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それぞれの範囲で合理的に判断して生きている

3月半ば。まだ雪がちらついた長野にて。

宿泊先近くの地元の人が集う居酒屋で、仲間のおじさんと2人で飲んでいた。

そのお店の一押しというなす餃子に舌鼓をうちつつ、ほぼ初対面だった私たちはお互いのあれこれを話し出す。おじさんは私の経歴を面白がりながらひととおり聞いてくれたあと、こう言った。

「きみは、そのときどきで合理的に生きてるよね」と。


5月半ば。新宿三丁目の焼き鳥屋にて。

そのお店にくるまで、歌舞伎町ストリートを通り抜けてきた彼は、黒服が女の子をひっかけたり、客引きで立っている若い女の子を見て、強烈にざわついたと話す。いかに自分が信じたいものしか見てこなかったか、いかに世界の一片しか見てなかったかと。


そういえば。

2018年会津旅。町中でふと目にした、ある父子の案内板を見て。

家老として会津戦争の責任を問われ切腹を果たした父。遠く福岡の藩校で、ある出来事をきっかけに同級生のからかいの対象となり、藩対抗剣道大会で勝利を収めた直後、会津藩士の誇りにかけて切腹した次男(※)。16歳少年の誇り高さを語る案内文に疑問符しか浮かばなかった。


「でも結局さ、その人にとってその判断が合理的だった、ってことだよね」

「そうかー。歌舞伎町の黒服も、女の子をひっかけるのが合理的だし、16歳の会津の少年も、切腹することに価値を置く文化や背景があったってことだよね」


一見、突飛に見える行動も、その人にとっては合理的な判断のもと行動している。合理的判断の拠り所は、その人の持つ大事にしたい欲求。多様性理解ってこういうことなんだと思う。その人にはそうしたい理由があるってこと。

「そうは言ってもわたしも東南アジアに買春ツアー行く人とか、嫌悪感しかないわー」

「合理的な判断の根拠を把握するだけでよくって、自分がその行為にどう思うかは別なんじゃない。肯定的に見れなくてもいいし。俺はレバーの苦くて臭いのが嫌いだからほかの人が食べてるとうげっ…て思うけど、別にその人がオーダーして食べるだけなら文句いわないし。そんな感じ」

「え、さっきからめっちゃ食べてるんですけど…なんかありがとう」


(※)切腹の理由は諸説あるようです

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