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ゴダールとヌーヴェルヴァーグの女神とパリの墓地

2022年9月、1950年代後半から60年代前半にかけてフランス映画にヌーヴェルヴァーグ(「新しい波」の意)と呼ばれる大きな変化をもたらした映画監督の一人、ジャン=リュック・ゴダール(1930-1922)が91歳で亡くなりました。

映画の誕生は19世紀末。それから徐々に産業化され、1950年代には映画会社の撮影所で助監督として経験を積まなければ監督にはなれないシステムになっていました。

ところが、1950年代後半のフランスで、シネマテーク・フランセーズ(古今東西の映画遺産を収集・保存・修復・上映するフィルム・アーカイブ)で浴びるように映画を観まくり、映画批評誌で論戦を繰り広げるなどして独学で映画を学んできた若者たちが、それまでとはまったく異なる映画をつくり始めます。

当時、新しく登場した技術(手持ちカメラや高感度フィルムなど)によってロケ撮影や同時録音が可能になり、大掛かりなセットやアフレコ(映像に対してセリフやナレーションを後から録音する作業)のための録音スタジオが不要になった結果、低予算の映画制作が可能になり、若者たちはその場に合わせた即興的な演出、時間の流れを無視した編集、結末のないストーリーといった斬新で実験的な映画づくりに挑戦していきました。

それはまるで、持ち運び可能な顔料や絵具チューブの発明(19世紀)が、画家たちの戸外制作を可能にし、自然光や鮮やかな色彩を取り入れた印象派絵画が誕生したときのようでした。

こうしたヌーヴェルヴァーグの監督たちの代表的な人物が、ジャン=リュック・ゴダールとフランソワ・トリュフォー(1932-1984)です。

他にも、クロード・シャブロル(1930-2010)、ジャック・リヴェット(1928-2016)、エリック・ロメール(1920-2010)、アラン・レネ(1922 - 2014)、ジャック・ドゥミ(1931 - 1990)、ドゥミの妻で紅一点のアニエス・ヴァルダ(1928- 2019)らの作品は、日本公開当時から現在に至るまで何度も上映されたり、DVD化されたりしています。

その中で最も人々に衝撃を与え、ヌーヴェルヴァーグの名を世界に知らしめた作品が、トリュフォーの『大人は判ってくれない』(1959)とゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)でした。

ゴダールの追悼記事を読むと、彼の何本もの作品で主演を務め、短期間ながら彼と結婚生活も送ったデンマーク出身の女優アンナ・カリーナ(1940-2019)の名前は出てきても、出世作『勝手にしやがれ』に主演したアメリカの女優、ジーン・セバーグ(1938-1979)の名前はほとんど出てきません。

パリのモンパルナスの墓地にあるセバーグの墓(2014年当時)と
映画『勝手にしやがれ』のセバーグとベルモンド

アメリカのアイオワ州生まれのセバーグは、不思議とフランスに縁があり、15世紀にフランスを危機から救ったジャンヌ・ダルクを主人公にした『聖女ジャンヌ・ダーク』(1957)でデビュー。翌年にはフランスの人気作家フランソワーズ・サガン原作の『悲しみよこんにちは』(1958)に主演。当時は珍しかったボーイッシュなベリーショートの髪型はこの映画の役名から「セシルカット」と呼ばれ、話題になりました。この2本のアメリカ映画で注目を浴びたのをきっかけに渡仏したセバーグは、『勝手にしやがれ』で若き日の名優ジャン=ポール・ベルモンド(1933-2021)と共演。つかみどころのない、でもキュートで溌剌としたアメリカ人留学生を演じ、21歳にして「ヌーヴェルヴァーグの女神」と呼ばれます。

その後は米仏を行き来して40本近い映画に出演しますが、『勝手にしやがれ』以上の作品には巡り合えませんでした。もともとアメリカでの評価はあまり高くなく、かといって名声を博したフランスでも英語訛りのフランス語では役柄も限られ……と葛藤が続いたようです。

3回の結婚を繰り返す一方で、もともと正義感の強かった彼女は、貧困や差別をなくそうと公民権運動や反戦運動にのめり込んでいきます。公民権運動と一口に言っても、キング牧師が行なったような非暴力的な運動とは違い、武装し過激化していった黒人解放組織ブラックパンサーに肩入れし、多額の資金を提供したといいます。その結果、FBIから危険分子と見なされ、盗聴やさまざまなバッシングを受けたあげく精神を病み、1979年の夏に失踪。その11日後にパリ郊外に駐車した車の中から遺体で発見されます。まだ40歳でした。

