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「ネガティブなまま ちょこっと愛を。」

21歳はこんな感じで生きていけたらなぁと。

ネガティブなのです。ベース。
今まではネガティブな自分を見るとどうも嫌になるし、どうやってそんな自分が出てこないかどうやったらコントロールできるか沢山試して考えてきました。

そして21歳どう生きたいかを考えてたら 色のない自分を押し出すようなキラキラした言葉しか出てこず それにしようか迷ったけど ちょっと苦しい気がして。

だから、そのままでもいっか、と、一旦諦めてみると意外と楽になったのです。「自分はネガティブだから~」と言い訳するために解釈しているわけではなくて、そういう人間だと一度解釈することで自分が否定する部分が大幅になくなるのです。

もちろん、そのベースの上にポジティブ解釈機能が備わってきているのでいつでもネガティブなわけではなく全然元気です。

そして、そんな自分に対して愛をもちたい。伝えたい。
もちろん周りの人にも変わらず愛をもちたい。伝えたい。

でも自分に対していきなり愛をもつ、と決めてもネガティブなのでちょっと苦手なのです。そうです、さっそく言い訳です。(小声)
だから「ちょこっと。」だけにしました。

そして、周りの人にも変わらず愛をもちたい。
でも自分のことでいっぱいいっぱいにもなりそう。

だからせめて「ちょこっと。」は忘れないようにしよう。

そんな気持ちを込めて「ネガティブなまま ちょこっと愛を。」をテーマにしました。

よく自分自身に対して愛を持つのが苦手だと話すと、
「自分を本当に愛せてないと人を本当に愛することはできない」と言われます。
前までは、心からその通りだと思ってたし、だからこそ自分を愛せるようになりたい。それができない自分から出てくる言葉や行動によって人に愛を伝えられるんだろうかと罪悪感に悩まされていました。

でも、最近は本当にそうなんだろうか?とも思ってます。
自分自身を愛してなくても目の前の人を愛することはできるんじゃないかと。

「それは本当の愛じゃない」と言われるかもしれないけど、何が本当の愛かなんて誰もわからないしそもそもそんなの主観まみれで人によって愛の形や彩はさまざま。
だから、今私が自分自身を愛せてなくても目の前に伝えている愛は別に嘘偽りでもなく本物だと解釈することにしました。

でも、「自分を愛せてはじめて人を愛せる」という考えにも共感しているしそんな人の方が人生が豊かになりそうだなと思っているからこそ今年は、自分にも「ちょこっと愛を。」そして周りへも「ちょこっと愛を。」忘れずに届けられる人間で在りたいなと思います。



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