恋愛が書けない
小説を書いていると、上手く書けない部分に何度もぶつかる。
情景をうまく表現する言葉が浮かばないときや、場面を切り替えるタイミングに迷うとき。Wordを開いたまま、呆然と過ごす時間がある。
一度気分転換して突破できたこともあれば、その小説を書くこと自体やめてしまったこともある。
最近ぶつかった壁の中で、一番大きなものが恋愛だ。とにかく書けない。無理に書いても陳腐な表現しか出てこない。
例えば登場人物の二人が出会う前、それぞれ一人で過ごす場面を緻密に思い描けるのに、出会って恋に落ちるところで筆がぴたりと止まってしまう。
頭の中で、一時停止ボタンでも押されたかのように。
何故書けないのだろう。
今まで、恋愛というトピックに深い興味をもたなかったからだろうか。
恋愛経験はあるが少ない。家庭教師をしていた頃、生徒から今まで付き合った人の数を打ち明けられ、その数が自分の倍以上だったことに驚いたことがある。
少女マンガは今まであまり読まなかったし、恋愛関係の相談をされることはあっても、共感できずに相槌を打つだけだった。
ところが、ようやく書けない状態から脱することができた。
解決策は、恋愛について書こうとしないことだ。
禅問答のような解決策だが、そうではない。解決のきっかけはウディ・アレンの「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」を観たことだった。
(以下、本編の核心に触れる部分があるためネタバレが苦手な方は注意)
主人公はハプニングに巻き込まれながら、自分の住んでいた街を見つめなおし、自分の好きなものや運命と向き合う。
Wikipedia には「ジャンル:ロマンティック・コメディ」と書かれているが、本作品のテーマは自己を再発見する冒険ではないかと思った。
ギャツビーが馬車へ乗ったアシュレーに「僕は帰らない」と別れを告げた時、アシュレーは振り向いて彼を引き留めようとしていた。
しかし馬車が走り出してしまうと、アシュレーは前を向き先を急ぐような様子を見せた。
失恋から立ち直るにはあまりにも早い。
アシュレーはギャツビーと道を違えることに、既に心のどこかで気付いていたのではないだろうか。
映画を観て気付いたのは、恋愛そのものではなく恋愛を通した登場人物の変化を書けばいいということだ。
恋愛はメインテーマではなく、あくまで触媒だ。
恋愛を通して成長することもあれば、相手への執着でボロボロになってしまうこともある。
登場人物がそれぞれ出会う前にどんな人間か、出会ってからどうなるかが想像できれば書けるはずだ。
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