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今日は何月何日ですか? 〜日付の由来を調べてみた・後編〜

今日は何月何日ですか?

カレンダーを見て1月1日から数えて何ヶ月と何日経っているから・・・
と答えることになるかと思いますが、その1月1日はどうやって決まったのでしょうか?
一年の始まりである1月1日にはどんな意味があるのか?
ちょっと掘り下げてみたいと思います。
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ロムルス暦からユリウス暦まで

今使われているグレゴリオ暦ですが、遡るとユリウス暦、ヌマ暦、ロムルス暦となります。
紀元前753年に古代ローマで採用されたローマ暦は古代ギリシャ暦をもとに作られ、ローマを建国したとされる王ロームルスの名を取ってロムルス暦と呼ばれます。

ロムルス暦では一年を『Martius から始まる10ヶ月』としており、一年を304日としていました。(純粋な太陽暦で、月の満ち欠けは関係がない)

当時のローマは農耕が中心であり、一年が365日であることをローマ人は知らず、畑仕事のない期間は日付は必要なかったと考えられています。

Martiusの始まりも春めいてきた頃に王が始まりを宣言すると考えられており、始まりの日は厳密に決まっていなかったと考えられます。

紀元前713年、2代目のヌマ・ポンピリウスによって改暦が行われ、現在の1月にあたる Jānuārius、2月にあたる Februārius がつけ加えられました。
(単なる60日間の休息という設定では生活をするうえで不便だったかな?)

このときヌマは、日数が30日だった月の日数をすべて29日に変え、平年の一年の長さが355日になります。

これでも一年の日数に足りないので、2年に一度、2月の日数を23日に減じ、2月23日の翌日に Mercedinus(メルケディヌス)という名の27日間または28日間の閏月を挿入していました。
これがヌマ暦です。

この時期はまだ年始は今で言う、3月1日でした。

ほとんどの月の日数を29日と31日にしたのと、1年の長さを月の運行に合わせた354日にしなかったのは、ヌマの信仰が偶数を嫌ったからだと考えられています。

予想ですが、ヌマ暦の年始である3月1日もロムルス暦と同じように「春めいた頃」に宣言する形で指定されたのではないかと思います。(記録がない。。。)

紀元前153年、共和制ローマ時代になると、それまで年の初めを「 Martius 」としていたのを「 Jānuārius 」にする変更が行われました。

詳しい理由はわかっていませんが、共和制ローマ時代は3月15日をもって新執政官の就任が行われ、軍事行動が行われていました。
ところが、紀元前154年にヒスパニア(イベリア半島、スペイン)で反乱(ヌマンティア戦争)があり、出兵を早める必要が生じます。
紀元前155年にも同じくイベリア半島西側のルシタニアで反乱がありました(ルシタニア戦争)
そのため、出兵するために Jānuārius の1日を執政官の就任日(年の始まり)としたと言う説やJānuārius がローマの神 Janus(ヤヌス、出入り口と扉の守護神)に由来する為、年初として相応しいと考えた…。
とも、言われています。

紀元前45年。仕組みの煩雑さから、閏月や閏日を正確に挿入しないで運用され、ズレが蓄積されていた共和制ローマ時代末期にユリウス・カエサルによって作られた暦がユリウス暦です。
(季節と月が三ヶ月もずれていたそうです)

カエサルと言えばクレオパトラですが、エジプトではナイル川の氾濫を予測するために天文学が発達していました。
そのエジプトの天文学者やギリシャの天文学者を集めて、ユリウス暦を作成しました。
このとき2月に閏日を入れるのは、ヌマ暦の考え方を踏襲していたと思われます。

カエサルはユリウス暦を制定する際に、7月の呼び名を変えました。
また、後を継いだ、初代皇帝アウグストゥスは、カエサル暗殺後に本来4年に一度入れるはずの閏年が3年位一度となっていた誤りを正します。
(紀元前6年から紀元後7年まで、閏年を停止し、紀元後8年から4年毎にした)
その際に8月の呼び名を変えました。

よく、8月は30日(小の月)だったが、アウグストゥスが31日(大の月)に変えたと言われていますが、どうやら誤りのようです。
ローマ暦末期(ヌマ暦)にはすでに大の月、小の月の順に交互にやってきていなかったらしく、紀元前24年の時点で8月は31日まであったことがわかっています。
(カエサルの暗殺が紀元前44年で、アウグストゥスの初代ローマ皇帝即位が紀元前27年なので、なきにしもあらずですが。。。)

グレゴリオ暦の誕生

ユリウス暦は精度が良く、生活上はほぼ問題がなかったのですが、宗教上は大きな問題がありました。

復活祭(イースター)の日が決まらない!!

復活祭は「春分の後の満月の後の日曜日」と決まっています。
西暦325年のニカイア公会議で春分の日は3月21日と決められていました。
その後の天文観測技術の発達により、ユリウス暦の運用に誤りがあることがわかります。
ユリウス暦は1500年運用するうちに、11日早くなっていたのです。
結果、1582年には実際の春分の日が3月11日ごろになっていました。
復活祭は月齢も影響するため、本来の時期から一ヶ月遅れるケースも出てきていました。

そこで1582年10月4日 (木) の翌日を10月15日 (金) とし、入れ過ぎたうるう年の分だけ日付を飛ばす調整が行われました。
結果的に1月1日決まり、今に至ります。

ですので、一年の始まりである1月1日は運用を調整した結果で天文学的な意味は全くないのです。

グレゴリオ暦の精度

1年(太陽年)は365.242189日なので、(365 × 400 + 97) / 400 = 365.2425日 となります。
うるう年のルールは
 ・4年に一回1日増やす。
 ・100年に一回入れない。
 ・400年に一回入れる。
はしばらくそのままで大丈夫そうですが、西暦5234年頃は誤差が1日になり、うるう年を省く必要が生じます。

おまけ

グレゴリオ暦で10月は「October」ですが、「Octo」はラテン語で「8番目の」という意味になります。
同様に11月の「November」はラテン語の9番目を意味する「novem」から、12月の「December」はラテン語の10番目を意味する「decem」から来ています。
(コンピュータに強い方は、Octで8進数、Decで10進数となるので、馴染みがあるかもしれません)

日本では月を数字で表すのでこれを聞くと違和感がありますが、英語圏では「October」は「8番目の月」ではなく、あくまで「October」ですので違和感はないのかもしれません。

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