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つまらない部屋

私は、6歳から23歳まで、妹と部屋を共有させられていた。

八畳に、学習机2台と二段ベッド、さらに、ベッドとほぼ同じ高さの本棚2台が詰め込まれたのが私たちの部屋だった。

昔から片付けが苦手だ。とにかく物が捨てられない。多くのものは、捨てたらもう二度と手に入らないわけで、そんな決断をおいそれとできる人たちの気がしれない。不幸なことに、妹も片付けが苦手な人間であった。

我々は領土問題でしょっちゅう喧嘩した。私の領土にお前のものが置かれている、とか。ベッドの下の収納スペースで雪崩が起きている、とか。悪いのは主に私だったが、長く生きてる方が所有物が多いのは当然でしょ、と当時の私は考えていた。

二段ベッドの上で寝ていると、妹が声を殺してお経のように私への呪詛を垂れ流しているのが聞こえた。彼女はよくベッドを蹴った。入浴している彼女が浴室で絶え間なく吐き出すぶつぶつをBGMに、歯を磨いた(詳細は聞こえずとも、私への不満であることだけはわかった)。

さらに、私たちの部屋のインテリアは壊滅的にださかった。母が一人暮らし時代に使っていた、灰色に黒のチェックのごわごわしたカーテンや、ベッドの頭側に置かれた、灰色に内臓色を混ぜたみたいなくすんだピンクの本棚が、私は大嫌いだった。片付けても素敵な部屋にはならないんだから、片付ける意味、ないだろ。私は、何よりも自分の部屋がほしかった。そうすれば片付けもできる人間になれそうだったし。

そんなわけで、私は人が住む部屋に対して、たぶん異様な関心を持っていたし、今でも持っている。行きたい行きたい、とせがんだりはしない。チャンスが訪れたら、じっくり観察する、というだけ。ライブには行かないけどラジオでかかったら嬉しい歌手、のような距離感で。たまたま買った雑誌に誰かの部屋が載っていたら、何度でも私は眺める。

実際に訪れた部屋とか、その周辺の印象も、比較的覚えている方だと思う。

家庭教師としてほんの一瞬英語を教えていた小学生の女の子は、1階がご両親のオフィスになっているおしゃれな家に住んでいた。きっとお手伝いさんなんだろう、外国人らしき女性がごみ捨てをしている日があった。勉強に使っていた部屋にはたっぷりとしたデザインの照明があって、バーみたいなオレンジの光で部屋が包まれる夕方の時間が、私は好きだった。英語のCDをかけるのに使うAV機器が本格的で驚いた(町の電機屋にはとてもなさそうな代物だった)。雑種でないことがたしかな子犬が2匹いた。アメリカのドラマみたいな簡単なキッチンがあって、奥に黒い冷蔵庫があった。女の子はPerfumeに会ったことを自慢していた。教師派遣会社の軽薄な社員は、その会社を利用している芸能人の子供がどの辺りに住んでいるかをべらべら話し、「今回のあの子は、親の仕事が忙しいから、まあどっちかっていえば、子守りですよ」と言った。


付き合っている人の実家に行ったことが一度だけある。こういうと失礼かもしれないが、『万引き家族』に出てくる家に印象がそっくりだった。とにかく物が多くて、でも秩序がちゃんとあった。バランスが少しでも狂ったら、崩壊してしまいそうな危うい秩序だった。

居間の奥にテレビが置かれていて、テレビの近くに恋人、その隣に私、正面にお父さん、その隣におばあさんが座った。テーブルの上にティッシュ箱が置かれていた。たばこを吸うロックなばあちゃんなんだよ、と恋人から聞いていたおばあさんは、思ったよりも優しい雰囲気の方だった。お母さんは、店屋物のメニューを探して動き回っていた。手伝えることがないかタイミングを探るのに私は疲れ果て、昼食のあと恋人の部屋に移動し、あるかないかの卒業アルバム閲覧タイムを経た後、3時間もそこで爆睡した。「リラックスしすぎだろ」と恋人は笑った。ゲーム好きの恋人の部屋はほこりにまみれたコードだらけで、学習机にはまばらに本が置かれ、私が付き合う前に借りた稲中卓球部が本棚に収まっていた。

別れる直前、「言いたいことがあるけど、傷つけるだろうから言えない」とわけのわからないことを向こうが言い出すから吐き出すよう促したら、少し間を置いて、「けそちゃんの部屋はつまらない」と恋人は言った。私が一から必死につくってきた、でも残念ながらつまらないらしい、その部屋で。私たちは同じ年の夏に別れた。その後、家族で引っ越した、と元恋人から連絡が来た。どうやってあのバランスをはがして、再構成したのだろう、とそこだけはとても気になっている。

自分だけのための部屋がある今も、私は片付けが死ぬほど苦手だ。

もう1ヶ月以上前に引っ越したのに、まだ段ボールが片付いていない(というか、今あるものを減らさない限り、収まらない)。よくいえばヴィンテージの、悪くいえばとっても古いマンションに引っ越したため無精が許されず、謎の虫が発生して、毎日泣きそうだけれど、他に帰るところもない。

数年以内に長旅に出るつもりで、そのためにこの山のような所有物をほぼ処分するつもりでいるが、そんなことをしたらいよいよ概念としての私の部屋も葬り去られるような気がして、今からすごく怖い。


【追伸】
パンフレットを読み、さて、どういう形で『万引き家族』の感想を綴ろうかしら、と考えていた。部屋、だな、私は、部屋の話をしたいな、とエピソードを考え始めたらこれはあまりにもエッセイ。別にまとめることにしたのが、この記事です。

母が亡くなったとき、葬儀で飾る写真を選ぼうとアルバムを見ていたら、彼女の一人暮らしの部屋の写真が出てきました。私が心から軽蔑していたカーテンが、写真の中では颯爽と下がっていました。
今でもあのカーテンはださいと思っていますし、もう二度と自分が住む部屋に下げたいとは思いませんが、こんなことを考える度に胸が痛みます。

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