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【後編】幸せ=選択できる自由と選択肢の少なさ

ラオスが居心地の良いことは前回の記事で書いた。
前回記事:【前編】「幸せ」を垣間見たラオス・ビエンチャン

理由を簡単に説明すると、
①物価が安くてお財布と心に優しい
②田舎だからせかせか忙しそうにしている人がいないし、見るところもないから自分もゆっくり過ごせる
だ。

居心地が良いこと自体、幸せなことだ。
ただ「なんで、何もないビエンチャンでこんなに幸せを感じるんだろうな〜」と失礼ながら考えていた。

そこで考えついた答えが「選択できる自由と選択肢の少なさ」だ。

ラオスの物価が安いことは前回記事に書いた通りで、宿+3食+水やカフェでも2000円以下だ。
そこに日本の感覚でお金を持っていくと、出費の額がかなり小さくて、あまり心が痛まない。
日本だと、3食外食した際には多少なりとも心が痛まないだろうか?
「あぁ、節約しなくちゃいけないのに…。またお金を使ってしまった…」

ヨーロッパ、特にフランスのパリのような物価の高い場所だと、安い宿でも1泊5000円はする。
そんな場所では、何かお金を払うたびに心を痛めなければならない。

それに加えて、お金に余裕があるということは「選択できる」ということだ。
何を食べるか、どんな交通手段をとるか、何を着るか、何をするか、その選択を自由にできる。

とは言え、物価の安いラオスに来たからと言って、僕が豪遊しているかと言うと、全くそんなことはない。
なぜなら何か欲しいものがあるわけではないし、これ以上ものを増やしてバックパックを重くしたくはない。

重要なのは「お金がたくさんあり、そのお金を使って何かを買うこと」ではなく、「お金に余裕があり、必要に応じて必要な手段を選択できること」だと思う。


「いや、お金があったら使いたくなるだろ。なんせ仕事を頑張って稼いだお金だし、仕事のリフレッシュもしたいし」
というツッコミも考えられるし、「そりゃそうだ」とも思う。

なんと言っても日本には魅力的な娯楽がたくさんある。
マンガ、温泉、旅行、映画、遊園地、スポーツ、カラオケなど、都市はもちろん、ある程度地方のところでも楽しめるのだ。
休日の貴重な時間を娯楽に使いたくなるのも当然だ。

しかし、日本にはあまりにも魅力的な娯楽があり過ぎる。
たとえ土日フルで使っても足りないくらいに娯楽が豊富で、さらに毎週末をフルで娯楽に投じられるほど、お金に余裕のある人もあまりいない。

ひるがえってラオス首都ビエンチャン。
何もない。
お金を落とすところがご飯とビールくらいしか見当たらない。
そして、それすらも安い。

つまりラオスでは娯楽の選択肢が少ないから、
「これもやりたい、あれもやりたい。あぁ、でもお金も心配だ」
とならないのだ。
それに、ない娯楽をねだっても仕方ないので、「今あるご飯、ビール、宿の友達との会話を楽しむか」と割り切れる。


「お前は仕事をほとんどせず、旅行してるからそりゃ幸せだろ」
と言われたら、残念ながら返す言葉がない。
もちろん、それは自覚している。

ただ日本には素晴らしい娯楽があり過ぎるがゆえに、「娯楽を楽しみたい気持ち」と「お金に対する不安」が死闘を繰り広げる。
娯楽を思いっきり満喫した日には、お金を使った罪悪感が少なからず残る。
お金のことを考え娯楽に一切ひたらなかった日には、人生を損しているような気持ちになる。


長々と買いていると、「何買いてたんだっけ?」とわからなくなるので、そろそろまとめよう。
・ラオスは物価が安いため、日本人の金銭感覚からすると、いろいろなことの選択がより自由な気持ちになる。心に余裕が生まれる
・お金を落とす場所の選択肢があまりに少ないため、そこに満足感を見出せるようになる

これがラオスにいて、僕が幸せを感じる理由だと思う。


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