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孔子が現代にも通じる生きるヒントを教えてくれた。

先日、マニュアル化は人情を無くすという記事を書きました。

この記事とは特に関係なく、図書館から借りた東洋哲学の本を今日読んでいたのですが、その中で孔子さんが全く同じことを違う切り口で言っていたました。今日はそれについて書きます。

読んでいる本はこちらです。

孔子の名前はもちろん知ってましたが、内容を詳しく学んだのは今回が初めてでした。
「礼」と「仁」というやつです。

【礼】
感情の反応は物によって引き出されパターン化していく。
・・・
鍛錬を積んではじめてふさわしい反応ができるようになる。初めは情によって反応し、終わりは義によって反応する。
・・・
反応を磨く手段が「礼」である。
 
【仁】
「かのように」の礼を繰り返す人生を通じて、まわりの人に親切にするすべを感じ取る能力が身につく。この能力を「仁」と呼ぶ。

ハーバードの人生が変わる東洋哲学/マイッケル・ピュエット クリスティーン・グロス=ロー

反応を磨く手段が「礼」であるそうです。
私達の感情は周りの人によって引き出されるものです。陽気な人がそばにいれば自分も陽気になるでしょう。不機嫌な人がそばにいれば自分も不機嫌になってしまいます。
それ自体は仕方のないことですが、私達はその反応を磨くことができると孔子は言います。

不機嫌な人がいたら、自分も同じように不機嫌になるのではなく、「どうしたの?」と一言声をかけてもいいかもしれません。あるいはそっとしておいてあげる方がその人の為になるかもしれません。
ただ自然と反応するのに身を任せるのではなく、状況を判断して行動を起こしてみるのです。
「どうしたの?」と尋ねたら悩みを打ち明けてくれるかもしれません。そうするとあなたとその人の関係はより深いものになるでしょう。

状況を判断して行動を起こしてみる、これが【仁】のところにある「かのように」の礼というものです。
本書では「かのように」の例として父と子のかくれんぼを引き合いに出しています。

父と子はかくれんぼをして遊びます。子が鬼「かのように」振る舞い、父が隠れる役「かのように」振る舞います。
子は父を見つけることで、いつもは弱い立場にいる子が父を探し出して打ち負かす強い者になりきることができます。役割の交換ができるのです。
たまに父は、間抜けにも脚を1本出しっぱなしにしています。それを承知で子は父を見つけ有能感を得ることができます。
父はかくれんぼの後も間抜けな存在になるわけではないですが、その時だけは過ちを犯す弱い存在を演じることができます。

父も子も普段とは全く違う別の自分になりきることができます。これが「かのように」です。
この体験から、おのおの自分の多様な側面を開発することができます。それは人生の他の人間関係をも向上させることになるのです。

私達の行動はたいていパターン化しているのです。
小さい頃から「自分は内向的な人間だ」と自分に言い聞かせてきた人は、内向的な人のパターンを学習して実践しているだけなのです。
まずはそれを自覚することです。そして本当は自分の行動を変えることもできるのだというのに気づくことです。
内向的であることは別に悪いことではありませんが、時と場合によっては外向的であるほうが良い人間関係を結べるかもしれません。
そんなときは、外向的「かのように」振る舞うのです。

「かのように」振る舞うことで、周りの人との関係が変わるかもしれません。そうすると、【仁】が身につくのです。より多くの人に親切にするすべを感じ取る能力が身につくのです。

現代の私達はしばしば正しいことを見つけようと躍起になります。
いつだったかトロッコ問題が話題になりましたね。あなたはトロッコ線路の切り替えポイントにいます。トロッコが暴走してまっすぐ行くと5人が轢かれてしまいます。線路を切り替えればその先の1人が轢かれることになります。5人をそのまま見殺しにするか、ポイントを切り替えて1人を犠牲にするか、正しいのはどちらでしょう?といった具合です。
数の問題で1人を犠牲にした方が正しい、なんていうのは全くもってナンセンスなのです。その1人が自分の母親だったらどうするのでしょうか?

私達の指針となるような法則を打ち立てようとするのは、倫理学者が大好きなテーマではあるのですが、孔子に言わせると仁を実践する方法を理解する妨げになると言います。
すべての状況はひとつひとつ異なり、刻一刻と変化しています。その状況を読み取って、最適な「かのように」を選択して行動するのが【礼】というものなのです。だからこそ【仁】が身につくのです。

さて、やっとマニュアルの話に戻ります。
こうすると最適である、こうするのが最も効率が良いというのを明文化したのがマニュアルでした。そこでは個人の人情は不要なのです。
みな組織を動かす歯車として回ることを強要するのがマニュアルというものなのです。

マニュアルという絶対の指針が存在することで、私達は【礼】を実践することができなくなります。
ケーキを差し入れたが門前払いにされたという話をしましたが、人間であれば差し入れは渡してあげたいと思うのが自然の心の動きじゃないでしょうか。
多少難しい状況でもなんとか渡してあげようと考えて対応する、それが【礼】の実践というものです。それを最初から無理だと言って否定してしまうのがマニュアルというものなのです。

【礼】の実践ができないまま成長した人間は、当然【仁】を身につけることもできません。人に親切にすることができません。そもそも親切というものを学ぶことができていません。
これは健全な世の中をつくっていこうとすると、問題ではないでしょうか?
僕が人情が無いなぁと感じたのは、こういうところに原因があるのかもしれませんね。

本書では、伝統的で古い中国哲学が現代に生きる私達の生きる指標にもなりうるのだという形で中国哲学を紹介しています。
現代に生きる私達からはこの古い中国哲学から学べるものは無いと考えがちです。しかし今まさに目の前で起こっている格差や環境といった問題に対処できないで右往左往しているようにも見えます。
そんな問題に対して中国哲学は代替案を示してくれると筆者は言います。

ハーバードのエリートたちがドハマリする超人気講義らしいですよ笑
読んでみると目から鱗なことがけっこうありますので、オススメです。
東洋哲学について初めて学ぶ僕のような人でも読みやすい本だと思います!

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