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現実から取り残される面影 -ボウキョウによせて- 第八話

 この文章は、南葦ミトさんが連載されている長編小説「ボウキョウ」第八話から発想を得て書いた二次創作物(ファンアート)です。

 ボウキョウとは:
「故郷と家族」をテーマにした長編小説。
 読む度に、私たちが忘れてはならない東日本大震災で発生した地震による津波や原発の被害について深く考えるきっかけを与えてくれます。


 
6.9

「充希……充希が幸せになれる場所は、もうあの家じゃない。だから、東京でも埼玉でもいい、新しい場所で自分の人生を歩みなさい」

 充希に向けてぎこちなく、そして最大限の笑顔を作ってみせるあなたをみて、ああ、とうとうこの日が来てしまったのだと、潤んだ目をじっとこらえました。

 これまでずっと、あの家を取り壊すことをしませんでした。もちろんきちんとした理由をつけてそうしていた訳ですが、やはり、それを無とすると決める勇気を、今のいままで振り絞れなかったのです。

 跡形もなく盗まれて荒らされて、どんなに酷い状態になっていようとも、あの家は我が家。あなたと充希と私と三人で過ごした場所で積み重ねてきた尊い時間を、思い出を、瓦礫と一緒くたにするというのは、想像するだけで心が引き裂かれる思いだったのです。

 

 今回は主人公である中村充希の母・咲子の視点でミニサイドストーリーを書かせていただきました。

 はじめに振った番号(今回なら6.9)は、「ボウキョウ」八話内の通し番号とリンクしています。サイドストーリーをつくるにあたり、本編のどのシーンを取り上げているかを示しています。

 ここからは「ボウキョウ」のネタバレを含みます。ご自身のペースで物語を読み進めたい方は、こちらのマガジンから「ボウキョウ」を読まれることをおすすめします。


 「ボウキョウ」を読了する度に、十年前の東日本大震災の様々な記憶が呼び起こされます。それはもう昨日の出来事のようにくっきりと。福島を故郷とされる南葦ミトさんの紡ぐ物語は、色褪せることを知らない写真のようです。

 東日本大震災では、沢山の方が被害にあい、悲しみに暮れました。当時の辛い記憶を辿ることは、痛みを伴い、時に目を背けたくなることがあります。震災の影響を直に受けた方なら尚更。


絶対に絶望するって分かる場所に、一体、誰が行きたい?
(引用:ボウキョウ 八話| 南葦ミトさん)

 

 思い出すことが辛い時は、無理に記憶を掘り起こさなくてい。私はそう考えます。そういう状態の時は、心の底に深い傷がある証拠です。まずはその傷をゆっくりと癒すことが第一です。

 大事なのは、傷の浅い人たちが、記憶のかけらを発信し続けること。ゴールは、傷を体感したことのない人たちが、受け取ったかけらを教訓として、また次の知らない世代へ伝えること。
 震災自体をなくすことは今の技術では出来ない。でも人災は、教訓を受け継ぐことで、なくすことが出来る可能性がある。

 約二週間前に発生した大地震。震源地は福島県沖。揺れを感じながら、十年前の東日本大震災の記憶が蘇った方も多かったかと存じます。私はというと、記憶のかけらの発信を怠っていた自分に気づき、筆を止めている場合ではないという気持ちに駆られました。

 私のこの「ボウキョウ」の読書感想文が、いつしか傷を体感したことのない人たちに届きますように。これをきっかけに、南葦ミトさんの「ボウキョウ」が、東日本大震災を知る教材の一つとして、より多くの人に語り継がれますように。そのような願いを込めて、この文章を書いています。


 
 普段から私をフォローくださっていらっしゃる方は、いつになく説明が多いなと思われたかもしれません。

 今日から募集されているのnote公式さんの企画「#それぞれの10年」を拝見して、「ボウキョウ」をもっと多くの方に読んでもらいたいという気持ちが湧き、このようなスタイルで書いた次第です。

 ハッシュタグ経由ではじめてこのページをご覧くださる方にも読みやすいように努めてみました。

 

 ちなみに、この「ボウキョウ」の読書感想文は、「ボウキョウ」作者の南葦ミトさんご自身が立ち上げた企画「ボウキョウによせて」に参加したものです。

 私の他にも、様々な方が様々なスタイルで参加しています。例えば元屋みやさんの感想文は、ボウキョウで登場する実際のスポットを地図で調べながら解説されています。

 この機会にぜひ、南葦ミトさんの「ボウキョウ」を読んでみませんか。




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