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自尊感情、自給しよ!:『さよなら、俺たち』

ジェンダーとは「社会的・文化的に形成された性別」と訳される言葉だ。常識や役割、システムやルール、教育やメディアなど様々なものの中に潜んでいて、それらを空気のように吸い込むことで知らぬ間に構築されてしまう「男らしさ」「女らしさ」のようなものを指す。何かと男女二元論で語るのは乱暴だし、「男女である前にひとりの人間」と性差をめぐる議論を敬遠する向きもある。それはその通りだと思う。しかしジェンダーとしての男女はやっぱり違う。あまりにも違うと私には感じられてならない。
なぜ歴代の首相はすべて男性なのか。なぜセクハラや性暴力の被害者は女性ばかりなのか。家事や育児の負担が圧倒的に女性に偏り、性風俗やアダルトコンテンツのほとんどが男性向けなのはなぜなのか。

〔中略〕

判で押したような言動が量産されている背景には、間違いなくジェンダーの影響がある。

(『さよなら、俺たち』より引用)

清田隆之さんの『さよなら、俺たち』がとてもとてもよかったので、今日はその内容(主に「『気づかない男たち』―ハラスメント・スタディーズ」という章の内容)について書きたいと思います。

『さよなら、俺たち』は一言でいうと…

日本の“嫌な男性”と、「嫌」になっちゃってる背景について、著者の清田さんがご自身の言動(痛い/イタいの多め)を振り返りながら考えたエッセイをまとめた本。

です。

著者の清田隆之さんは、恋バナ収集ユニット「桃山商事」のメンバー。
「桃山商事」は、いろんな人の失恋体験や恋愛相談を集めて、そこから見える恋愛とジェンダーの問題をコラムやラジオで発信しています。
(恋バナをしに来る人のほとんどは、異性愛者の女性、とのこと)

cakesの連載面白いよ↓

桃山商事の恋バカ日誌2001年の結成以来、「失恋ホスト」として1000人以上の男女から恋のお悩みやエピソードを聞き続けてきた恋バナ収集ユニットcakes.mu

「桃山商事」は、清田さんが大学時代に数人の男友達と始めた活動で、当初のコンセプトは「恋愛で苦しむ女子の愚痴に耳を傾け、みんなで盛り上げよう」というものだったそう。
最初は身近な女友達を対象に遊びのように始めたものが、友達の友達に広がり、学外に広がり、現在の仕事にまでつながっていった、とのこと。

活動のメインが「悩み相談」なので、集まる話はネガティブな話が多い…。
不倫、失恋、セフレや婚活の苦しみ、モラハラ、セックスレス…。
いろんな話を聞いてると、その悩みの向こう側にいる男性たち(夫や彼氏など)は別の人のはずなのに、「前にもそんな話聴いたことある…」と既視感や共通性を感じたそう。そんな“嫌な男性像”の特徴は、たとえば以下のようなもの。

ーーー

■上下関係に従順すぎる男たち
・先輩の誘いを断れず何度も約束をドタキャン
・「上司の命令だから」と勝手に転勤を決めた
・大人になっても高校の先輩に頭が上がらない

■何かと恋愛的な文脈で受け取る男たち
・職場の男性を褒めたら勘違いされた
・誤解されるのが嫌で仕事の相談をしづらい
・上司からのアプローチを避けたら仕事で冷遇

■男同士になるとキャラが変わる男たち
・連れ立って風俗やキャバクラに行くのが謎
・男性はなぜ友達同士でけなし合うのか
・集団になると女性蔑視的な発言が増える

■話し合いができない男たち
・話し合いを持ちかけるとなぜか身構える
・言い訳したり茶化したりで議論にならない
・話し合ったのにまた同じ問題を繰り返す

(各特徴の例は、『現代思想』2019 vol.47-2(「男性学」の現在 〈男〉というジェンダーのゆくえ)内のインタビュー、「『草食男子』から考える日本近現代史(深澤真紀さん。聞き手は清田隆之さん)」に掲載されていた表より、引用しました)

