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「トレニックワールド100mile & 100km in 彩の国」参戦記(後編)〜すべてを出し切ってリタイアすること〜

Trail Storyレポーターの木戸さんが、5月18日〜19日に埼玉県で開催された、2024「トレニックワールド100mile & 100km in 彩の国」の100mileコースに参戦。胃腸不良に見舞われながらも全力で前に進みますが、リタイアせざるを得ない状況に。数か月の練習を積んで臨んだレースは、「完走しなければ意味のないこと」なのでしょうか? 

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写真・文=木戸謙介

前編はこちら↓
「トレニックワールド100mile & 100km in 彩の国」参戦記(前編)〜過去最高に仕上げて100マイルに挑む45歳男の戦い〜

体調は最悪。「エイドにいる友人に会いたい」だけをモチベーションに前に進む

South 1へのリスタートの前にカレーを半分流し込むように食べる。トレイルに入る前にシャワーで頭部を冷やしてもらって、気合を入れてスタートする。トレイルを抜け、まだ西日が強く射しているロードに出る。ここから2キロ弱ロードを走る。まだ脚は売り切れていないと言っても、身体はいつの間にか重くなっていて、スピードが全然出ない。なんとか走っていると形容できる最も遅いスピードで前を目指している状態だ。そんな遅さで進んでいると、後方から軽快な足音とともに、一瞬で駅伝のランナーにパスされる。僕は呆けた顔で「『足取りが軽い』って言葉はこういう時に使うんだな」、なんてどうでも良いことを考えている。彼の背中は羽でも生えているのかと思うほど軽そうだ。そしてその軽い背中も数分で見えなくなってしまった。

やがて、越生小学校の脇から五大尊つつじ公園を抜けてトレイルに入るころには、西日が足元に届かなくなり、いよいよライトを点灯させる。日没後は気温が下がって楽になるのでは、とスタート前は思っていたが、そんな甘くはないことにすぐに気づかされる。

トレイルを登り始めて身体の不調をはっきりと自覚する。先ほど感じた異変ではなく、明らかな不調だ。呼吸が荒く、息が異常に切れている。登りの速度も異常に遅くなっている。一歩一歩が重く、僕だけ重力が2倍になっているようだ。何とか登り終えて下りに差し掛かっても足に力が入らず、何度も尻もちをついてしまう。もう得意の下りも走れなくなってしまっている。そして、少しでも出力を上げようとすると、トレイル脇に嘔吐してしまう。と言っても、もちろん出るものはまっ黄色の胆汁だけだ。それもほとんど出ない。もう、胃腸薬の我神散も口に含んだ瞬間から吐いてしまうので、摂取をあきらめてしまった。えずいている音だけが、静かな夕暮れの森にこだましている。四つん這いで背中を丸めて腹の奥から絞り出すように悶絶している横を100kmの選手や駅伝の選手に次から次に抜かれていく。もう、抜かれても何も感じない。ヘッドライトにぬらぬらと反射する黄色の液体をぼんやりと見ながら思う。

もう、やめちまえよ。
今なら引き返せる。
そんな言葉が脳裏をよぎる。

刀折れ、矢尽きて。
もう、何も残っていない。
もう、何も燃やせない。
いや、一つだけ微かな希望はある。

次の桂木観音エイドでは、今まで何度も一緒にタフなレースを走った戦友の小西君がボランティアスタッフとして詰めている。彼に会いたい。言葉を交わしたい。それだけが残された唯一の光だ。前に進む確固たる動機だ。

それまでは、何としても進み続けよう。
どんなに遅くなっても構わない。走れなくなっても構わない。不細工なフォームでも、何回転んでも構わない。歩みを止めることは、許さない。諦めることは、許さない。俺が俺を許さない。

