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インドの病院見学: 僕はどう生きてどう死ぬのか

インド縦断21日目の髙木翔成でございます。

先日、バンガロールでインドの民営病院を見学した。
脳死状態になった男性が病院から救急車に運ばれていた。
もう意識が戻ることはないだろうと医師が言っていた。彼は26歳だった。

家の2階から落ちて、この病院に運ばれてきて手術を受けた。
しかしその人の家族は入院費用が払えず、安い病院に移ることになった。
彼がもし富裕層でこの民営病院に残れたとしても結果は変わらないのだが…

インドでは医療の料金がバラバラだ。
病院によって、医師によって、料金が変わってくる。
(日本では国民皆保険制度によって、一律となっている)
公立やクリスチャンの病院は安いが、私立病院は高い。私立病院は中~富裕層向けだ。
民営の病院では黒字にしないといけないから、お金の払えない患者をいつまでも病院に置いておくわけにはいかない。
経営者にとっての病院と医師にとっての病院は別物だ。医師が経営するべきではないと思った。
どんなに人助けしたくても経営の面ではシビアに判断しなければならない。


その光景を見てぞっとしたが、彼を不幸だとは思わなかった。

死ぬ直前までハッピーで、事故でぱっと亡くなったならそれはハッピーな人生だったのでは?(彼の26年間がハッピーだったかどうかはわからないが、、)

残された遺族は彼の死を悲しむから、遺族にとっては不幸だ。

認知症になったり、介護が必要になって、息子家族から鬱陶しがられながら生き延びるよりかは、僕はパッと死にたい。

そして、事故やケガで僕はいつ死ぬかわからないとまた実感した。ホントに。
直接の知り合いではないのだが、昨年、北大生が登山中に亡くなった。

1日1日を楽しいものにしたい。そうしないと命がもったいない

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