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ウィークエンドけそ(第14回/2020.11.21号)

くずざんぽー、けそです。
通常金曜日に更新してる『ウィークエンドけそ』ですが、今週は土曜日更新です~。よく寝たから頭がクリアだぜ~。ぶひぶひ。

つぶやきでも書いたんですが…『鬼滅の刃』を読むのに夢中になってましてね…、すみません。
もともとアニメを途中まで観てて、名前が難しくって聞き取れないことが多かったから(愈史郎(ゆしろう)がわからなくて、最初「うしろ」くんだと思ってた)、漢字で読める喜びを噛みしめる私であった…(あの独特の漢字使いも、世界観の魅力の一つだと思うんだよね~)。

この番組は、今週けそがビビビと来た、SNSの話題・ラジオで聴いたもの・YouTubeで観たもの等の中から、特に皆さんにお伝えしたいものを紹介していくテキストラジオです!

今週は
・「むむむ部門」を新設しました(興味深い話題だけど「おもしろ部門」という看板だとちょっと合わないなと思う内容が多いので)
・「むむむ部門」があまりにも長いので(基本的にいつも長いけども、まじで今日のは長い。読んでくださる方には先にお礼を言っておきたいくらい…)、いつもより部門数を1個減らしてお届けします!

ということで、今週の最初の部門。

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見ないのでもなく、無自覚に見世物にするのでもなくーcakesのホームレス記事炎上について、ポリタスTVを観ての感想

先日、cakesに掲載されたホームレス関連の記事が炎上した。

この記事は、cakesクリエイターコンテスト(※)において優秀賞を受賞した夫婦ライターユニット「ばぃちぃ」さんによるもの。

(※)cakesクリエイターコンテスト→文でも漫画でも、noteに投稿した作品で応募できて、特定の賞を得られるとcakesでお仕事として連載ができるようになるぞ、という趣旨のコンテスト

ばぃちぃさん夫婦は、河川敷に暮らすホームレスの「おじさんたち」に食料を届けたりして交流する活動を、3年間続けている。活動を通じて、自分たちの思っていたホームレス像と「おじさんたち」の暮らしぶりには乖離があることに気づいて、取材をしたいと考えたそうだ。

毎日決まった時間に起きて、朝食をとり、準備をして、仕事に出勤、帰って来たら夕食を食べ、お風呂に入って寝る、というルーティーンのなかにももちろんそれなりの幸せは感じている。
しかし、ときどきそんな自分とは違う生きかたを覗きに行きたい気持ちが生まれる。

私たち夫婦が田舎の河川敷ホームレスの人たちを3年間も継続して取材し続けていられるのは、おじさんたちの生活を見て感じた異世界性が大きい要素なのだ。

とはいえ、私たちはおじさんたちのような路上生活をしようとは思っていないし、現在のテクノロジーに囲まれた生活を続けていきたいと思っている。
そのうえで、おじさんたちの日々からみえてくる様々な工夫や生活の知恵を追いかけたい。それは、私たちが日常生活をしているなかでは触れる機会が少ない体験をおじさんたちを通してできるという刺激が根本にはある。

(cakesの記事「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」より引用。太字はけそによるもの(このあとTwitterでの反応について紹介しますが、そのポイントとなる箇所なので太字にしてます)。この引用も太字も私の目を通したものなので、まずは全文をぜひ読んでもらえたらと思います)

私は最初、「受賞作発表」の段階では問題だとされる点に全然気づけていなくて、この方(↓)と近い心の動きをたどった。

いろいろ読んでいくうちに「なるほど…」と「うーん、どうだろ」が蓄積していって、頭が痛くなってきた。

Twitterを読んでて、議論の目立ったところ(だと私が感じたところ)は、以下の通り。

1.書き手の姿勢について、批判されてた点
・「結構豊かな生活をしているなんて想像もしてみなかった、面白いな」という姿勢は、同じ目線に立っているとは言えないんじゃないか。
・「同じ生活をしたいわけじゃないけど、面白い生活だから、時々その様子を見学させてもらってもいいでしょうか」という姿勢は、配慮に欠けるのではないか。

■これらの「批判」に対する「批判」
・取材対象となったホームレスの人は当然記事の公開は許可しているはずだし、彼ら自身が問題と感じてないなら、当事者ではない人が問題視する必要はないのでは?
・記事を非難してる人は自身は、普段ホームレス支援をしてるの?何もしてないんだったら非難する権利ないのでは?
・ホームレスを『異文化』扱いするのってだめなの?だって暮らしぶりの工夫が興味深いのは事実じゃん。ポリコレ棒ぶん回していってばっかりだと、多様性をつぶすことにならない?