ーーー

で、清田さん、こういったテーマを20個挙げて各論的に考察する本『よかれと思ってやったのに—男たちの「失敗学」入門』を2019年に出されました。
(すいません、私はこちら未読です…今後読みたいです…)

本を書く際、清田さんは、男性たちから幅広い意見を集めようと具体例を見てもらいながら感想を募ったそうなのですが、そこで出てきた意見の上位2つは以下のようなものだったそうです。

清田さんは、こうした「無自覚」が、男性たちが似通ったハラスメント行為をしてしまう背景を考える上での問題になっている、といいます。
(②の「反省的な声」をコメントしている人は一見自覚してるようだけど、ハラスメント行為の根っこについては、やっぱりぴんと来てない)

無自覚とは言い換えれば「言葉で捉えられていない」ということだ。そこにはなんらかの動機や理由があるはずなのに、言語化されないため「ないこと」になっている。それが無自覚の正体ではないだろうか。なぜ言語化されないのかと言うと改めて考えないからで、改めて考えないのは、問われたり注目されたりすることがないからではないか。
(『さよなら、俺たち』より引用。太字はけそによるもの)

うーん…清田さんのこの発想が、めっちゃ「男性的」で面白いな…。

すいません、1回横やりを入れちゃいました。「横やり」の詳細についてはまたあとで詳しく書くとして、引用の続き。

90年代末のコギャルブームの最中、男子高生だった私は世間からまったく興味を持たれていないことを痛感し、自分はあまり価値のない人間なのだろうという感覚を持った。世間とはメディアのことだけではない。広い意味で言えば「他者」から関心を向けられている感覚を持てなかった。自分が何を考え、何を感じ、どんなことを思いながら生きているのか(=being)、誰も興味ないんだろうな……というのが当時のリアルな感覚だった(桃山商事のメンバーである佐藤広報とは中高の同級生で、実際によくそんなことを話していた)。

内面には興味を持ってもらえなかった一方、結果や実績、役割や能力といったもの(=doing)で人間を計られている感覚が強くあった。自ずと会話は「何をやったか」や「何を持っているか」といったアピールが中心になり、例えば中学の時サッカー部で都大会まで行ったとか、○○予備校の模試で何点取ったとか、これまで何人とつき合ったとか、あいつの彼女は芸能人の誰々に似ているらしいとか、出てくるのはそのような話題ばかりだった。

俺たちはいったい、何を話していたのだろうか。今となっては正確に思い出すことなど到底できないが、私は高校の時から20代後半になるくらいまで日記をつけていて、読み返すと「誰とどこに行って何をした」という行動記録ばかりで、気持ちにまつわることはほとんど書かれていない。感じたことや思ったことを言葉にする習慣はどのくらいあっただろうか。そういう話を友達としていただろうか。失恋したとか、ドラマや漫画に感動したとか、ときどきはそういう話もしていたように思うが、大半の時間は部活や受験、ファッションや芸能人のことなど、「自分の外側」のことばかり考えて(考えさせられて?)いたような気がする。

〔中略〕

この「doingにしか興味を持たれないし、自分も他者のdoingにしか興味を持てない」という傾向は、多くの男性たちに共通するものではないかと私は感じている。

(『さよなら、俺たち』より引用。太字はけそによるもの)

つ、つらい…。

――

さて、先ほど横やり入れたところ、もう1回引用してみます。

無自覚とは言い換えれば「言葉で捉えられていない」ということだ。そこにはなんらかの動機や理由があるはずなのに、言語化されないため「ないこと」になっている。それが無自覚の正体ではないだろうか。なぜ言語化されないのかと言うと改めて考えないからで、改めて考えないのは、問われたり注目されたりすることがないからではないか。
(『さよなら、俺たち』より引用。太字はけそによるもの)

ここがひっかかったのは、「問われたり注目されたり」っていう「外からの働きかけ」の有無がポイントになってるのが、すんごい男性っぽい…と思ったからです。

誰にも問われないと考えないっていうのは…なぜなんだろ…?

