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1億円の家をあげる by妹

私には7つ歳の離れた妹がいます。

私が小学校5年生くらいの時に
まだ4歳くらいの妹が

夕方頃、突然、私のほんのり暗い部屋に
フラッとやってきて…

「お兄ちゃんに1億円の家をあげる」

と言ってきました。

最初は何のことか
よく分かりませんでした。

テレビを見ていて
家を欲しがる兄の話でも
やっていたのかなと
不思議に思い、

リビングの方を覗きましたが
テレビも何もついておらず、
シーンとしていました。

自分でおままごとでもしていたのか
お人形さんのお家セットが目に入りました。

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そのお人形の家には
家族が揃って机を囲み
団欒している姿が。

私の家は両親が共働きで
平日の日中は基本三人兄弟で
過ごしていました。

私には二つ上の姉がいますが、
姉はそのころは部活に夢中で
家に帰ってくるのはいつも
6時を過ぎてから。

私は学校が終わったら
そのまま保育園に妹を迎えにいき
家に連れて帰り、

いつも2人で誰かの帰りを
じっと待っていました。

今思うと、すごく
寂しかったんだと思います。

7つも歳が離れると
遊びも全然違ってきますし、

性別も違うため
面白いと感じることが
合わなくて…

私はゲームをしたり
漫画を読んだりしていましたが

私の遊びを全く理解できない妹は
いつも自分で遊びを考えて
ずっと一人遊びをしていました。

あの

「1億円の家をあげる」

というのは彼女なりの寂しさを精一杯
表現した一言だったんだと思います。

誰も家にいないこの状況を
この私なら何とかしてくれるんじゃないか。

1億円する大きな家があれば
誰も働きに行かずに済んで
みんな一緒にいれるんじゃないか…

そう思ってのことだったんでしょう。

当時は何のことか分からず

「ありがとう」

と一言だけ言って
すぐあしらいましたが、

もう少しちゃんと話を
聞いていればよかったなと
深く反省しています。

その後、妹は、少しずつ
家族にも心を閉ざすようになり、

小学校に入っても
クラスのみんなと馴染めず、
登校拒否になってしまい

世間と距離のある形で
大人になりました。

子供の頃の寂しい経験というのは
その後の人生、生活に大きく
影響を及ぼし、後を引きます。

誰の責任というわけではないですが
何とかできなかったのかなと
度々、振り返ることがあります。

あの時のことを
もう妹は1ミリも覚えていないと
思いますが、

私にとってはとてもとても
大きな出来事でした。

このように当時は
何も思わなかったことがー

のちに重大な過ちであることに
気付かされ自分の中で
悔やまれることは少なからずあります。

今回のことを再び思い出させてくれたのは
こちらの雅樹(かつお)さんの記事

雅樹さんは自分自身のことを
一切、飾ることなく
等身大でnoteで表現されており、

そこがかっこよく美しく
とても素敵なんです。

その「」が共感に共感を呼び、
とてつもない人気を誇っています

彼の記事を読むと
忘れかけていた純粋な自分が
時折ぴょこっと顔を出し、
今の自分を見直させてくれます。

うさぎのかつおとの出会いや
かつおと共に過ごす日々についても
非常に感慨深いです。

まだ雅樹さんのことを知らない人は
これを機に是非、繋がっていただけたらと思います。

私も制作に携わらせていただいた
こちらの本もオススメです。

かりそめ

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