見出し画像

ひたむきに、木と向き合う ー井波彫刻師・野中願児

この記事では、伝統工芸のサブスク【TRADAILY】の作品と職人をご紹介します。


その工房に入った瞬間、木の清々しく鮮烈な香りが飛び込んできた。いや、飛び込んできたというより自分が飛び込んだといったほうがよいのだろうか。とにかく最初の一歩に感じた香りの印象が忘れられない。杉、檜葉、欅、桜…野中氏の工房では様々な木を扱う。それらが混然一体となった、清涼感とぬくもりある香り。清々しい木の香りに包まれながら、温和な語り口の野中氏から作品のこと、これまでのことなどの話しを聞く。しんしんと降り積もる雪の日の、どこかあたたかな時間だった。


まねく(25体の招き猫…?)

ころんと愛らしい25体の招き猫たちがずらりと並ぶ。
タイトルは「まねく」。
にゃごにゃごと丸みを帯びた小さな手が、見る者をまねいているかのよう。
遠目から見てもわかる通り、それぞれ表情や耳のかたちが異なるだけでなく、すべて異なる木材を使用している。「木」と一口に言ってもこれほど色が違うのか、ということを愛らしい造形とともに楽しめる作品だ。
1体1体をじっくり見比べたい。できれば誰かと一緒なら、さぞ楽しい時間になるだろう。

よくよく見ると、実は獅子や犬、隅にはこっそりと小さなねずみも…。

ちょっと深「彫」り(Q&A)

招き猫がいっぱいですね。なぜ招き猫をモチーフに選んだのでしょうか。
ーこれが飾られる場に人が招かれる(集まる)ように、出会いがあるようにと思って。招き猫は左手が人を招き、右手がお金を招く。人が集まる場にお金も集まる。
「人との出会いを招く」という意味を込めて招き猫にしました。

猫の中に獅子や犬もまぎれていますね。
ー井波彫刻でもよく作る獅子舞の獅子をまぜてみました。ツノ無しの地域も多いけど、井波ではツノあり。井波らしさを入れたくてツノありの獅子を入れました。犬は柴犬とパグ。

猫も実はみんな同じじゃないのです。

色々な色の猫たちがいますが、配置はどのように決めたのでしょうか。
ー色の配置から決めました。
彫る前の状態で並べてみて、同じ色が被らないように配置しました。
色に合わせて猫の表情だったり、犬や獅子にしてみたり…を考えて。
堅めの木は猫以外の動物に。堅いほうが細かい仕事(彫り作業)がしやすいので。
とはいえ、ミズナラはとても堅いので猫にしました。

着色なしでこんなにも色が違うなんて!すごいですね。
ーすべて違う木材を使用して作ったので、それぞれの木の質感や色の違いを楽しんでもらえたら。

使用している木について解説してもらったのだが、中でもかなり希少な木材について一部紹介する。
全種の解説についてはこちらから。

彫ったあとの木くず。いろんな木がある。

・薩摩柘植(さつまつげ)
昔から櫛や印材、将棋の駒などに使用されてきた。いわゆる柘植の櫛、の柘植。
一般に出回っているのは外国製の「柘植もどき」。本当の柘植ではない。
今回使用したものは幅10cm×高さ30㎝で2万円という高級素材。

・ミズナラ
利賀村のものを使用した。今回使用した中では一番堅い木。
砺波市の若鶴酒造がウイスキー樽に使っている素材であるため、今回の作品にも取り入れた。
※若鶴酒造の三郎丸蒸留所にも野中氏作のウイスキーキャットが。
ぜひ訪れて探してみて。

・神代欅(じんだいけやき)
数百年以上の長い間、土中に埋まっていた欅のことを神代欅と呼ぶ。
長いときを経て炭のように真っ黒になった色が特徴。中には茶色いものもあり、こちらは茶神代(ちゃじんだい)と呼ばれる。

・松(まつ)
地元井波の瑞泉寺に生えていた松を使用。
かつて瑞泉寺で火災が起きたときに、この松に龍が巻きついて山門の火を消したと言われている縁起モノ!

