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アメリカの民兵制度、訓練の日|第4章 1776年の精神|アメリカでの40年間(1821-1861)

Forty Years of American Life 1821-1861
Thomas Low Nichols


アメリカの民兵制度

私の父は1812年の戦争中に民兵として徴兵されました。仕事の都合で代わりの人と交代しなければなりませんでしたが、そうでなかったら有名なプラッツバーグの戦いで戦えたかもしれません。戦わなかったせいで父は多くの名誉を失っただけでなく、賞金と160エーカーの土地も失いました。その土地は後に、軍の名簿に名前が載っている生き残った兵士全員に与えられました。戦争中、国に仕える名誉や利益を諦めざるを得なかった状況にもかかわらず、父は武士精神に満ち、民兵隊で伍長、軍曹、少尉、中尉、大尉、少佐、そして最後に連隊の大佐へと昇進しました。私たちには毎日の訓練や士官訓練、年に一度の全連隊の召集というあの壮麗な軍事ショー、そして数年に一度はすべての軍が勢ぞろいした姿を見ることができました。


訓練の日

集会所前の芝生で行われた隊員たちの訓練が見られる日々は素晴らしいものでした。観客は群がり、甘いサイダーとニューイングランドのラム酒を飲み、糖蜜入りのジンジャーブレッドを食べました。競争心の強い行商人たちは、大声で叫びながらブリキ製品やアメリカ式の雑貨をオークションで売り、群衆をくすくすと笑わせるジョークを飛ばしていた。ヤンキーは大声で笑うような人ではないのです。

我々の市民から成る兵士はあらゆる種類の家庭的な服装をしており、アン女王の植民地時代から受け継がれた古い女王の紋章、あるいはバーゴインの軍隊で捕獲された紋章、鳥撃ち銃、ダッキンガン、ライフル銃など、さまざまな武器を装備していました。彼らが、命令の叫び声、砲声、煙に満ちた模擬戦闘で機動、小隊による射撃、火薬の燃焼に疲れてきたころ、雄弁な大尉は演説を行い、その日の栄光はもう十分であり、祖国に貢献できたと満足して中隊は解散しました。

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