「自分が何を考え、何を感じ、どんなことを思いながら生きているのか(=being)、誰も興味ないんだろうな……

他の人が興味を持ってくれてるかどうかっていうことがすごく気になっちゃうのは、なんでなんだろ…。

男の人たち、実は自分の気持ちを置いていっちゃってるのでは?

「外からの目線、めっちゃ気にするな~」というのは、男性と話していて時々不思議に思っていたことでした。

=例1=
友人の男性(気になっている女性がいるが、積極的にアプローチするか迷っている)
「あの子、かわいいじゃん?正直、あの子とつきあったら、友達にも自慢できるなって思うしさ…」


(「周りの友達に自慢できるから」付き合いたい気持ちが加速するっていう感覚がよくわからぬ…)
=例2=
私の恋人(男性)
「買ったブレスレットさ、つけたら、みんなにイキってるって思われないか心配なんだよね…」

「時間をかけて選んで買ったのに、なんでそこが気になるんだ…?」

もちろん、同じようなこと気にしてる女性もいると思うんですけど、男性でこういうこと気にし(すぎ)てる人すごい多くない?って思うんです。
「『自分が』付き合いたい」とかで「『自分が』いいと思っておしゃれする」ことよりも、「周りにいいって思われたい」「男友達の中で一目置かれたい」ていう気持ちが上位にある感じ…。

『さよなら、俺たち』の中で、男は褒められないと機嫌を損ねてしまうのはなぜか?それは自尊感情を自給自足できないからじゃないか?ということが述べられてる章もあって、なるほどなあ、と思ったのですが…。

男性のみんなたち…自分の気持ちに耳を傾けてくだされ…!
「外側の誰か」に褒められるのを待つんじゃなくて、自分で自分を褒めていこ…!
自分で「今の」自分を愛していこ…(これから、「成功するであろう自分」の「未来のdoing」で自分の存在意義を肯定するんじゃなくって。それは、行き過ぎると今の自分の否定にもつながっちゃうから…)。

この記事とか…↓

この記事とか…ぜひ読んでほしいです…↓

続々と思い出す「外からの働きかけを待つ」男性たちの事例

そういえば、前の職場に、「自分が掃除当番表を作っていることが嫌だけどそれが言えない課長(男性)」もいました。

週に1回、同じフロアの社員(20名弱いる)が交代制でオフィスの掃除をすることになってて、そのメンバー分けと担当日の表を課長がつくってたんですよ。
で、私は「業務分担に関することだから管理職がやってるんだろなー」と思ってたんですが、課長は「こんな雑用、なんで管理職である自分がやってるんだ?」とひそかにうんざりしてたらしいんですね。

で、あるとき私が「次の掃除当番表はまだ来てないようですが、掃除どうしますか?」と課長に訊いたところ…「ああ…」と不機嫌な顔をして具体的な回答は来ず…。

後輩の男性社員がそれとなく探りを入れたところ(まずこれが結構謎。それとなく探らないといけないのなんなんだよ!!!と当時は思っていた)、「課長は、若手社員から自主的に『掃除当番表は私がつくります、代わりますね』って言ってもらえるのを待っているが、まったくそのような申し出がないので、不機嫌になっている(らしい)」ということが判明しました。

…直接言ってぇえええ!

---

漫画『最強伝説黒沢』にもこういうシーンがありました。

自分の誕生日を、こっそりアピールしたい、主人公の黒沢さん。

(『最強伝説黒沢』1巻より引用)

(『最強伝説黒沢』1巻より引用)

それとなく星座の話をしたり…

(『最強伝説黒沢』1巻より引用)

職場のカレンダーの自分の誕生日の欄に、こっそり名前を書き込んでみたりするんだけど…

(『最強伝説黒沢』1巻より引用)

誰にも気づいてもらえなくて、落ち込む…。

…直接言ってぇえええ!(本日2回目)

((『最強伝説黒沢』は、読んでると心が痛すぎるので2巻くらい読んでそこから先が読めてません…)


