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宮沢悠生と『ひたたまドン』

宮沢悠生くんは大切なサッカー仲間です。2010年の10月、私がドイツに来て2年目に、ケルンにある体育大学のドイツ語コースで一緒になりました。ややこしさがピークに達しつつある文法と、なぜかいつも反対になってしまうRとLの発音に悩まされる日々。悠生くんはサッカーの話を日本語でできる、オアシスのような存在でした。そう言えば、天気によって機嫌がコロコロ変わるミュラー先生の標的になっているのを横目に助け船も出せず、「乗りこえろ。君ならできる!」なんて念じていたっけ、と久しぶりに思い出しました。

あれから10年

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宮沢悠生はひたすらに突き進んで、どんどん前へ。現浦和レッズの長澤和輝選手、現ブレーメンの大迫勇也選手の通訳として1.FCケルンで過ごし、ドイツのA級ライセンスを取得すると、オーストリア1部レッドブル・ザルツブルクへ。現職であるアカデミーU15コーチに就き、現リバプールの南野拓実選手、いまもザルツブルクで活躍する奥川雅也選手を通訳として間近で見守りました。昨年は日本のS級ライセンスも取得。美しいお嫁さんも見つけ、いまや2児の父。そんな悠生くんと久々に話をする機会があったので、みなさんに紹介します。

ドイツの勝負強さ

ところで、題名にある謎の言葉『ひたたまドン』は、とりあえず悠生くんには関係がありません。私の20年来の大切な友人がいつか教えてくれた言葉です。

「愛ちゃん、ひたたまドンって知ってるか?あのな、ひたひたと、”たまたま“ が寄ってきて、“ドーン“や!」

お察しの良い方には解読できるかと思うのですが、つまり人生で何か大きな出来事がある前に、実は音もなしに偶然(実は必然)が寄って来ていていて、「ドーン」が起きると。説明になっていませんね。でも、何となく伝わります?

さて、話を悠生くんに戻します。いま、サッカーの指導者を目指している人や、海外で挑戦したいと思っている人には通じるところがあるかもしれません。まずはなぜ彼は最初にドイツを選んだのでしょう。

「日本でプレーしていた時、“いいサッカー“ 、具体的にはつなぐサッカーだったり、見ていて面白いサッカーという定義が自分の中にありました。でも、勝負どころで勝てなかった。それで、いつも勝っているのはどこだ?となった時にドイツでした。勝負強さに憧れましたね」

実際にこちらへ来てしまった人から聞くきっかけやら理由は、結局、大体がとてもシンプル。ちなみに、サッカーが理由でドイツへ来る人たちにはそれなりに共通点があります。例えば、自分を「普通」だと思っているけど、だいぶ「普通」じゃないところとか(笑)さて、悠生くんが実際に目の当たりにしたドイツサッカーはいかなるものだったのでしょうか。

「最初は日本人は学べばすぐに勝てる、追いつけると思っていましたが、世界一に何度もなっているドイツの強さには近づいていない気がします。簡単にいけると思っていたのに、まだ離されるなという。勝ち続けるために必要なことは学べるものだと思っていたけど、学ぶものじゃないと思ったりもするし。サッカーだけでなく、もっと根深いところ。考え方が、文化とか宗教から来ていて、食べるものとか生活の仕方につながって・・・根本的なところで差というか違いがありました。ドイツ人はなんでおまえこんなに自信もってるの?ってくらい自信をもっている。その自信や、エネルギーみたいなものが集まったときに、平気で戦術を超えちゃうんですよね。それを上回る戦術をもっている監督は良いですけど、持ってないかったら飲み込まれます」

本当に。ドイツ人は根拠があってもなくても自信がある。余談ですが、私はケルンの町クラブで、U6,U8とU13の選手たちと関わっています。彼らの「自信」は、それはもういっちょ前。ゴールポストにシュートが当たって1cm内側だったためにボールがゴールに吸い込まれたなんて場面でも「ああ、ラッキーだった」ではなくて「誰がシュートしたと思ってる?俺だよ」みたいなね。例になってます? 

