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あなたの知らない物語(3)

1980年代後半、ちょっと特殊な学校の、ちょっとおかしな青春の記録

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タダで勉強できるかな?【後編】学校生活・進路

ハイハイ期~ヨチヨチ期

 1年前期は、速記法という科目の時間に、速記の歴史や理論と符号教程を教わっていた。

 別方式には詳しくないので分からないが、衆議院式では「あ・い・う・え・お」の順ではなく、まずは「あ・か・さ・た・な…」の順で教わった。「が」「は」「(語尾の)だ」などが比較的早く書けるようになるため、簡単な文章を作ることもできる。

 教科書や教本があるわけではなく、授業のたびにB4判を横使いにしたプリントが配られ、それを二つ折りにしてA4判のバインダーに綴じ、自分だけの教科書を少しずつ厚くしていく。

符号教程の一番最初のページ

 教本の形で固定されていなかったのは、速記現場で符号を使っていて、「わかりにくい(紛らわしい)」「書きにくい」といった問題が生じたときに、すぐに見直し修正して生徒側にも周知するためだったと思われる。だから入所した年が1年でも違うと、符号に微妙な差があることも珍しくない。

 ちなみに速記関係の教官は全員、衆議院の現役速記士だったので、自分たちが教わった符号とは違うものを教えざるを得ない場面もあったようだ。

 形の整った美しい符号は、他人のものでもある程度は読めるが、その微妙な差のせいで「???」になることもある。だから基本的に符号は書いた本人しか読めないし、逆に言えば「本人が正しく読み書きできる」という前提さえあれば、個人的なアレンジは利くということになる。

 符号自体は1字1字ばらばらに教わるが、単語や文章を構成するためには、連綴れんてつといって、つなげて書く練習をしなければならない。英語のアルファベットの筆記体を想像するとわかりやすいかもしれない。

 教程が大体7月ぐらいに月ぐらいに終わり、中旬には湘南は葉山の保養施設での合宿が待っている。

 人が作ったご飯を食べられる!(自炊者発想)

 夜中まで菓子など食べながらテレビを見たり、おしゃべりしたりできる!

 日中はビーチで遊ぶ!

 帰りは横浜中華街で会食!

 「葉山まで頑張る」が、殊に1年生にとってはほぼ合言葉になっていた。

合宿の後、一応夏休み期間に入るには入るのだが、1年生は半強制的に、2年生は一応任意で、補習的な授業があった。1年生の夏休みは実質1週間程度しかなかったので、帰省といっても2、3日の人が多かった。

速記術&一般教養


 1年年後期からは、科目名も「速記術」となり、徐々に実践に近づいていく。
 反訳テストも2日に1回のペースで行われた。熟達度を見て読み上げスピードを上げるのだが、スピードが上がれば当然文字数が増える。すると、反訳にかかる時間もその分長くなる。最終的には「13倍」、つまり10分の読み上げを2時間10分かけて書き起こす。

 放課後に自主練をすることがあった。当番が過去の国会会議録から適当に抜粋し、その時の速度で読む。
 一般に漢字熟語が多い方が音数おとかずが増えて厄介なので、「文章が黒っぽい(画数が多い)と難しい」とよく言われた。ただし、画数少なめでも片仮名新語などは難儀である。このあたりは普通の音声書き起こしにも通ずるだろう。

 検定試験について。
 まずは1年次の11月の検定で3級(分速240字)、翌年2月に2級(同280字)、同5月に1級(320字)の合格を目指す。不合格だった場合は1回ずつ後ろ倒しになる。
 私は3級は1回合格、2月の2級の試験に失敗したが、5月に再受験して取得し、次の8月に運よく1回で1級に合格できた。いわゆる「速記士」は、2級以上の取得が必要になる。

 速記以外にも教養科目として、「法学概論(2年次は憲法学)」「経済学」「英語」「フランス語(1年後期から)」「言語学」などがあり、外部の大学からいらした先生方に教わった。
 バブル時代らしく、華やかな女子学生の多そうな有名私立大学の先生から、「皆さんは質素で学生らしくていいですねえ」としみじみ言われていた。寮と学校の往復(片道1分)で、特におしゃれする必要もなければ、そういう気分にもなれないとなると、ほぼ部屋着で授業を受けている感覚だった。

 気になったのは、ある有名な音楽大学から派遣されていた英語の先生が、「皆さんは本当に優秀ですね。うちの学校は、ピアノやヴァイオリンは素晴らしい才能があるのに、勉強は…という人が多くて」と言葉を濁したことだった。口には出さねど、「多分その学生さんたちは、この先外国に行くことも多いだろうし、私らよりずっと語学が必要になる人たちなのでは…」と思ったのだ。

 ちなみにこの英語の先生は、少し前、某大手製菓メーカーのチョコレートのCM(**下記注)に声だけ出演したことがあるという。制作関係者とお知り合いだったらしいが、関係者「英語の先生っぽい発音」が決め手になったのだそうだ。
 今、そのチョコレートは製造も販売もされていないが、ナッツがぎっしりで食べ応えがあり、高校時代はよく食べていた商品だったので、変に感動してしまった覚えがある。