朦朧とした意識を何とか繋ぎ止め、そんなことを呟きながら、何とか桂木観音エイドに辿り着く。

エイドで友人に力をもらって復活したか

ボランティアの小西君と。この後、死線を彷徨うことになる。

桂木観音のエイドで小西君を見るやいなや、思わず胸がつまり、鼻の奥が痛くなり、腰から砕けるようにベンチに座り込んで、そのままゴロリと仰向けに寝転んでしまった。

寝転んで小西君を見上げながら何とか言葉を探す。
「ゴメンな」
「必死に頑張ったけど無理やった」
DNFが前提の断定的かつネガティブな言葉が口から溢れてくる。

小西君はそんな情けない姿には勿体ないほどの言葉をかけてくれる。
「お疲れ!よく頑張ってるよ」
「ここから、ここから。まだまだ時間は大丈夫」
「少しそのまま休んでて、豆乳スープ飲む?」
彼が持ってくれた豆乳スープはとても染みた。五臓六腑に染み渡った。そこから、10分ほど話しているうちに何だか元気が出てきたので、自分の意志とは逆に、おもむろに立ち上がってしまった。

他のスタッフの方に
「行くの?大丈夫?まだ、目に光があるね。大丈夫、行けるよ!」
と、背中を押される。こうなったら行くしかない。そうだ、行くしかないのだ。

「また、絶対戻って来るから」
そう約束して小西君と握手をして桂木観音のエイドを飛び出す。

次に目指すのは11km先のkinoca。鼻曲山、一本杉峠までは登り基調。そこからアップダウンを繰り返しながら北向地蔵まで行く。そこからはユガテを経てエイドに下っていくだけだ。それほど難しいコースではない。何度も何度も試走を重ねたトレイル。自信を持て。行けるはずだ。

すべてを出し切ってリタイア。自分を褒めたい

ここからの記憶は曖昧で、故に記録としては不完全なものになる。結果としては、行けるはずだったのだけれど、行けなかった。

いや、もっと正確に言おう。
行けると勘違いしていただけだった。
そこには一握りの可能性すら残されてはいなかった。

メンタルのダメージは若干回復した気になっていたが、フィジカルのダメージは全く回復してはいなかった。山に入ってすぐに鼻曲山の登りで何度も何度も何度も吐いた。登っても息が切れて、下ってもふらついて尻もちをついた。そして、何度かトレイル脇の崖下に身体が傾きかけて背筋が凍った。

このまま行ったら、滑落する。
恐怖のためか、嘔吐のためか、低血糖のためか、何かわからぬ冷汗を拭って、ひとまずトレイル脇に腰を下ろしてうなだれた。汚物に汚れた顔を上げても、前にも後ろにもランナーはいない。ライトすら見えない。肩で息をしながら、ほとんど何も考えられなくなった頭で、すでに砕け散っている思考を拾い集めて、静かに決断を下す。

やめよう。この先はやめよう。

疲労と諦めと失望と恐怖。それらの感情が堅固なスクラムを組んでレースの続行を全力で拒否してくる。もう一歩だって動きたくない。もうレースのことを一瞬だって考えていたくない。

気がつけば、絶対にゴールするんだという熱量も、止まることを許さないという怒りも、胸の内を搔きむしるような焦燥感も、何もかもすっかりと身体の内に無くなってしまっている。とても静謐な夜の森の底に、かすかな月光だけが射している。

それでも、ここにいつまでも座ってうなだれているわけにはいかない。何とか次のエイドまではたどり着いてレースを終える必要がある。かき集められるだけの何かをかき集めて気持ちの芯を作り上げて、また必死に立ち上がる。千鳥足を踏みながら、時間の感覚もわからぬまま何とか次のエイドまでの区間を、まるで夜の大海を泳ぐように喘ぎながら目指す。

北向地蔵の手前の私設エイドでシジミスープを頂く。優しい言葉をかけられながら、一口ずつ乾いた体に吸収させるように飲んでいたら、思わず涙が出た。何に対しての涙かはわからない。でも決して恥ずかしい姿ではなかったと思う。

