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薬局実習に落ちた話と私の仕事

大学時代の失敗は数多くあるが、一番は薬局実習に落ちたことだろう。
大学側でも黒歴史として後輩に語られていたし、卒業して数年が経つのに飲み会でもいじられるほどの大失敗だ。今は笑い話で済んでいるが、当時は中退や人生を終わらせることも考えた。

当時は実習に落ちた原因に納得していなかった。実習先がハズレだった気もするし、自分のやる気が足りなかった気もする。そのどちらも原因のような気もするが、誰に何を言われても腑に落ちなかったのだ。
卒業して数年経ち、自分が毒親育ちであることを自覚するようになって初めて、自分が腑に落ちる原因をつかめたような気がする。

女社会になじめなかった

平成30年医師・歯科医師・薬剤師統計によると、薬剤師総数の約6割は女性だ。
中でも薬局と医療施設では、約2/3が女性と言われている。

職場によっては女性が多いことで、女社会特有のコミュニケーションが求められることがある。
実習先の薬局も薬剤師が全て女性で、察して動くことを求められていた。自分がいくら努力しても、他の薬剤師の期待には届かなかった。休憩から戻ってくると異様な気配があり、自分がいないときに陰口を言われているような雰囲気を感じる。
実習を経験した人なら知っているかもしれないが、ここまでは割とよくある話だ。そこでがむしゃらに努力して見返す学生もいれば、実習先の変更を願い出る学生もいる。なじめなくても最低限の努力をして、何とか乗り切る人が多いのではないだろうか。ストレスはたまるが、何せ国家資格がかかっている。
私がその「最低限」をクリアできなかったのは、環境以外にもいくつかの要因があったからだ。

薬剤師に興味がなかった

薬学部に入学して実習まで受けておきながら、私は薬剤師という仕事に興味を持てなかった。仕事の意義や必要性は理解しており、仕事そのものの価値を否定しているわけではない。しかし自分が進むキャリア、今後食っていくための道としてどうしても受け入れることができなかった。

そもそもなぜ薬学部に入ったのか。
振り返るとほぼ100%母親の意思だった。
「その学部は免許が取れないから良くない」
「その仕事は気が強い人が多いから、あなたには合わない」
「その学部からは就職できない」
高校生の私が進路について調べていると、母はそう言って選択肢をことごとく潰した。結果として私には母がよく知りよく望む、医学部か薬学部の選択肢しか残らなかった。
今となってはそれが根拠のある発言ではなく、自分の見知らぬ世界に子どもを行かせないためのでまかせだったことがわかる。
直接「薬学部へ入れ」と言われるより質が悪いことに、この方法だと追い込まれた末の選択であっても、見かけ上は自分で選んだ進路になってしまう。私は自分の意思を考える機会もないままに医療系の進路を選ぶことになったが、そこには当事者意識がない。

どんな進路にもつらいことはつきものだが、自分の意思で選んだ選択であればまだ納得できる。私に欠けていたのは、この当事者意識だった。
実習先にはなじめず、指導薬剤師からの評価は低い。努力しなければならないと頭で理解していても、体は動かない。次第に酒を飲む量が増え、実習後のアルバイトに打ち込むようになった。
酒を飲んでいる間は逃避できたし、人生においてアルバイトだけが自分で選んだ全てだった。実習中は時計ばかり気にしていた。だから落ちたのだろう。

人を頼れなかった

「そこまで追い詰められたのなら、誰かに相談すればよかったのではないか?」
ここまで読んで、そう思った人もいるはずだ。実際に実習の担当教員にも言われたことだ。その対応ができなかったのは、私が社会を信じられなかったからだ。背景には学習性無力感があったと思う。

学習性無力感とは、「自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態」のことをいいます。

第3回 やる気のない無気力な子 ――学習性無力感(Learned Helplessness)(光村図書)

子どもの頃、酔って暴れる父について祖母や叔母に相談したことがある。助けてくれないどころか、「お父さんは病気だからあんたが支えなさい」と言われただけだった。母はその場さえ収まればと、根本的な改善をあきらめていた。誰に相談しても助けてくれないことを、私は学習してしまった。

大人になってからも、誰かに頼るのは苦手だった。相談した相手に「あなたが悪い」「自分でなんとかしなさい」と言われることが怖かった。実習が終わるまで何もできず、しまいには最悪の結果になってしまった。

自分で選んだ仕事

その後、なんとか再実習で単位をもらって卒業して国家試験にも合格した。新卒でドラッグストアに就職したが、縁があり今はライターとして働いている。今の仕事に100%の興味があるとはいえないが、ライターは自分の選択肢の中ではベストのものだった。
社会に出てから試行錯誤を重ね、やっと自分の意思を人生に反映できるようになった。今の生活は自分でつかんだ選択肢だと、自信を持って言える。

自分の肩書について話すときは、薬剤師ではなくライターと名乗ることにしている。どちらも間違いなく自分の一部ではあるが、その方がより自分の意思に近い気がする。

実習に落ちたことは今になっても良い経験だったとはいえないが、あのとき感じた強烈な違和感は、私をあるべき場所へ追い立ててくれた。
まったくもって経験したくはなかったが、あれも一つの縁だったのかもしれない。

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