見出し画像

星座は88

夜空にはたくさんの星が輝き、それらの星で星座が形作られています。
では、それらの星座はどう決められ、いくつあるのでしょうか?

---

現在、全天(天球上)には、88の星座があります。

1922年の国際天文学連合(IAU)設立総会で、星座の名前と略語が。
続く1928年の第3回総会で各星座の境界線が決められたことにより、整理されました。

この時決められたのは、星座の『名前』と『境界線』になります。
プラネタリウムや星座早見盤、各種星空シミュレーションソフトで描かれている、星座線や星座絵は決められませんでした。
ですので、線のつなぎ方や星座絵に若干の違いがあったりしますが、そもそも【正解】がありませんので、どれも間違いではないのです。

もっとも名前については、国際的にはラテン語を用いて決められています。
日本でも、太平洋戦争真っただ中の1944年に学術研究会議等で訳名が決定され、何度か見直されて今に至っています。
ですので、ペガサス座ではなくペガスス座、カシオペア座ではなくカシオペヤ座になります。

そんな88星座ですが、そもそもの始まりは、五千年ほど前のメソポタミア地方(今のイラク、チグリス川とユーフラテス川のあたり)に住んでいた羊飼いたちが、星空に描いたものと言われています。

そんな羊飼いたちが描いた星座が古代ギリシャに伝わり、詩人たちの歌う詩の中に取り上げられ、神話や伝説と結びついていきました。

2世紀ごろになり、ギリシャの天文学者プトレマイオス(英称ではトレミー)が、それまで伝わっていた星座を48に整理しました。
今もこれらの星座は『プトレマイオスの48星座』として使われています(*1)

16世紀ごろになり望遠鏡が発明されると、48星座のすき間に暗い星を結んで新たな星座が作られるようになります。
さらに大航海時代が始まり、それまで見ることができなかった南半球の星空を目にするようになると、船乗りたちが目にした珍しい動物(くじゃく座やカメレオン座、とびうお座)や、新しい道具(ぼうえんきょう座やコンパス座、けんびきょう座)の星座が作られました。

その後、天文学者たちの間に新星座ブームが起こり、多いときには130余りの星座が作られ、混乱状態となりました。
(ある星を見たとき、こっちの本には○○座と書かれていますが、別の本には△△座と書かれている。といった感じでしょうか)

そこで、国際天文学連合(International Astronomical Union:IAU)の設立総会で整理統合され、現在の88星座が確定し、境界線も赤経・赤緯(*2)に沿って直線で区切られました。

こうして星空は88の星座に割り振られたわけですが、区切られた領域(エリア)は89あると言ったら、びっくりするでしょうか。
「88星座に分けたんだから、領域も88でしょ!?」と思いますが、89エリアあるんです。

『へび座』という星座があります。
『さそり座』と『いて座』の間、やや北寄りの位置にある『へびつかい座』が持っているへびの星座です。
この『へび座』、へびつかいが持っているので、当然、真ん中には『へびつかい座』があります。

星座の領域は重ならないようになっているので、『へび座』は頭部と尾部の2つに分けられています。
『へび座』も『へびつかい座』も『プトレマイオスの48星座』のひとつで、由緒ある星座なのですが、当時から『蛇を持つ者座』と『蛇を持つ者の蛇座』と分けられていました。
ですので、星座の数は88ですが、区切られた領域は89あるのです。

*1)
プトレマイオスは『かみのけ座』を認めず、『アルゴ座』は現在、『りゅうこつ座』・『ほ座』・『とも座』の3つに分割されています。

*2)
天体の位置を表す座標の事で、地球の地軸をまっすぐ天まで伸ばした北を天の北極、南を天の南極とします。
続いて、地球の赤道面を天球を伸ばした先を天の赤道とします。
天の赤道を0度とし、天の北極を+90度(天の南極なら-90度)としたものが赤緯になります。
同じように春分点(春分の瞬間に太陽が居る場所)を0時とし、東回りに1時、2時としたものが赤経になります。
この2つを使って天球上のあらゆる天体の位置(座標)を表します。
例えば、おおいぬ座のα星シリウスの場合は、
 赤経:06h 45m 08.9s
 赤緯:-16° 42′ 58.0″
と表します。
(hは時、mは分、sは秒。°は度、′は分、″は秒になります。)

宜しければサポートをお願い致します。ご厚意は天文ボランティア活動の資金とさせて頂きます。 これからも星空に興味を持っていただけるような記事を書きたいと思っています。