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休職して4ヶ月、今後どうする?

休職して4ヶ月が経過した。寒いからか精神的に辛く寝込む日が続いたが、ここ数日でやっと回復した。

最近は休職明けのことを本格的に考えるようになった。私は薬剤師免許を持っているが、以前も書いているように薬剤師に関する業務に全く興味が持てない。小学生の頃から家族に「医学部に入れ」と言われて育ってきた私にとって、医療系へ進まないという選択は当時ないに等しかった。自分の適性と選択のねじれに向き合う時が来たようだ。
今まで経済的な事情から薬剤師に関する働き方しか選んでこなかったが、最近は医療と直接関係がない選択についても考えるようになった。

年明けから始めたブログ、プログラミングを今も続けている。ブログはアドセンスの審査に(多分)あと一歩のところで落ちてしまったので、また記事の数、質を上げてリトライする予定だ。
プログラミングは書籍やUdemyの動画を使って進めている。文章以外のものを一からつくるという経験をしてこなかったので、些細なものでも思い通りにつくれると新鮮な感動があった。どちらもすぐに収益や仕事につながるとは考えにくいが、何より前進しているという実感がある。
誰が決めたことでもなく、自分自身が心から興味があることを追う。幸せな時間であるはずなのに、一方で不安が常につきまとう。休職が終わってからの時間が、いつも頭の片隅にいる。
今の自分が復職しても同じことを繰り返すことは目に見えているが、他にあてがあるわけでもない。探せば薬剤師の仕事はあるだろうが、恐らく続かないだろう。

今までは「不安」というよりも「不満」の感情が強かった。選択の余地があるにせよ、おおよそ親の期待したレールの上で人生を歩んでいた。「あなたは恵まれている」の言葉に心を刺されながら大学へ通い、国家試験に合格した。
しかしその後のキャリアがこのままでは上手くいかないことをはっきりと自覚し、親が敷いたレールから外れて歩こうとした今、かつてないほどの大きな不安を感じるようになった。
「レールの上の人生」というと陳腐で退屈という語り口で使われることが多いが、レールの上だからこそ得られるメリットもある。私は親が決めたレールだからこそ今まで数々の苦労をしてきたが、同時にこの生き方だからこそしてこなかった苦労も確かに存在するはずだ。

母親が決めた進路を押し付けられ、苦悩の末に母親を刺殺してしまった女性がいた。判決が出たのち、裁判長が彼女に伝えた言葉を一部紹介したい。

「・・・これからは自身の判断で進路を決めなくてはいけません。敷かれたレールを走ったのは楽だったこともある。愛情もあったと思います。(中略)負けずに自分の選んだ道を歩むことで、更生してほしいと思います。」

母という呪縛 娘という牢獄(斎藤彩/講談社)

親が進路を決める背景には親自身の見栄だけでなく、子どもに苦労してほしくないという心配もある。親が決めた進路を覆して自分で道を選ぶということは、本来しなくて済んだはずの苦労を自分事として引き受けることだ。
私はこの一年で親との関係は清算することができた。しかしそれは決してゴールではなく、むしろ自分の人生を歩むためのスタート地点に過ぎなかった。自分が何を好きなのか。親から与えられたものを放棄してどう生きるか。それで生活していけるのか。不安は尽きない。

今月末で29歳になるが、ある意味では今年が私の0歳なのかもしれない。

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