2.cakes編集部について、批判されてた点
・書き手というよりも、この記事をコンテストで優秀賞に選ぶ編集部がまずいんじゃない?
・「個人で書きたいことを書くこと(noteで発信すること)」と、「編集者の目も入れて、メディアとして発信すること(cakesで発信すること)」は同じじゃないはずなのに、同じようになってしまっている。
・cakesはウェブメディアだから、紙媒体のような「社会問題を扱う際、こういう点に気を付けないといけない」って経験を蓄積できてない。

ばぃちぃさんの姿勢については、能町みね子さんの意見が一番しっくり納得した。

ばぃちぃさんの書きぶりを踏まえるなら、4)は「ホームレスって実際どうなの?」というニュートラルな雰囲気よりももっと踏み込んでて…「実際のところ、ホームレスって、暗い面ばっかりじゃないよ!」って感じかなあ。記事の中で「暗い面」の話(記事の前提となるところ)をしてないのに「暗い面ばっかりじゃないよ!」の話だけしているから「え?」ってなるのかなと。

この議論には、とても興味があった。
この議論を読んでいると思い出す出来事が、人生の中でいくつもあるから。

例えば、今年リオのカーニバルを観に行ったとき泊まった宿で、スラム街を「見学する」ツアーに参加するか、悩んだこと。

その宿では、リオにあるスラム街「ファベーラ」を見学する有料ツアーを行っていた。宿のオーナーさんがかつてそこに住んでいたのでファベーラ内に知り合いがいて、例えば揉め事が起きていたり危ない状況になっていそうであれば事前に知ることができ、比較的安全に見学できるのだという。

自分一人では絶対に行けない場所だし、リオにまた来られるかはわからないから、興味はある…。オーナーさんは危険な場所の情報をいろいろ教えてくれたり、安全第一の人だというのはわかっているから、スリルを楽しもう!という趣旨のツアーでないことだって明らかだ。
でもなあ…たとえ安全でもなあ…。「スラム街」を「見学」って、ちょっと引っ掛かるんだよな…。だってそこに暮らす人たちにとっては、それは日常なのにさ…興味本位で「見学」しに行って、いいのかなあ…失礼じゃないかなあ…。

長期の旅行になるから一カ所で大盤振る舞いはできない、と思ったこともあり、結局私はそのツアーに参加しなかったんだけど、時々「ほんとうにそれでよかっただろうか」と考えることがある。
「観ないことにしたのは、ファベーラに住む人たちのためになったか?」「観たことを友人知人に伝えることが、まわりまわってファベーラに住んでいる人の暮らしを今よりよい方に変える可能性があるんじゃないか?」
「でも、長期的に何か支援をするわけでもないのに、見学に行くって…」

炎上した記事―というか、社会問題全体について—の話に戻すと。

今ある問題を、「ないことにする」「見ないことにする」のが一番よくないことだと思う。でも、「見世物にする」こともおかしい。誰かに消費されるために生きてる人はいないから。
どうしたら、「ないことにする」のでもなく、「見世物として消費する」のでもなく、「ある社会問題のそば・渦中にいる人たち(※)」の生活について知ることができるだろう?

(※私も、「たまたま恋人が同棲させてくれてるから家に住めてる」ってことをはじめ、いろんな問題のそばに常にいるわけで…、「人たち」っていうと、まるで自分自身は「その外」にいるみたいに見えちゃって嫌なんだけど…ほかにどういう言葉で表現するのがいいかわからないのでいったんそう書いておく…)

どうしたら、少しでも「社会の構造のせいで苦しい思いを抱える人(←私自身含む)・機会」を減らすことができるだろうか?それを解決するために、誰か個人がずっと自分をすり減らしているとしたらそれもおかしい、変えたい、減らしたい。

全貌がすっかりわかる、ということはないだろう。すぐに解決したりするものでもないだろう。本を読んだり、動画を観たりするだけでは足りないところも、もちろんたくさんあるだろう。
だけど、まずはできる範囲で、考えを進める努力をしてみたい。

そう思っていたところ、YouTube上の番組『ポリタスTV』で、今回の記事をテーマにした対談が放送されると知った(2020年11月18日の回)。ジャーナリストの津田大介さん(番組をつくっている方)と社会問題を扱うメディア『リディラバジャーナル』の安部敏樹さんが対談するとのこと。観てみることにした。

※『リディラバ』について、これを観るまで知らなかったけれど、noteでもマガジンなど展開されてるみたい。
公式サイトはこちら(↓)。

無料公開期間が終わっちゃう寸前にあわてて観たので全部通しで観られてないのだけど(ほんとは切り取るようでよくないんだけど…すみません…)、たくさん学ぶところがあったので、内容の一部をシェアしたいと思う。前置きがおそろしく長くなったけど、この「シェア」が、今日この部門のメインの部分。

