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連隊の招集式|第4章 1776年の精神|アメリカでの40年間(1821-1861)

Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols


連隊の招集式

連隊の招集式には、もちろんもっと多くの人が集まりました。人々は荷馬車や馬に乗って10マイルか15マイルの道のりをやって来ました。サイダーやジンジャーブレッドを売る可愛い女の子たちの数は増え、行商人の競売人たちの声も大きくなりました。いくつかの中隊が制服を着ていましたが、どれも同じものはなく、それぞれが独自の制服でした。騎兵隊と砲兵隊が一隊ずつあり、鉄製や真鍮製の4ポンド砲または6ポンド砲を持っていました。これらの砲兵は大量の空砲弾を撃たなければならなりません。訓練日だけでなく、7月4日の祝砲や政治的勝利の祝賀行事、その他の喜ばしい機会にも撃たれました。

朝の儀式の後は、大閲兵式と、その日で最も興味深い儀式が行われました。連隊は四角形を形成し、牧師は馬の背に座って祈りを捧げました。青空の下、騎兵、歩兵、砲兵が整然とした隊列を組んでビシッと立ち、信者の群衆が敬虔に帽子を脱ぎ、馬に乗って行う軍隊の祈りは、なぜか説教壇で行われる祈りよりも厳粛なように私には思えたものです。

それから、もしその分野で才能があったら(多かれ少なかれその才能がないアメリカ人はほとんどいないでしょうけれど)大佐は兵士たちに向けて演説しました。その演説の中で過去2回の戦争で市民軍が勝ち取った栄光を語り、今は白髪になった当時の革命の英雄たちや先の戦争の退役軍人たちの心打たれる話をしました。

彼は兵士たちに、彼らは国の誇りと力であり、国家の柱であり、暖炉の火を囲む家庭の守り手であり、侵略から守るとともに侵略者を罰する用意が常にできているのだと語りました。そして最後に、彼は、大西洋から大平洋まで、五大湖からメキシコ湾まで広がるこの国の偉大さと栄光について、話に尾ひれを付けて大げさに語りました。まるで、いずれ国境を拡張するよう求められることを暗示しているかのようでした。私の知っている限り、プログラムは時々若干変更され、牧師がいない場合には敬虔な大佐が祈りを捧げたり、弁論が得意な連隊軍医に演説を任せたりしたことがあったようです。


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