日本一周、完走した感想
さて、無事日本一周を完遂しましたので、備忘録がわりに感想等色々まとめておきたいと思います。ダイジェスト形式ですが結構文字数があるので、まとめだけ読んじゃうぜ!というせっかちさんは、たぶん5.辺りから読んでもらえればいい感じになると思います。
1.動機
僕はそもそも旅をするのが好きで、友達を誘って旅行に行ったり、春夏冬には毎回青春18切符を買ってフラフラしたりと色々やってきた。そんな中で沸々と、自分の身一つで日本を駆け巡りたいという想いが膨らんでいた。
友達との旅行は無論目的地あってのものだし、18切符は降車自由とはいえ本当に何もない駅で降りることは早々ない。ならば色々見てみたいと、そんな思いで計画を立て始めた。
また、精神的な要因も大きかったと思う。学生時代に何も成し遂げられていないという焦りや、就活などからの逃避、そういった面も大きかった。あわよくばこれで何か起きれば──みたいな、宝くじ感覚の気持ちも少しだけあった。(この辺りは後にもう少し掘り下げる)
2.準備
さて、日本一周する上でまず大切なのは移動手段だが、ここは迷いなく自転車を選択した。動機の面で書いた理由から電車は論外として、車・バイク・徒歩という選択肢もあったが、前者二つを使うと旅というより旅行になってしまう気がして、選択肢からは自然と抜けた。苦労と達成感は比例するものだ、どうせやるなら地力で全力で挑みたい。
かといって徒歩は予算的にも時間的にも厳しいだろう。ということで自転車に決定。次に考えたのは自転車の種類である。初めは友人の勧めでロードバイクにしようと思ったのだが、キャリアの搭載が難しいなど諸々の理由でランドナーに変更。旅する自転車とも称される車種で、実際の旅中も抜群の安定感と快適な乗り心地をくれた。
バイトでコツコツ貯めたお金を使って、リュックサック・キャリア・パニアバッグ(自転車に付ける鞄)・テント・調理器具・バーナー・マットなど最低限の野営道具を購入。食費や生活費などのことを考えると野宿がマストであるため、この辺りはそこそこお金をかけた。(といっても学生の手が届く範囲のソレだが)
最悪足りないものは後で買い足せば済むだろうということで、本当に最低限の物だけ揃えて家を飛び出した。それが2022年5月1日のことである。
3.東日本編
始まって数日は、困難ばかりだった。
初日から大雨。雨具は準備していたためここは問題なかったが、雨足で移動距離が遅れ、また途中でキャリアのネジが飛ぶなどのトラブルが生じて、不器用さゆえ直すのが手間取り、暗い中見知らぬ道を進んで、道の駅へ向かう時の心細さ。Twitterで知らないフォロワーに「こんなにやめておいた方がいいと思うこともない」と言われたのを今でも覚えている。
夜も、五月にしては冷え込み、雨に晒された身体には毒だった。必死に厚着しても寒さは変わらず、エアーマットは全然床冷えを軽減してくれず、二時間に一度は目を覚まして「なんでこんなしんどいことしてるんだろうな……」と重い頭で考えていた。初日から本当に情けないことなのだけれど、「帰りたい」と、たぶんこの時が一番そう思っていた。
とはいえその翌日、テントから這い出して眺めた朝日の眩しさと暖かさは強烈だったし、ここから知らない景色に向かっていくワクワクもひとしおだった。
そこから数日も、慣れない旅に四苦八苦したものの、茨城でフォロワーと会って元気をもらってからはスムーズに進むことができた。一度休もうと仙台で二泊し、その後は一気に青森まで北上。なんとここまでの所要日数、わずか十日。自分でもめちゃくちゃびっくりした。
実は東京→青森間は700kmしかない。つまり、1日70km進めば余裕ということである。いま思うと普通におかしい気がするが、日本一周する人間の平均移動距離は100km前後なので、むしろ手を抜いて進んでいると言っても過言ではない。その分寄り道したりのんびりできたりしてるので、その辺は一長一短である。ペース早い方が節約はできるし。
青森県に突入してから更に北上、鉄道すら通っていない下北半島に突入し、何かあったらやばいかもという危機感と闘いながらも、本州最北端の地・大間町に到達。名産であるマグロを模したモニュメントで記念撮影して、達成感に浸りながらも、その勢いのままフェリーで北海道に上陸。
ただし、北海道は自転車では回らず、ラブパスを活用して電車で回った。18切符の亜種のようなもので、6日間道内の路線乗り放題な上に、三回まで特急に乗車することもできる。函館→札幌間だけで片道5000円程度かかるので、そこの往復だけでほとんど元の取れる優れものである。