遺体からアルコールとバルビツール(向精神薬)が検出されたこと、「許してください。もう私の神経は耐えられません」と書かれた遺書らしき手紙が発見されたことから、自殺と見なされていますが、マリリン・モンローの死と同じく、他殺説が何度も出ているそうです。

セバーグの2番目の夫ロマン・ギャリは2つのペンネームを使い分け、本来は1度しか受賞できないゴンクール賞(フランスで最も権威のある文学賞)を2度も受賞している才能ある作家兼映画監督でした。その彼がセバーグの死から1年後に拳銃自殺したことも、彼女をめぐるさまざまな憶測が飛び交うきっかけになったのでしょう。ギャリの遺書には、「私の死はセバーグの自殺とは無関係だ」と書かれていたそうです。

2人の間に生まれた息子アレクサンドル・ディエゴ・ギャリは10代後半で両親を立て続けに亡くすという不幸に見舞われながらも、バルセロナに移住してブックカフェやギャラリーを営みながら、近年は作家としても活動しています。

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パリ市内にはペール・ラシェーズ(東部)、モンパルナス(南部)、モンマルトル(北部)と大きな墓地が3つあり、フランスの歴史、文化を彩ってきた数多くの著名人が眠っています。墓石も彫像やレリーフ、建物風など個性的で、花々も植えられてまるで公園のよう。日本の墓地のひっそりとしたイメージとはまるで違います(下記の参考サイトに写真が載っています)。墓地の入口では著名人の墓の位置を示したパネル状の園内マップを貸し出していて、観光客やファンが訪れることを堂々と認めています(パネルの貸し出しは2014年当時の話で、現在は新型コロナウイルス感染防止のため、下記のアドレスから園内マップがダウンロードできるようになっています)。一風変わったパリ観光をしてみるなら、墓地巡りはいかがでしょうか。

音楽や美術、文学が好きな人ならば、世界で最も訪問者が多い墓地ペール・ラシェーズへ。作曲家のフレデリック・ショパン(1810-1849)、ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)、ジョアキーノ・ロッシーニ(1792-1868)、シャンソン歌手のエディット・ピアフ(1915-1963)、イヴ・モンタン(1921-1991)、オペラ歌手のマリア・カラス(1923-1977)、ロックミュージシャンのジム・モリソン(1943-1971)、劇作家のモリエール(本名ジャン=バティスト・ポクラン、1622-1673)、作家のオノレ・ド・バルザック(1799-1850)、レイモン・ラディゲ(1903-1923)、オスカー・ワイルド(1854-1900)、マルセル・プルースト(1871-1922)、画家のドミニク・アングル(1780-1867)、ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)、アメデオ・モディリアーニ(1884-1920)、ジョルジュ・スーラ(1859-1891)、マリー・ローランサン(1883-1956)など錚々たる顔ぶれが揃います。

ヌーヴェルヴァーグの映画監督では、トリュフォー、リヴェットがモンマルトルの墓地、ロメール(本名モーリス・シェレ)、レネ、ドゥミとヴァルダ夫妻がモンパルナスの墓地、シャブロルがペール・ラシェーズの墓地に眠っています。

MAP OF THE PÈRE-LACHAISE CEMETERY(ペール・ラシェーズの墓地)https://www.api-site.paris.fr/paris/public/2018%2F9%2FCPLMapEN.pdf
参考サイト:https://paris-rama.com/paris_spot/082.htm

MAP OF MONTPARNASSE CEMETERY(モンパルナスの墓地)https://www.api-site.paris.fr/paris/public/2018%2F9%2FMontparnasse_plan_Sepultures_personnalites_26.102018_VA_BD.pdf
参考サイト:https://paris-rama.com/paris_spot/089.htm

MAP OF MONTMARTRE CEMETERY(モンマルトルの墓地)
https://api-site.paris.fr/images/74638
参考サイト:https://paris-rama.com/paris_spot/090.htm

パリの墓地のガイドブック

パリの墓地のガイドブック

Jacques Barozzi, Guide des cimetières parisiens(Editions Hervas, 1990)
……3大墓地以外の小さな墓地も数多く紹介しています(全25墓地)。作曲家のクロード・ドビュッシー(1862-1918)や画家のエドゥアール・マネ(1832-1883)、ベルト・モリゾ(1842-1895)が眠るパッシーの墓地も載っています(フランス語)。

 水原冬美著『パリの墓地――フランス文化の散歩道』(新潮社、1997)
 ……3大墓地に埋葬されている著名人の小伝やエピソードが詳しく載っている、日本語で書かれた唯一のガイドブックです。

青山薫


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