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その場で消えてゆく言葉

 まず、何の変哲もない一文を投下してみましょう。

「私には双子の妹がいます」

(1)私は女。自分と双子関係の妹がいる。
(2)私は男。同上。
(3)私は女。下に「双子の妹」がいる。
(4)私は男。同上。

 この四つのうち、どの意味に解釈しますか?
 実は私、知人やかつての知人(口を利いたことがあるレベル)にこの4パターン全員います。
 なぜか男同士の双子の兄弟というのは全く縁がない妹ちゃんパラダイス。『ぺとぺとさん』の「女未にょみの里」状態です。

 一人称の主語に関しては、“私”だから女性であると解釈する人も多いでしょうが、男性でも使えないわけではないので、男性の可能性は捨てられません。
 「双子の妹(姉でもいいですが)」という言い方だと、少なくとも「自分と双子か」「自分の下に双子がいるか」という二つの解釈ができると思っていました。

 しかし、自分の周囲だけかもしれないのですが、「自分と双子の妹がいる」と解釈する人の方が優勢な気がします。
 この少子化の時代、「自分に双子の妹」だと、最低でも3人以上のきょうだいを産んだご両親の甲斐性に思いをはせないでもありませんが、それはさておいて、互いの解釈が異なったまま会話が進むこともあるので、結構やっかいです。

こんがらがると、多湖輝さんの『頭の体操』の世界ですな。

◇◇◇

 話題は変わりますが。

 少し前に納品した案件で、ある実業家の男性が自分のビジネスパートナーについて、「人との距離が自分と近い」と表現していました。

 言い回しの不自然さはさておいて、大抵の人が「この人のビジネスパートナーは、他人との距離が近い人」と解釈するのではないでしょうか。

 少し整理しましょう。
 発言者をAさん、ビジネスパートナーをBさんに置き換えます。

 Aさんはマイペースで単独行動を好み、親しい人ともあまりベタベタしないタイプだと、披露されるエピソードから分かります。
 そしてBさんは、このAさんと「タイプが近い」らしく、AさんとBさんには信頼関係があるものの、「2人で食事や飲みにいったこともない」とのことでした。

 つまり、人と一定の距離を置くタイプの2人の人間性が「近似ちかい」という意味なのでした。
 Aさんにしてみれば、言い回しの不自然さはさておいて、間違ったことを言っていないはずなのですが、結果的に高確率で「聞いた人が間違える」情報になってしまうということです。
 この手のことは、書き起こして読み返して初めて分かるのですが…。

 人が発する言葉というのは、自分の中で脳内の処理が済んでいるので、そう言った時点では誤解を招くとは夢にも思いません。
 「これからやりたい(やるとは言っていない)」という言い回しがあったり、明らかな悪意がある発言について「誤解があった」と弁明する人がいるのは、ある意味このあたりを悪用した手法といえるでしょうか。

◇◇◇

 KKP小林賢太郎プロデュースの舞台『LENS』(2004年)は、小林さん演じる天城茎太郎あまぎけいたろうという推理小説家志望の書生が主人公ですが、この天城、すばらしい洞察力、推理力を誇るにもかかわらず、書く小説は「泣くほどつまらない」と評されていました。
 要するに、素晴らしい洞察力、推理力が仇となって、「こんなこと言わなくても分かるでしょ?」が具現化したような出来になってしまうからです。
 これを読んだ読者がどのように解釈するか?というところまで洞察力、推理力が働いたら、パーフェクトなんですけどね。


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