 また、養成所の教官が、速記術以外にも「用字例」「体育」「用語」「社会」といった授業があった。
 用字例については長くなりそうなので、後述する。

 体育では、ソフトボール、テニス、卓球、サッカーなどを一応やった。テニスコートが2面もあり、グラウンドも結構広かった。
 私自身はまだ行ったことがないのだが、そのグラウンドだった場所は現在、世田谷区立上用賀公園となり、多くの遊具が置かれているらしい。

 ソフトボールは春・秋各1回、参議院の養成所との交歓会を兼ねた試合があったので、特に熱心にやっていた――はずなのだが、本校には練習中に骨折した生徒が過去にいたとのことで、「球が来たらよけろ!」「無理そうなら捕るな!」という、ドッジボールのような指導をされることがしばしばあった。速記生徒にとって、手が使えないというのはまさに致命傷なのだ。

 用語というのは、新語や業界専門用語(の中でも、一般に使われるケースが多いもの)とでもいったらいいか。

 社会という科目については少し説明しづらい。中央省庁の機構について学んだり、時の閣僚の名前を暗記したり、高校でいえば政治経済や現代社会(地歴公民の「公民」)に当たる分野だと思うが、2年次はなぜか1年かけて、原子力発電について書かれた本を全員で通読した。テストはなかったが、ノートやレポートの提出が課せられた。

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You Tubeで「グリコ カリフオルニアバー」で検索すると見られます。
吉川きっかわ晃司こうじさんがキレのいいジャンプを見せてくれます。人気絶頂だった彼は多分、高額のギャラをgetしていたと思いますが、先生は「n万円いただきました(笑)」とのことです。
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用字例 こぼれ話


 用字例というのは、速記録を書き起こすときの文字使いのガイドラインのことである。現在、ライターや文字起こしの仕事をしている人にとっては、『記者ハンドブック』あたりを想像するとわかりやすいのではないか。

 この授業というのが大変ねちっ…もとい、度外れて熱血指導で、「では、〇〇さん、△△ページと▲▲ページを読んでください」などと指名され、そこに書かれている全ての文字を朗読する。速記士には耳の情報も目の情報もどちらも大事なので、このシンプルな授業でも有用性はあるのだが、少し気を抜くと、聞いている方は眠くなってしまうのだ。
 朗読の際、当然アホな読み間違えをすることもある(にんげんだもの)。

低格 紙細工等の低格作業

当時使っていたものは縦組みで、写真は実務についてから支給されたものです(内容は一緒)

 低格作業というのはなじみが薄いが、刑務所などで限定的に使われる言葉らしい。「ていかく」と読めるし、意味も何となく分かる。
 問題は「紙細工等」の方だった。「紙細工など」と書いてあれば読めたかもしれないが、私は堂々と「しさいこうとうのていかくさぎょう」と読み上げ、指導教官からいったん制止された。「今の何か変だなーって、自分でも思うでしょう?」とにやにやしながら指摘された。
 「こんな字、読めないわけないよねー?」という前提で話が進むので、自力で正解にたどり着かなければならない。「(あ、そうか…)かみざいくとうのていかくさぎょう」と読み上げ、やっと次の「定格(ていかく) 定格出力 定格電圧…」に移れる。

 一応、養成所に入所したという時点で、そもそも国語に苦手意識のある人はいないし、そうそうつっかえないのだが、このようなことがたまにある。ハッという気付きにつながるものもあるだろうが、大抵はひたすら退屈で眠い。そして何十年経っても、そのときの教官のニヤニヤ顔を、しつこく覚えていたりする。

進路


 私たちの同期は9人入所し、1年前期に「どうしても向かなかった」といって1人退所した。とても真面目な男の子だったが、真面目が高じて緊張のあまり手が動かないというイップスのような状態になった結果だった。適性ばかりは致し方ない。

 かく言う私も、1年10月・11月の定期テストで大量のミス(というより、符号が書けなくなってしまったので、当然書き起こしもできないという状態)を発生させ、「ほかの道も考えてみたら…」と勧告されたことがある。そこは何とか乗り切ったのだが、そういったものはやはり後々まで尾を引いた。
 結果、衆議院本院への就職は断念し、とある地方議会に速記士として採用された。

 このように書くと、まるで地方議会の速記を格下扱いしているように見えるのだが、これは仕事の性質の違いである。

 大勢の速記士を擁し、5分交代でリレー式で会議録を即時作っていくという方法を長年とっていた国会会議録に対し、地方では会議録調製を民間の反訳会社に依頼し、そもそも速記士自体もいない自治体も多い時代に入っていた。

 速記士がいたとしても1人か2人で、それに対して会議は本会議・委員会合計して何十時間にも及ぶ。幾らワープロがそこそこ普及していたとはいえ、それを速記士だけで処理するのは物理的に無理があった。

 もちろん仕事は真面目にやっていたし、時には「さっきの〇〇部長の答弁、書き起こしておいて」などという議員さんのリクエストに応えることもあったが、どちらかというとお飾り速記者というか、国会ほどの厳密性が求められていなかった。
 書き起こしにしても、今ならデジタル音源を再生し、何分目までシークを動かして…といったことが比較的簡単にできるし、速記ができなくても可能である。
 しかし、当時のカセットテープ録音での必要な頭出しは骨が折れるものだったから、書いた本人が符号帳を当たる方が簡単だったのだ。

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