そしてユガテを経て、すっかりランナーがいなくなってしまった寂しいkinocaエイドに倒れ込むように辿り着く。何人かはすでにブルーシートの上に仰向けになって、サバイバルブランケットに包まって飯能の夜空を見上げている。皆そこで一夜を越すのだろう。僕も「レースを終了します」と告げてチップバンドを外してスタッフに手渡す。「まだ次、目指せるよ」と言葉をかけられたけれど、「とてもじゃないけれど、今の状況で、竹寺までのタフなトレイルは行けないです。マジで滑落しちゃいます」と、頭を振って、苦笑いをする。そして、地べたに崩れるように腰を下ろし、足を前に投げ出す。汗塩にまみれたザックをおろして靴を脱ぐ。この数か月におよぶ緊張が一枚ずつはらりと剥がれて夜の闇に融けていくのを感じる。そして黒々とした山々を見上げて、深く大きく息を吐き出す。

これでようやくリングから降りられた。
もう、降参。本当に参りました。

逆さに振っても一滴の鼻血も出ないほどに出し尽くした。悔しいとか、反省とか1ミリもなし。やっと自分を自分で許してあげられる。そして、よくやったと褒めてあげよう。

敗北の末に辿り着いた景色は、考えていたよりも、それほど悪いものではなかった、と思った。

桂木観音エイドでダウンしているところ

そして、その後は一緒に走っていた「本部長」に車で迎えにきてもらいました(彼もNorthゴールのニューサンピアでDNF)。彼の助けが無かったら、朝までサバイバルブランケットに包まって奥歯を鳴らして震えていたと思います(深く感謝します)。

さて、今回のレースは、過去最高の自分に仕上げて挑みましたが、半分も行けずにリタイアという結果になってしまいました。彩の国のトレイルにフィジカルもメンタルも叩き潰され、僕の中の大事な何かを根こそぎ刈り取られ、ごっそりと持っていかれてしまった気分です。

でも、彩の国のトレイルに本当に持てる全てをぶつけることができたので、反省なし、後悔なし、未練なし。自分の限界点を大きく明確に超えたレースでした。

「人生で、今日より若い日はない」
「冒険家が43歳で死ぬのは、加齢による低下しつつある体力を、経験の蓄積による想像力が上回るからで、まだリタイアを経験したことがない僕には、未開の地が残されている」
「僕も今年で45歳。完走が分かっているレースにエントリーすることに、いったいどれほどの意味があるのか」
「残された時間の中で、『本当の挑戦』をやってみたい」

と、かなり偏屈な思いで参加を決めた彩の国100マイル。過去5回100マイルを走って、その都度完走はしてきましたが、どのレースよりも厳しく、そういった意味でも、見事に私の期待に応えてくれる価値あるレースでした。リタイアを、そして、自分の限界を自分の限界を知ることができました。

今回一つ分かったことがあります。
それは、笑顔でゴールするレースも素敵だけど、本当に自分の全てを出し切ってリタイアしたレースもまた同様に素晴らしいということです。

以前の私は「ゴール出来なければ意味がない」と、本気で考えていました。しかし、「例えゴールできなくても、自分と、そして世界と真剣に向き合い、そのレースで全てを出し切ることができたのであれば、それはゴールするのと同様に素晴らしいことだ」という当たり前の事実に今更ながら気づくことができました。

最後に、「トレニックワールド 100mile & 100km in 彩の国」という、素晴らしいレースを経験させて頂くことができたのも、スタッフ、関係者の皆さまの努力の賜物であると信じています。本当に感謝いたします。ありがとうございました。そして、この素晴らしい大会がいつまでも続きますよう、影ながら応援しています。


【木戸謙介さんの記事】
「トレニックワールド100mile & 100km in 彩の国」参戦記(前編)〜過去最高に仕上げて100マイルに挑む45歳男の戦い〜

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