日本のトップ選手たちに接して

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さて、それでは日本人はどうしたら良いのか。悠生くんは前述したように、長澤選手、大迫選手、そして南野選手、奥川選手と、欧州を舞台に戦う日本トップクラスの選手たちを間近で見てきました。

「彼らのおかげで、日本との違いや、それでも通用する部分を勉強させてもらえました。サッカーの試合において、勤勉さ、真面目さだけでは勝てない。でも真面目さは必要。その部分は日本人でヨーロッパに来るレベルの選手たちは世界で通用すると思います。勤勉さが日本の武器になるか、世界で勝つための武器になるかは分からいですけど・・・チームのために走る、自分に与えられた役割を点差がどうであろうとやりこなす。時間通りに練習へ来る。与えられた練習メニューをしっかりやる。あとは細かい局面でボールを扱うことは優れていると思います。分かりやすく言うと50mをぶっちぎれる選手はいないが、5mのボール回しを3対1でやると、日本人選手の良さが出ます」

ちなみに、大迫選手と南野選手は悠生くんの目にどう映ったのでしょう。

「大迫勇也が、プロフェショナルってこういうことなんだと教えてくれました。彼は自分で何が足りないかをしっかり分析する力があって、それをコツコツ、本当に努力する。日本代表でも、勇也が適応してくれるから周りの若い3人が、自分たちの良さを出して躍動できる。僕が1番嬉しかった得点は勇也がロシアW杯で決めたゴールです。ヘディングの。あれが、人が決めたゴールの中で3本の指には入るゴールでしたね。その後のインタビューと。
拓実とはサッカーやプライベートも含めて本当にたくさんの話をさせてもらいました。通訳の立場なので、選手をリスペクトして、彼がぽろっと話したときに『僕やったらこう思うけどな』という言葉を準備しておく感じで。自分の良さや自分の武器を信じる力、それを試合で出し続けようとする信念は彼が1番ありました」

逆輸入?日本のS級ライセンス取得

日本のS級受講のときの話も聞いてみました。誰もが受けられる訳ではないライセンスですが、そこはいつもの有言実行。「僕、日本のS級取ります」と、まだ受講は決まっていなかった時にきっぱりと言っていて、ああ、いろいろと準備しているんだなと思っていました。悠生くんにとって、日本の本格的な指導現場はほぼ「初めまして」。日本サッカー協会側も「逆輸入」ではないですけど、「日本語が上手な欧州の指導者」として、バンバン意見を述べてもらいたい、というような思惑もあったようです。

「そのために日本で指導者として実績のない自分を選んでもらったのだと思いますね。でも、最初は変に気を使って、自分のポジショニングというか、役割が担えてないのを感じていました。日本語だと、いい意味でも悪い意味でも雰囲気を感じ取ってしまう。結局、僕は外国人ではないので、気づいてしまう。そこは自分に求められたことと違いました。でも、すごく楽しかったです。みんなサッカーが好きで、そんな人たちの中で、自分ができないこと、できることに気づいたり、意見を伝えたり、人の意見を聞くのが。難しかったのは上のレベルでの11対11を動かすとき。自分の見えている範囲がやっぱり、明らかにい狭いと感じました。でも、最後のほうはここが見えてないな、というところが見えてきた。それは収穫でしたね。それに気づけたことが、多分、僕が受かった理由だと思います」

確かにこういう強さ、ありますね。どっぷり悩んで、考え込んで、状況に応じた解決策を見つけられる強味。そういえば、S級受講のときに嬉しい再会があったそうで。日本に指導現場がない悠生くんに指導実戦の場所を提供したのが、ドイツから帰国して現在はJFAアカデミー福島U18で指導に当たる津田恵太くんでした。せっかくなので、恵太くんにその時の話をこっそりと聞いてみると・・・

「指導者同士として現場で再会できたのはすごく嬉しかったですね。せっかくなので、物々交換じゃないですけど、ザルツブルクの話や、これまでの経験を選手に話してもらえますかとお願いしました。『ザルツブルクでは18歳の選手はもう即戦力として見られる。厳しい競争の中で勝ち取らないといけない』という話を現場にいる人からしてもらったので、説得力がありました。選手たちにとって、すごく良かったです。ちなみに、そのときの指導実践は惨敗だったみたいです。悠生さん、『いやぁ・・・もっとやらなあかんわ』みたいな感じで終わってました(笑)」

次なる目標は 

葛藤、奮闘の末、晴れて日本サッカー協会S級ライセンスを取得。さて、次の目標は?