※もう無料公開期間は終わっているのだけど、参考用に津田さんの告知ツイートを貼っておく↓

~ここからポリタスTVの内容(一部)紹介~

まず大前提として…

リディラバの安部さんは、本件について以下のようにツイートしている(長めの引用になりますが、これら一連のツイートの内容も番組で紹介されてて、それが前提に対談されてたんで、紹介されてたところを全部引きます)。

(けそコメント)
炎上した記事への批判の中には、「『ホームレスのおじさん』って書き方が、もう個人として尊重してないなと思う。プライバシーに配慮するにしても、例えばAさん等の仮名で書くとか、個人として扱いながら特定を避ける方法があったんじゃないか」といったものもあった。でも、むしろ「個人として(小さい主語の話として)」書いていることが、大事なことをすくい逃してしまってる原因になってたのか…、と意外な気持ちになった。

(あと、リディラバジャーナル、気になります)

そして、津田さんは、番組冒頭でこう話されてました。
・今回の番組は、cakesの炎上した記事を叩きたいという趣旨ではない。
・瑕疵はあったと思うけど、記事を削除してほしいということではない。
 今回の炎上を、考えるきっかけにしたかったので取り上げた。

ここからようやく、お二人の対談の内容のメモ with 時々けそコメント。
※動画を観ながら私がメモした内容をもとにしてるので、言葉の使い方とか語る順番とか、あくまで二次情報として読んでくだされ。

小さな主語と大きな主語
津田さん:
今回の記事の内容は、「個々人のホームレスの人たち」、「小さな主語」で語るものだった。
しかしタイトルには、「ホームレス」という言葉が掲げられていた(今回の記事のタイトル→「ホームレスを3年間取材し続けたら、意外な一面にびっくりした」)。このタイトルがミスリードだったところもあったと思う。「ホームレスを総論として語る」(「大きな主語」で語る)印象を与えるタイトルなのに、実際はそうではなかったから。しかし、「ホームレス」をタイトルに入れなければあまり読者の目にも留まらないだろうから、たくさんの人に届けたいと思ったとき、難しいのだが…。

もちろん「小さな主語」で語ることも必要だけれど、社会問題に関するテーマで「小さな主語」を強調しすぎると、そのテーマ全体に横たわっている問題が抜け落ちてしまう可能性がある。

例えば、NPO法人「もやい」が2014年に行った「野宿者への襲撃の実態に関する調査」によれば、アンケートに答えたホームレスの人のうち、40%が「襲撃を受けた経験がある」と回答している。襲撃を受けた人はもちろん、知り合いが襲撃されたという話を聞いた人も、日々恐怖を抱えて生活していると思う。そうした側面が「小さい主語で、ホームレスの生活の豊かな面を紹介する」記事では、伝えられない。

(※NPO法人もやいは、「日本の貧困問題を社会的に解決する」というミッションのもと、生活に困っている人の相談を受けたり、社会的なつながりがもてる場をつくったり、行政に提言を行ったりしている団体)

「なるべく多くの人に読んでほしい」ということと「誠実であること」のせめぎあい

安部さん:
自分自身も、社会問題関連テーマの記事のタイトル付けについて、悩んだ経験がある。ライターさんからあがってきたタイトルで「この言葉を使うと多くの人に読んでもらえるだろうとは思うけど…でも…」と悩んだことがあり、記事で扱われている当事者の人にも意見を聞いたら「これはちょっと…」と渋る声があがったので、読んでくれる人が減るだろうな…それは痛いな…と思いつつ、タイトルをより地味なものに変えた、ということもあった。

(けそコメント)
私はお金をもらって書く仕事をしてるわけじゃないけど、やっぱりインターネットに載せる言葉については、特に「わかりやすいこと(共通認識が持てる or いろんな人のアンテナに引っかかる)」と「誠実であること」のはざまで悩むことが多い。

例えば、LGBTQっていう言葉を使うことに、ためらいがある。性の流動的な側面が、削ぎ落されちゃう言葉な気がして。「Lの人」「Gの人」って「仕分けする」雰囲気に、加担してしまうような気がして(そしたら、「男女」って言葉だけ使ってるのと何が違うの?同じじゃん?と思う)。でも、「共通認識のための言葉」も、やっぱり必要で…。うーん…、じゃあどうしたらいいんだろ…。