で。

これまでこういうこと、「日本の『察し』文化の病理」って思ってたんですけど、よくよく思い返すと男性とのエピソードで多いような気がしてきて。男性にかけられてる呪いが根っこにあるのかも、日本は今のところ男性中心社会だから、結果的に察しの文化=日本の文化みたいになっちゃってるのかも、と思い至りました。

「男の子だから泣かないの」「男なんだからうじうじ言わないの」「そんなこという男は野暮だよ」って、決して過去の台詞じゃないと思うんですよね。今も、こういうような声かけされてる人、自分でもそう思っちゃってる人、いっぱいいると思うんですよ(小さい子だけじゃなく、大人も)。

ほんとは男性だって、「小さいこと」「しょうもないこと」「弱音」を言いたいと思うんですよ。
でも、言えないことが多い(だって言ったら、「男のくせに」とか「スマートじゃない」とかって言われて傷つくのが目に見えてるから)。

でもでも、胸にしまっておいた気持ちは消えない。蓄積していった気持ち、余計なもの・野暮なものとして軽視されてきたbeingが、はみ出てしまっている。結果、「言えないけど気持ちはおさまらないので態度に出す。頼むみんな、俺のSOSを察してくれ」という状態になっている…ッ!どーん。
SOSの発露の変形として、「お前が察さないのが悪い!」と怒鳴る・裏で文句をいう等の型(自分の悲しみ・つらさをごまかすために、問題の主体を相手にすり替える)もあると感じています。
(全部、自分が傷つくのを防ぐために相手を攻撃している)

「呪い」がこんがらがっていった結果、みんな不幸になってるな…という気持ちになりました…。

スマートなやり取りが楽しい人もいると思うんですけど、それをみんなが目指すのはきつすぎる。野暮でもいいから言葉をつくしてコミュニケーションしようぜ!それをダサいとかからかったりするの、まじでやめようぜ!スマートなやり取りを楽しみたい人は仲間うちのみでにしようぜ(みんなに強要しないでくれ)!と思いました。

※といったことを書いているところで、ちょうどカワグチマサミさんのこんな記事を読みました。

「悲しいことがあった」って素直に言える息子さんのそーちゃん。
否定されないでこういうつらい気持ちをまっすぐ小出しにできる場所が、みんなにあるといいよね…。
(そーちゃん優しくて好きだなァ…)

―――

あとあと!「男同士でけなしあうのが親しみの表現」みたいな文化もッッ!
けなし・けなされるのが互いにまじで快感っていう上級SM愛好者の中だけで温存していってほしい!

「優しくしあうのは気持ち悪いしおもしろくない」と思っている男性の方もいらっしゃると思うのですが、「優しいけどおもしろい」の可能性についても本書で述べられておりますんで!ぜひ!

男女ともにほめ合って互いを尊重しまくってるけどすっごいおもしろいから『ほしとんで』(俳句漫画だよ)↓もぜひ読んでほしい!!!!

おわり。

この本についてはほかにも書きたいことがあるのですが、いったんエネルギー切れなので、気が向いたら書きたいと思います!
「フェミニストの言ってることは論理的じゃないから聞けたもんじゃないぜ」という方も、こちらは男性目線のジェンダーの本となっておりますので、そして読んでいくうちにご自分の苦しさの根っこがなんだったか、一部でもわかる瞬間がきっとあると思いますんで、ぜひぜひ読んでみてください。

(もしよかったら投げ銭いただけたら、感想の続きを書く可能性が高まります。笑 これまでの私の記事に投げ銭をしてくださった皆さん…ほんとにありがとうございます…嬉しいです…。

ジェンダー関連の本の研究(?)は面白いけどとっちらかってる思考を整理する過程がなかなかしんどいので、そのうち今月額350円とかの有料マガジンにするかも…月に4本書いてそのうち1本は無料公開するとか…そうしたら安定的に書けるから…そうじゃないと心折れちゃうから…(ブツブツ))

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