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雨宮まみさんがフォローしています

Twitterを始めてよかったことの一つは「雨宮まみさんがフォローしています」って、誰かのツイートにメッセージが出ることです。

私は彼女の文章が大好きです。自分のかっこ悪いところをさらけ出して、ときにはやさぐれちゃうんだけど、なんとか留まろうって歯を食いしばっているところが、素敵だから。
でも、彼女の文章は、もう増えない。2016年11月、雨宮さんは40歳で亡くなられたから。
私はお会いしたことのない人が亡くなって、初めて泣きました。雨宮さんの声が聞きたかった。どういう風に笑う方なのか、知りたかった。だから、雨宮まみさんがフォローしていました、じゃなくて、雨宮まみさんがフォローしています、って出るのが、たまらなく、嬉しいのです。

特に彼女のWeb人生相談の連載、「穴の底でお待ちしています」、大好きでした。
雨宮さんの言葉は、優しいんです。もうすでに傷ついている人を、また傷つけたりしない。

このコーナー、正確には「人生相談」とは名乗っていません。「愚痴」を投稿するコーナー、ということになっています。

彼女の言葉は、人の生きづらさを軽くしてくれる力を持っていました。自己嫌悪でがんじがらめになっている人に、風穴を開けてくれました。人生を楽しむ方法は、もっとあるんじゃないかと思わせてくれました。

おこがましくも思うのは、雨宮さん自身も、たくさん悩んで、誰かに毛布をかけてもらうみたいに、言葉がかけてほしかったから、こんなに素敵な言葉で、愚痴を受け止められていたのではないか、ということです。

どうして、雨宮さんが亡くならないといけなかったんだろう。どう頑張っても前に踏み出せない日が来たら、このコーナーに投稿しようと思っていたのに。彼女に救われた大勢の一人として、今でも、心底そう思っています。でも、先回りするみたいに、雨宮さんはこう書かれていました。

「正しい」って、なんでしょうね。私は自分なんかより、はるかに才能があって努力していて、何より「生きたい」と望んでいた作家さんが亡くなったとき、自分よりあの人が先に死ぬ世の中は間違ってる、と思いました。自分が一生の間に書くであろう文章よりも、その人の書いた文章のほうが価値があると今でも思っています。命をあげたくても、あげることはできませんでした。世の中は正しくありません。正しくないんですから、安心して間違えてください。

※上記は、連載の第8回「私という存在を無かったことにしてほしい」から引用しています。

まだ安心して間違えられないけど。うろうろしてばっかりだけど。こう言ってくれる雨宮さんがいてくれてよかった。Twitterでは今も雨宮さんのことを話している人がたくさんいて、ほっとします。

すべての相談はここから読めます。部屋の隅っこや布団の中でだらだらと泣いてしまって自分ではもうどうしようもないとき、ぜひ。

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