なんかこういう…「はっきり『こうすればいい』って答えがすぐに出ないこと」について、割り切れないな…モヤモヤするな…と思いながらも考え続けること、結構重要な気がする…。それから、1回「これがいいかな?」って思ったことについて、後日「やっぱりこうかも?」って思いなおすことを(自分にも人にも)許すのも大事な気がする。考えは日々更新されるものだ。新しい考えを手に入れてもう1回考えなおすことは、「一貫性がない」んじゃなくて「進歩」のはずだ。

社会問題についてメディアで扱うとき、注意しないといけないことはなんだと思うか?(津田さんから安部さんへの質問)

安部さん:
「功罪を自覚する」ことだと思う。「リディラバ」では、ホームレスの人と話をするスタディツアーも実施したことがあるけれど、こうした取り組みにはどうしても現場を見世物にするような側面があると思う。罪深さを理解し、そこに自覚的であることが重要だろう。

その他
・安部さん:「批判への批判」の中に、「批判してる人は、じゃあホームレスの人に対して何をしてるわけ?」って意見があるけど、「現場に行くだけが支援」って考えちゃうのは危うい。自分自身、そういう意見(でも現場に来てるわけじゃないじゃん)を表明して、違うでしょ、と教えてもらった経験がある。例えばデータを集めて分析している学者について「それは机上の空論。現場の実践にこそ価値がある」って意見が寄せられる可能性があるけど、その分析結果を踏まえて現場の人が対応方法を変えたりすることだってある。

(けそコメント)
この安部さんの話に、すごく救われる思いがした。
いつだったかな…友達に、「社会問題について考えるって言ってもさ、結局寄付する代わりに化粧品とか買ってるわけじゃん、我々。結局自分を優先してるじゃん?」というような話をされて、「そうか…そうだよな…」って納得しちゃったことがある。でもさ!やっぱり、考えようとすることも、社会を変える行動の一つだと思うんだよ…!

自分がぎりぎりの状態でする支援とか、自分が得意じゃないところでする支援って、やっぱり継続可能性に欠けると思う。現場に行く覚悟がある人しか許されないと、どんどんかかわる人・関心を持つ人が減っていっちゃうと思う(これは政策とかについても言えると思う。政治家にならなくても、詳しくなくても、できる範囲で政治について新しいことを知っていって、話をすることにはきっと意味がある)

・安部さん:当事者じゃない人が代弁する社会が、本当に豊かな社会なんじゃないだろうか?記者とか編集者が、その代弁する役割を担っているんじゃないか。
津田さん:フェミニズムを例として考えても、女性が女性のことを語るだけでは社会が変わらない、という面がやっぱりある。

(けそコメント)
いわゆるLGBTQ(うおーこの言葉!使うたびにちょっとひっかかる!!!が!!)当事者じゃないけど、性の流動性に理解があるぞ、支援してるぞ!って人たちを「アライ(ally)」と呼ぶけど、いろんなテーマについて「アライ」が増えることが大事なのではないかな…。

~内容紹介終わり~

「炎上したら引っ込めて終わり」って方向じゃなくて、議論することを肯定する番組ですごくよかったなと思った…。前向きな気持ちになれた。
cakesの前回の炎上にも通じるんだけど(記事の内容に問題があったのはたしかだけど)「あまりにもひどい」とかの「切捨て」コメントがTwitterにあふれてて。無知が原因だった失敗がまったく許されない雰囲気は、怖い(失敗なんて何もなかったみたいにスルーするのもいかんと思うけど)。私自身、人の失敗を許すのが苦手な性質があるから(自分の失敗は責められたくないのに!)、もっとその先、リカバリーに、目を向けられるようになりたいなと思う。

世の中の歪みや理不尽について、ずーっと考えて詰めちゃうとしんどくなっちゃうけど、休みながらでも、考え続けたいな。

もっと書きたいことがあったんですが、長くなりすぎてしまったので、また別の話題のときにでも触れましょ…。

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続いては

ウィークエンドミュージック
のコーナー。

ただそこにいることを肯定してくれる、お守りのような歌。

平井堅で『ノンフィクション』


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最後の部門!

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なんとなく、悪いものが浄化されそうな感じがあるよね。

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今週の『ウィークエンドけそ』、いかがでしたでしょうか?
(めっちゃ長かったですね…。すみません…!)

この番組では、皆様からけそへの、褒め言葉・人生相談・質問をお受けしております。

ラジオネームを添えて、この記事のコメント欄に記入するか、以下のリンクからマシュマロ投げてください!採用された方は、番組内でご紹介させていただきます(マシュマロは、Twitterでも回答載せるかも!)

また新型コロナの感染者が増えてきてますね…。免疫力高めて、無理せずいきましょう!

それでは、また来週!

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