道内の足に電車を選択したのはいくつか理由があるが、箇条書きにすると
・函館→札幌だけで四日もかかる(まだ北海道の先端の方なのにそれでは時間がかかりすぎてやばい)
・5月なのに気温の低い日が多いため、ワンチャン死ぬ
・僕が自転車のメンテナンスをまともにできないので、町間の距離が広く交通の便も怪しい田舎で何かあったら、ワンチャン死ぬ
・熊
以上である。いま思えばそんな言い訳をせずにきちんと回ってもよかったなと思うが、当時の僕はここまでの時点で早くも三回くらい命の危機を感じていたので、ここまで頑張ってきた分多少の甘えは許すことにしたのだ。
初めての北海道なので色々と観光したり、フォロワーと会ったり、酒を飲んだり、魚介に舌鼓を打ったり、就職した友達と再会したりしているうちに、あっという間に6日が過ぎて本州に帰還。本州最北端のフリーサイトで一泊して、今度は日本海側から南下。初めての秋田ではきりたんぽ鍋を作り、山形の山に喘ぎ、幾度も足を運んでいた日光の地を訪れ、宇都宮で餃子を喰らい、埼玉に感動してようやく東京に帰還。駆け足気味ではあったが、無事東日本を一周した。
帰ってきてからしばらくは身体を休め、ひとまず帰ることに成功した喜びから友達と飲み歩きまくり、西日本に備えてバイトを再開し、歴史的な猛暑のため家族から旅立ちのストップがかかり、残暑も過ぎ去りかけた9月10日、再出発の時が来た。
4.西日本編
出発してすぐに気づいたのは、身体が鈍りすぎてるということだった。
足キツイしペダル重いし東日本の頃のスピードが嘘みたいである。とはいえ最初の三日ほどで流石に慣れたが。
神奈川方面から、主に東海道を通って名古屋まで進んでいく。18切符においても魔の区間と言われる静岡沿いがしんどくて、御殿場に向かうルートなどは完全に生身の人間が通ることを許されていないようなクソ狭い車道の山道だったし、めちゃくちゃ横に長いせいで横断に三日掛かったし、なかなか
大変だった。あと初めて見た浜名湖は結構でかかった。そしてハンバーグで有名なさわやかがめちゃくちゃ美味しかった。
なんだかんだで、きっかり一週間で名古屋到着。仙台のときもそうだけど、電車や新幹線で来ていた場所に生身で到着したと思うとなかなかの感動がある。スーパー銭湯で汗を流して、友達を誘って夜ご飯へ向かう。僕が名古屋で好きな居酒屋に向かって、親子丼とビールを注文。何気にここまで禁酒していたので久々の酒であった。その足で友達の家に泊めてもらい、近所の温泉でぬくぬく温まってからお喋りし、仲良く作業して入眠。
翌日は名古屋でお買い物した後、ビュッフェに向かってドカ食い爆飲み。幸せを貪りつつ、その流れでカラオケに向かって朝まで歌い明かす。ネットカフェで爆睡した後、二日ほどは名古屋駅周辺でダラダラ過ごして休んで、少し迷った結果紀伊半島に向かうことにした。折角なので本州最南端の地を通ろうと思ったのだ。が、この選択が後々自分を苦しめることとなる。
名古屋を出て向かうは伊勢。一度自転車のメンテナンスをお願いして、チェーンの交換を済ませた万全の状態で伊勢神宮に参る。赤福の本店にてかき氷と抹茶と赤福のセットを頼んで一服。至福のひとときである。
台風が上陸していたのと誕生日が訪れるのとで、そのまま二日滞在。ネカフェで漫画を読みながら身体を休めつつ、ファミレスで豪遊して一人寂しく誕生日を迎えていた。……が、たまたま友達と旅行に来ていた妹が会いに来てくれて祝ってくれた。ありがてえ~
気を取り直して南下し始めたものの、紀伊半島はこの旅の中でも長い難所の一つだった。なぜなら、その付近は山だらけな上にとても僻地なので。どのくらい僻地かというと鉄道会社がきっちり赤字らしい。(実は四国もそうらしいけど)
峠に喘ぎながらも本州最南端到着。最北端と同じくマグロが名産品らしく、そこ被るの絶対よくないだろなどと思いつつ、今度は和歌山側から北上。南下した時に比べればだいぶ道程はマシだったが、ゲリラ豪雨とかちあって車がハイスピードで行き交うトンネル内で雨宿りを余儀なくされ、とてつもない不安に駆られたため、和歌山市街に突入して平坦な道を走り始めてから死ぬほど安心したのをよく覚えている。
その勢いのまま大阪に上陸し、旅の疲れを休めてより過酷な後半戦に突入するべく安宿を6日予約。その間関西の友達と遊んだり飲んだりしまくって、寝袋を買って、そうして僕は、フェリーに乗った。向かう先は九州・鹿児島。寒くなってきて生命の危機を感じ始めたので、大幅なショートカットである。