「ドイツでフースバル・レーラーを取得したいです。普通ならドイツのA級をもっていれば受講資格はあるんですけど、やっぱり日本人だし、上のカテゴリーで仕事をしている訳ではないので、『アジアで最高峰のS級を持っているのと、最低限のヨーロッパの資格はもってる』という2段攻めで挑戦状にしたいと。そのために日本のS級を受けさせてもらったというのが本音です。もし、クラブで上のカテゴリーを指導をさせてもらえるようになれば、話はしたいなと思っています。チャンスがあったら明日にでもいきますよ」

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ご存知の方も多いかもしれませんが、この資格はUEFAのプロライセンスで、ドイツ国内でも最高峰の超難関です。でも、悠生くんなら近い将来、ヘネフという所にあるスポーツシューレ(フースバル・レーラー・ライセンス講習会の会場)から「愛さん、いまフースバル・レーラーやってます」と連絡が来そう。そして、彼の目標はもちろんライセンスだけではなく・・・

「若い選手をプロにしたいです。U-21とか、アンダーカテゴリーの上のほうというのが、自分が1番指導をしたいところ。それか、若い選手が次のステップにいくようなチームで、勝つことを求められながらも選手が自分の良さを出すというところ。選手の強みを育てて次のステップにいくようなチームであれば、自分を求めてもらえる場所があるなと。ザルツブルクにきて、これが自分のしたいことなんだなという気づきはありました。いまはでも、自分が与えられた状況で全力を尽くすこと。1年後、2年後に何をしようかなというのは考えないようにしています」

サッカーノート

そんな宮沢悠生の魅力について、改めて、先ほどの恵太くんと謎解きになり、こんなヒントをもらいました。

「悠生さんのサッカーノートを見せてもらったことがあるのですが、めっちゃきれいなんですよ。字も丁寧だし、指導実践をするときのプランも、すっごく見やすい。申し訳ないですけど意外でした(笑)いっぱい吸収した後、整理するのに長い時間をかけて作ってるっていうのがわかる。ひとつひとつ丁寧に時間をかけ、着実に学んでいくところが、宮沢悠生らしさじゃないかなと思います」

さあ、最後に話が「ひたたまドン」に戻りますよ。悠生くんがなぜ、2014年に1.FCケルンの通訳になったかというところです。

「大学の敷地内で僕と松田圭右(現カマタマーレ讃岐U15監督)と、あと何人かでサッカーをしていて、そのときたまたま長澤和輝がライニングで通りかかったんです。『日本語が聞こえるから』と寄って来て。たまたま、圭右が和輝の高校時代(八千代高校)の先輩で。通訳を探してるんですよという話にもなり、その後、ポンポンといろいろな人に推薦してもらって。この間、誰かが『すべてはつながり』と言っていたけど、まさにその通りだなと。最初は強がっていたんですけどね。『つながりなんてコネクションや』と。でもいまは本当にそうだと思います。つながらせてもらったおかげで、そこに行けた。だから僕の人生を変えたのは長澤和輝だと思います。和輝との出会いが、本当に。あの時はほんまにⅯ1で優勝した後みたいな感じでした。和輝と、急にプロの世界に入らせてもらって、ふわふわした状態で。劇的にいろいろ変わって。和輝とは多分、将来的にまた一緒に仕事をすることがあるんじゃないかと思うので、すごく楽しみにしています」

頑固に見えて意外と柔軟、不思議な魅力、見せない努力、几帳面なサッカーノート。ひたひたと寄ってくる"たまたま"という名の『必然』を引き寄せた宮沢悠生くん。またビールの空きグラス(空いていなくても)を並べて戦術の話ができる日を楽しみにしています。もう背中が見えないくらいですが、これからもどんどん前に進んで行ってね。

みなさん、宮沢悠生くんのこれからの歩みに注目してください。そして、あなたの「ドン!」はきょうかも知れないし、明日かも知れない。日本のサッカーがもっともっと力を示すことができるよう、やっていきましょう。

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