今回の作品で使用したものは彫刻では一般的に使われないものも多いように思います。
ー井波では一般的に使われるのは楠、欅、桜、檜。
一番堅いのは枇杷かミズナラで、桐が一番柔らかい。枇杷とミズナラはあまり彫刻に使われることはないと思います。

高校時代、色々なものでオブジェを作っていたそうですが、それが今の様々な素材を使うスタイルにも繋がっているような…
ー素材を集めるのが好き。コレクターなのかも。
どこにあったどんな木で、と聞くと欲しくなってしまう…

野中少年と井波の出会い

『野中願児』は、野中が本名、願児(がんじ)が雅号だ。
本当は「願い事」で「がんじ」にしようと思っていたが、当時の親方から「事」だと人名らしくないと言われ、「児」にしたのだとか。
がんじ、というのは野中氏の少年時代のあだ名でもある。
由来は、インド独立の父・マハトマ=ガンジー。眼鏡をかけ、坊主頭、そして日に焼けて肌が黒かったことからそう呼ばれていたのだという。
野中氏の出身は三重県尾鷲市。尾鷲といえば、あたたかく風光明媚な紀伊半島にある、熊野灘に面した漁師町だ。野中氏の父も尾鷲で漁業を営むひとり。
そんな野中氏が井波で彫刻師となったきっかけは、高校の美術部だった。
主に油彩画を描いていたが、たまにオブジェをつくるなどしていた。特に深い意味はないそうだが、色々な素材を組み合わせていたという。
高校3年生になり進路を考えていた時に、美術部の教員から「彫刻のまち井波」を教えられ、丁度ホッケー留学で富山県の小矢部市から同じ高校に来ていた同級生の案内で、ゴールデンウィークを利用し井波を訪れた。
そこで井波彫刻の職業訓練校に行き、「こんなセカイがあったのか」と衝撃を受けた。
欄間彫刻の美しさに一目ぼれした。松竹梅など彫刻の数々が、美術部少年の心を揺さぶった。
その晩は興奮冷めやらず、手元のパンフレットに載っていた彫刻の図案を紙に描いた。
そして、卒業後すぐに井波へ行くことを決めた。
そのときの衝撃が、今に至る。

プロフェッショナル

「彫っていることで満たされる」
野中氏いわく、井波では「生きていけるお金があればそれで」というような、そういう風潮があるという。
受注制作と受注制作の合間に好きなモノを作るのが楽しいと語る。
これまで作った作品は、さまざまな素材で作った貝(着色していないのにピンクや紫などの貝も!)やアマビエ猫など、丸みを帯びたかわいらしいものが多い。
抽象化して余計なものを取り払ったようなデザインが特徴的な野中氏の作品。
そしてどこかやさしい、愛らしさがある。
「依頼品だけでなく、自分がデザインした作品がもっと売れるようになりたい。」
素材とデザインにこだわり、素材の良さを引き出す作品を作り出す野中氏。
様々な素材を知り尽くし、ひたむきにコツコツと自分が「良い」と思えるものを作っていく姿は、まさにプロフェッショナルの姿であった。

プロフィール

1974年 三重県尾鷲市に生まれる
1993年〜 堀 友二、澤 義博 両氏より井波彫刻を学ぶ
1997年 第48回富山県勤労者美術展 富山県町村会長賞
2005年 日本新工芸展富山会展 北日本新聞社賞

<展示会実績>
2005年 個展 野中願児木彫展 ギャラリー芦屋往還/芦屋市
2006年 個展 野中願児木彫展 ギャラリー芦屋往還/芦屋市
2007年 高橋みのると野中願児 木のからくりと彫刻展(二人展)さくら野百貨店/仙台店
2008年 高橋みのると野中願児 木のからくりと彫刻展(二人展)三春屋/八戸市
2008年 個展 野中願児木彫展 ギャラリー芦屋往還/芦屋市

※本記事は2024年4月時点での情報です。

《この記事を書いた人》
池端まゆ子

時代が移りゆく中でも継承されてきたものに強く惹かれる。歴史、背景を知るのが好き。趣味は芸術鑑賞、料理、本の蒐集。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?