさせてくれたんだろうなって
思う。
ネットで、私の文章が、私の気持ちが、こうやって伝わって、
何かがその人の心に届いて、わざわざコメントまで書いてくださってるんだって思うと、
私には行けない場所に、文章が飛んで行って、私の代わりにその人とお話しているんだってことなんだよね。
それってすごくない?
嬉しいなぁ、ありがたいなぁという気持ちと同時に
もうひたすら感じる満足感。
「これでいい」「十分だ」ってものすごい満たされた気持ちになっている。
そう、
下手でも文章書いてもいいんだよね。
駄目な文章なんてない。
誰に何と言われても、
私はそう思うことにしよう^^
だけど、今よりももっともっと、
私の感動したこと、気持ち、見た光景を、
そのまま、ありのまま、ここで伝えられたらな。
そのための努力はこれからめいいっぱいしたいって思う。
ああー、とにかく文章を書くのも読むのも大好きなのです。
もっともっと書きたい。もっと伝えたい。
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