価値・クリエイティビティ起点の社会システム・デザインはできるのか?
先日、社会システム・デザインという方法論を提唱している横山禎徳先生にお話を伺う機会があった。この方法論について、先生の著書『アメリカと比べない日本』の最後の章にわかりやすく書いてある。今日はこの社会システム・デザインの起点について書いてみる。
1.社会システム・デザインの思考方法
この著書の中での社会システム・デザインは、ある事象について、それを構成している項目の間の関係性を理解し、そのなかで特定のパターンや悪循環の原因になっている部分を特定し、そこに対して別のパターンや好循環が生まれるようなサブシステムを設計していく、という方法論。
私なりには、Causal-loop diagram(タイトルの画像)を描き、状況が加速されているところ(reinforcing cycle)や循環が停滞しているところ(lock-in)になっているところを見えるようにして、そこの流れを修正する仕組みを設計・実装・評価していく、という手続きのこと、というふうに理解した。
この方法論は、サステイナビリティ学のシステム思考と類似しているが、ここでの「デザイン」とは、実際に悪循環を起こしている部分に、代替となる部分解・サブシステムを設計して、これを当てはめていく身体知があること。分析にとどまりがちな研究者の仕事とは異なり、具体的なアクションが伴うとことがとても共感できる。
社会学で言われているシステムと異なる点で、書籍のなかで強調されているのは、システム全体を対象としてはいないということ。例えば気候変動の議論をするとして、地球環境のような巨大なシステムは対象としない。なぜなら、システムが大きく複雑すぎてデザインすることができないからだ。社会システム・デザインで作り出せるのは部分解としてのサブシステムの提案と試験のみとのこと。著者の横山先生のバックグラウンドは建築。多様な知を統合してかたちにするという手続きを行う身体知に長けた分野の方ならではの考え方だと思った。
2. 社会システム・デザインでものごとを考えるときの起点
社会システム・デザインについて読んで気になったのは、この方法論でものごとを考えるときの起点が、対象とするシステムのなかの「課題」にあるということ。課題解決のための思考方法なのでそういうものであるということは理解しつつも、これを実際に習得して使いはじめると、いつの間にかこの方法論が万能だと思い込んでしまいそう。
ある事象を「課題」と捉えると、人は自然と「解決」を考えたくなってしまう。「課題」を抱えていることは、不安定で居心地の悪い状態なので、そこから安心できる状態である「解決」にはなるべく早く辿り着きたい。そういうときにはプロセスを直線的に考えがちで、例えば、バックキャスティングなどの方法を取りがちになる。バックキャスティングは先にどこに行きたいのか、どういう状態になりたいのかを描いてから、そこに辿り着くためのステップを考える思考方法。はじめからどこに向かうのかが明瞭で、先に進むほどにその達成感が生まれてくる。手続きとしてとても安心感が生まれる方法だ。ただし、このような方法は、「課題→解決」という直線的な世界の捉え方で、設定されている多くの前提に対して十分な注意を払うことが難しくなりがち。前提条件として設定しているものが本当に妥当なものなのかや、ステップの途中に内在している不確実な要素についての検証は、不安感を増す手続きでもある。
私たちが「課題」として見ていることは本当に課題と見ていいのだろうか。そういう枠を当てはめることが妥当なのか、そもそも対象が「課題」として見えている私たちが無意識に設定している前提があるのではないか、そして、そのような前提設定が起こる背景には何があるのか。そういったことを深掘りして、課題を課題と見ている自分や社会についての理解を深め、自分や社会の用いる枠組みについて自覚的になる手続きが大事なように思う。このような、自身や社会のありよう(Being)を深く理解してから、行動として何を起こすのか(Doing)を考えるとき、思考のプロセスはえらく回り道をしたように感じ、実際に時間もかかる。そしてこのプロセスはどこに辿り着くのかがはっきり見えず、ひどく不安な道中になる。この不安な状態を保持できないとき、直線的な思考に陥ってしまうようのではないだろうか。
*AkitaAgeLab(アキタエイジラボ)にて、縮小しながら高齢化する社会のデザインを考えるときに辿る思考のプロセスを図にしたもの。現状で地域コミュニティの存続に関連して起きている課題に対し、必要な行動を起こしていくという手順を短期的な対応である直線的なアプローチで行う。これに加えて、地域の価値観やクリエイティビティを起点にするために、必要なマインドセットの変化を長期的なアプローチとして設定している。
3. 価値観・クリエイティビティ起点の社会システム・デザイン
では「課題」起点ではない社会システム・デザインがあるとすれば、どんなものなのだろうか。課題とされる物事の背景にある前提条件や不確実性、それを課題と見せている要件を見ていくと、辿り着くのは個人や社会のありよう(Being)であり、それは本質的には人々の価値観やクリエイティビティの話になる。社会として大事にしている価値があるからこそ、それに当てはまらないものが課題に見え、その存在が人々を不安にさせる。それを取り除くことに終始してしまえば、それはものごとの表面的な解決でしかない。同時に個人や社会には、その仕組が効率的にまわるためのルールのほかに、余白としての「あそび」があり、これはクリエイティビティのことだ。これが十分にあるとワクワクする。
特定のことが、なぜそれほどまでに私たちを不安にさせたり、或いはワクワクさせるのかを理解する手続きがそこにあれば、それは解決として何をするのかの前に、私たちが個人や社会として何を大事にしているのかを問い直すことになる。繰り返しになるけれど、このプロセスはどこに辿り着くのかがはっきり見えず、ひどく不安な道中になる。あそんでいる最中にも、「こんなことしてていいのだろうか」という不安がよぎる。このはっきりと先が見えない・わからない不安感を保持したまま、価値観を掘り下げていく作業が、直線的ではない思考としてあると思う。
このような道中不安な思考プロセスの先に、私たちは価値観・クリエイティビティを起点とした社会システム・デザインができるのではないだろうか。まだニッチなアイデアがぽこぽこと湧き出ている段階かもしれないが、実際にこのような「課題」発想の視点から「価値・クリエイティビティ」発想の視点へのシフトが起き始めている。これが社会全体のOSに対する部分解・サブシステムとして示されてくると、課題解決の直線的な思考ではない新しい思考のラインが生まれるような気がしている。そんな価値・クリエイティビティ起点の社会システムが増えていけば、きっと世の中はもっと面白くなるはず。