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あなたの魔王/5分で読める現代短歌01

枯れたからもう捨てたけど魔王つて名前をつけてゐた花だつた
/藪内 亮輔

この歌を読むとき、わたしのうちでは、
闇のなかに、一挿しの花が浮かぶ。
無風のろうそくのように、しずかにひかる花。
瞼の奥、脳裏の中央、
そうとしか言いようのない “ここ” に花があらわれる。
はじめて目にした6年前から、
何度読んでも、読むたびに同じ花が浮かぶ。
まるで初めからずっと在ったかのようだった。

花をそのように在らしめている
明らかな機構のひとつは、作中の時制だろう。

初句〈枯れたから〉の時点で、
すでに読者は何かしらの植物と暗に出会っている。
それも、活き活きと生命に満ちてはいない、
すでに喪失されたひとつとして〈枯れ〉ている植物と、
気づかないうちに出会わされている。

そのまま二句〈もう捨てたけど〉と、
口語で順当に植物との別れが進む。
穏当な、波風の立たない、当然とも言える展開。

枯れたからもう捨てたけど

かと思いきや
突然に〈魔王つて〉と強い語が挿し込まれる。

その一瞬の兆し。
錯覚と見紛うような、
よく切れる刃物のようなひとさし。
明確に歌のギアが切り替わる。ぜひ呟いてみてほしい。
maou/maooの音に力が入る。
二句〈もう〉mou/mooで助走はできていた。

枯れたからもう捨てたけど魔王つて

しかし、ここで調子づく歌ではない。
魔王は何もしない。
この〈魔王〉は、あくまで
歌の主体が〈つけてゐた〉〈名前〉でしかない。
〈魔王〉に実在はない。

ただそう呼んでいた〈花〉のことで、
しかも、いまはもう枯れている、
どころか捨てられている花。
具体的な描写は読者に何も手渡されない、
主体のみが知る主体の〈花〉、の名前。

下句、また穏やかな口語体で結ばれていく。
三句で見えたと思われた力は奮われず、
しずかに歌は収束する。

枯れたからもう捨てたけど魔王つて名前をつけてゐた花だつた

もちろんこの下句は、
時制の深さひいては主体との関係描写に、
一役も二役も買っている。

《つけた》ではなく
〈つけてゐた〉であることに注意したい。
名づけた瞬間ではない。主体は花と共にいた。
そして結句〈花だつた〉と、わずかに名残を香らせて
花は再び闇に葬られる。

初句から花は死なされたものとして存在し、
三句でその畏ろしさを垣間見せたかと思うと、
結句にはふたたび、
より観念的な不在としてあらわれる。

歌はその短さゆえ、繰り返し読まれうる。
一読し、反芻するたびに、
現れては消える花の姿がより鮮明になる。
陳腐な言いようだが、
不在が、逆説的に存在を描写する。

〈花だつた〉とまるでもう終わったことかのように、
こともなげに歌は結ばれるが、
描写されない在りし日の花の姿が、
かえって花を普遍的/不変的ならしめる。
その“魔王”は、ずっと主体と、
そして読者と共に在った。
そして、
いまも在るように感じられてならないのです。

この歌を読むとき、わたしのなかにはいつも、
ひとさしの花が浮かぶ。

決して華美ではなく、
ふたひらほど深い緑の鋭い葉を残した、
細い首の、すらりとした橙の花。
彼は、不在でありながら、つねに読者の傍らに立つ。

これはわたしの魔王の話。
たぶん、ひとそれぞれの〈魔王〉が、在るのだと思う。

枯れたからもう捨てたけど魔王つて名前をつけてゐた花だつた
/藪内 亮輔「魔王」

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