九州編突入。何気に九州も初上陸なのでドキドキワクワクである。志布志港をちょっと進んだだけで本当に何もないだだっ広い平野に出て危機感を覚えたが、無数の山を越えて国分市方面から桜島を拝み、そのまま北上して九州を縦断。熊本県では太平燕(チャンポンのような見た目のご当地料理。麺が春雨であっさりしてて美味しい)を食べた。
途中で長崎方面に向かって本土最西端の地を訪れ、博多でフォロワーのお世話になり、門司港でフォロワーと焼きカレーを食べ、楽しい思い出を抱えながら本州に帰還。
そのまま広島まで向かって、仲良くお好み焼きをパクついて、ホルモン揚げが食べられなかったことを嘆きながら尾道に向かい、そこからしまなみ海道に突入。
しまなみ海道は本州と四国を結ぶ、離島沿いの道であり、自転車で横断することが可能である。
島の雄大な自然と橋から見る海や小さな渦潮を眺めながら、これまでの過酷な車道と違い、ある程度自転車ファーストで整備された道をいく。走りやすい上に同胞をごぼう抜きにしていく気持ちよさが堪らない。重い荷物を背負っているというハンデもあったので、ここはまたいつか走りたいという想いがある。道中の自転車神社で自転車用のお守りを買い、旅の安全を願い、四国突入。
愛媛→香川の上辺をなぞり、景色や観光名所を堪能しながら松山着。香川はうどんがめちゃくちゃ美味しかった。日取りに余裕があれば泊まってハシゴしたかったかも……お遍路さんなどもやってみたかったが、それはまた別の機会(卒業旅行など)にすることとする。
松山から大阪にフェリーで帰還。今度は二日だけ滞在して、一周目でお世話になった人たちと飲んだり、東京からたまたま来てた友達と神戸で酒蔵巡りしたりした。
帰路は岐阜沿いに名古屋に戻るルートを選択。初めて見る琵琶湖はデカすぎて、普通に海かと思った。
二日かけて琵琶湖沿いの雰囲気を堪能し、8℃という秋場にあるまじき気温の夜を越えて名古屋に帰還。またも友達の家に泊めてもらい、お洒落なご飯やイタリアンビュッフェを堪能して元気をチャージし、。
静岡ではまたもさわやかを貪り、旅で大きくなったおかげか小さく見える浜名湖を眺め(どちらかといえば琵琶湖のせい)、そうして富士山のお膝元まで帰還。
あと数日で家に着くことを楽しみに思うと同時に名残惜しいとも感じつつ、行きはスルーした箱根峠に挑戦する。
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旅の中でも一番と言えるほど険しい山道を登り、高原を越え、標高864mの高みにたどり着く。昼ごはんにホルモン焼き定食を食べ、神社や湖などを眺めて、ガッツリエネルギーを得てから今度は下りである。
数十分に渡って続く下り坂を楽しみ、道中の神社に参拝してから小田原に突入。
峠は越えたし今日はある程度まで進めて明日家に帰るか、と思っていたにも関わらず、流れで町田まで戻ってしまい、町田まで来たらもう同じだからとそのまま帰路に着く。ここまで来てしまえばもう、夜だろうと明るい大通りだらけなので、疲労だけ気にしながら夜10時に帰還。こうして、無事に日本一周を終えた。
5.学んだこと
さて、合わせて三ヶ月半で終えた僕の日本一周だが、旅をして様々なものに触れ、色々な人と出会って思考を巡らせていく中で、色々なことを学んだのでここに箇条書きで記していく。
・1日あればやれることは無限
・命があればそれでいい
・タスクはさっさとこなせ
・サボり癖をつけるな
・時には飛び出してみることも大事
・身近な人への感謝
凡庸なことばかりなので、もう少し掘り下げる。
僕は毎日、80~100km程度は動いていた。生身だと思うとなかなかすごいようにも思えるが、実際その程度の距離、乗り物を使えば余裕で動けるわけだし、北海道から沖縄まで縦断するのだって、飛行機を使えば半日もかからず達成することもできる。
逆に、一日かければ生身でも東京から鎌倉くらいまでは進めるし、その中で都会の街並みを眺めたり段々と郊外に進んでいく感覚を味わったり、海まで辿り着く感動を楽しむこともできる。
何気なく学校で過ごしたり、バイトに費やしたり、飲んだくれて終わったりしていた一日って無限の可能性を秘めていたんだなあ……と思った。それを100日近く繰り返せば、日本一周だってできるんだし。
