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小説「対抗運動」第5章3 価値形態論

おいさん「舞ちゃん、も1つ考えないかんことがあるんじゃ。」

舞ちゃん「まだあるん?」

おいさん「王様はなんで王様か、いうやつじゃ。舞ちゃん、人はなんで王様に仕えるんじゃろ?」

舞ちゃん「それは、相手が王様じゃから・・・」

おいさん「王様に、なんで王様か聞いてみたら、臣下が私のことを王様、と言うて仕えるからじゃ。」

舞ちゃん「えっ、? おかしいね。」

おいさん「今、アメリカが王様、じゃね。どこの国も仕えようとしよるね。これまでは、桁外れの経済大国やから、と言いよったが、ネオコンは、あからさまに圧倒的な軍事力を持っとるからじゃと、言い出した。けど、本当は、すでに王様であることの説明のために、そう言うとるだけじゃね。」

舞ちゃん「かすかにしか解らん・・・」

おいさん「あからさまに言うとね、根拠はないんじゃ。皆がそう思うからそうなんじゃ。思わんようになったら、違うよ。王様、じゃない。」

舞ちゃん「その前は、イギリスがそうじゃったね・・・。なんで皆そう思うんじゃろうか?」

おいさん「お金によう似とるね。ものを交換する、いうんは価値が等しいからじゃなしに、交換した後から、等しかったと考え出すんじゃ、このことは、もう言うたね。ところで、等しいと考え出す時にね、不思議なことが起こるんじゃ。価値は、そのもの自身にはのうて、交換したもんで表されるんじゃ。」

舞ちゃん「・・・・・・・」

おいさん「おいさんが書いた小説を、舞ちゃんが描いた絵と交換したら、おいさんの小説の価値は舞ちゃんの絵で表される。これは、舞ちゃんの絵もそうなんじゃ。おいさんの小説だけ、舞ちゃんの絵だけでは、価値は生まれんのよ。」

舞ちゃん「解った。それで?」

おいさん「マルクスのおいさんは、目には見えんけど、ものを交換する時に必ずそうなるんで、名前を付けた。その、不思議が生まれる状態にね。おいさんの小説の価値を舞ちゃんの絵で表す時、舞ちゃんの絵は等価形態にある、とこう言うんじゃ。そして、本当は、なんでも等価形態におかれることが可能や。」

舞ちゃん「解った。それで?」

おいさん「ところが、今度は、おいさんが小説をネモッちゃんのポスターとも交換したんじゃ。そしたら、また不思議なことになる。舞ちゃんの絵に対しても、ネモッちゃんのポスターに対しても、おいさんの小説は等価形態にある。すると、錯覚せえへんか?舞ちゃん絵とネモッちゃんのポスターは価値がひとしいんやと。」

舞ちゃん「する、する。けど本当は、私の絵とネモッちゃんのポスターを交換せんかぎり、価値が等しくなることはないんや。」

おいさん「そうじゃ。けど、不思議なことは続くんや。おいさんの小説を手に入れた人は、舞ちゃんの絵とも、ネモッちゃんのポスターとも交換できるね。けど、舞ちゃんの絵を手にいれた人は、ネモッちゃんのポスターと交換できるかどうかはわからん。普通は、一回おいさんの小説と交換してから、もう一回交換せないかん。」

舞ちゃん「うーん、そうか。いっつもこの等価形態にあるんがお金なんか!」

おいさん「そうじゃ。マルクスのおいさんはそれを一般的等価形態と呼んどる。けど、お金だけがそうなれるという根拠はないんじゃ。皆がそう思うからそうなんじゃ。けど、他のものは、今のところ一般的等価形態にいすわることはできん。」

舞ちゃん「アメリカは・・・・」

おいさん「舞ちゃん、どこの国にも主権はあるんじゃ。国民主権と言うとるけど、それは選挙の時だけじゃね。前にも政治の民主主義はうさんくさい、いう話をしたね。実際に、他の国に対して主権を行使しとるんは、日本の場合、今は小泉首相じゃ。そして、この主権は一般的等価形態と同んなじじゃ。ところで、前に基軸通貨の話をしたね。通貨自身もまた売り買いされる、と。そのときの通貨が基軸通貨やったね。いま、アメリカが主張しとるんは、言うなれば基軸主権、なんじゃ。」

舞ちゃん「おいさん、うち全部解ったよ。すべての基盤には交換があるんやね!そして、その交換には、本当は一般的に通用する基準なんかない。その時々で、必要に応じて、あるいは偶然交換してしまう。意識しないがそう行なう、やね。そいで、後から、価値が等しかったと考えだすんやね。だから大事なんは、交換のときフェアであることやね。グローバル・スタンダードなんかは大嘘なんやね。そいで、今のところ、全部に通用しそうな対抗手段は、市民通貨やと考えられるんやね。」

続く
執筆:飛彈ゴロウ、2003年6月11日

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