それを行うのも、健康な身体と生命があってこそのものだと気づかされた。人っていうのは本当に脆くて簡単に死にそうになる生き物なのだ。何度か油断して、車道に飛び出しかけたこともあった。狭い山道でクラクションを鳴らされて心臓が縮み上がったこともあった。野営してるときだって、害意ある誰かや獣に襲われれば一溜まりもないのだ。
旅の間何度も神社に寄ったが、その度に必ず『無事に帰れますように』と、
そう願っていた。大袈裟だとは思う、日本なんて基本的には治安が良い平和な国だ。それでも、油断して何かあってからでは遅いし、旅の間助けてくれてた人たちや友達、送り出してくれた家族に申し訳がない。
なので安全に動くことだけは常に意識していた。雨の間は極力動かず、暗くなる前にある程度大きな街には着けるようにする。不要な焦りや不安を生まないように、その日のタスクはなるべく早く終わらせて、最悪の場合は妥協も辞さないようにしていた。一度真っ暗な山の中を進まなければいけなくなりそうな日があり、その時は諦めて五キロほど引き返した覚えがある。
この姿勢は旅全体を通して思っていた。そしてそのために、なるべくサボらず毎日動くようにしていた。
80kmまでいかなくても、見るところがあるなら40kmでも50kmでもいいのだけれど、コンスタントに動き続けるようにする。時には休養も重要ではあるが、それは行き過ぎるとサボり癖――ひいては旅の停滞を生むと、そう思ったので。
休んだ分を取り返そうと焦って動けば、その分危険も増える。街の距離なんてまちまちなのだ、山道の中腹だとかで夜を迎えたら目も当てられない。とはいえもう少しゆっくり回ってもよかったと思うが、そうすると夏・冬の厳しい時期にさしかかってしまうし、常に動くことで色々な刺激を受けられたので結果的にはよかったと思う。勿体なかったという思いもあるが。
ラストの一文はもう、言うまでもない。どれだけの人に支えられているのかを教えられた。感謝しかない。
6.まとめ
旅立つ前に一度、不安になったことがある。旅の安全どうこうではなくて、その先。日本一周してどうなるのか、何が変わるのか。何も変わらないんじゃないか。それをして何の意味があるのか。自分の中では後悔のない選択であっても不安に思ってしまって、酒の勢いでそんなことを後輩に呟いた夜があった。
「いいんじゃないですかね、なんも変わんなくても。少なくとも実際に動ける人って絶対レアですし、たぶんその中で得た物って、いつかセンパイの何かになりますよ」
実際、旅を終えても僕は変わらなかった。自信は足りないし、努力も足りないし、学んだ物は活かしきれないし、復学までのロスタイムを既に二ヶ月もバイトと遊びでふいにしている。
でも、得た経験すべてを捨て去った訳じゃない。サボり癖は減ったし、1日の重みも実感したし、旅の間見た様々な景色は、いまも心とフォルダに残っていて──きっとこれから、力になってくれると思う。
時折夢想する。テントで目覚める朝を。陽射しが差し込んで暑すぎる夏と、床冷えして薄闇の中目を覚ます冬を。それすらも今は愛おしい思い出で、これからはそんなこと早々経験できないと思うと寂しいが、長年の夢であった日本一周を終えた以上、僕も次に進まなければいけない。
別の夢を、見据えなければいけない。
今回得られた学びのひとつに、『有言実行』がある。日本一周だって、数年懸けてある程度準備して、学校を休学して、その旨を色々な人に伝えて、いわば自ら退路を絶ったからこそできた部分がある。
無論、褒められたことではないのは確かだ。本来なら自分の固き意志を持ってやり抜き、叶えるべきであると思う。だが同時に、堂々と主張することは覚悟の表れでもある。自分はそうなるんだと、そう臆面もなく主張して、僕は夢に向かいたい。
ということで、僕は作家になる。書店に自分の作品が並ぶその日を目指す。
きっといつか賞を取ると、そのために筆を執る。これまでも短編などをいくつか賞に投稿してきてはいたが、きちんと長編で勝負して、結果を残したい。
いつになるかわからないけど、なんて枕詞は付けたくない。たぶん、二年以内には決着をつけないといけない。そう思うと猶予なんてほとんど残されていないけど、今までの人生をなあなあで生きてきた分、これくらいは本気で望みたいのだ。
ここまで付き合ってくれたあなたに、最大限の感謝を。タメになったかわからないし楽しんでもらえたかもわからないけど、暇つぶし程度になったなら幸いです。今後もよろしくお願いします。
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