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中道を行く 〜住職さんから学んだこと〜(後半)


○前回のあらすじ


 ひょんなことから友達と山の上のお寺に行くことに。

 そこには圧巻の景色、迫力のある建物、そして住職さんがいました。

 この記事はその住職さんと2時間以上お話しさせてもらって、そこから学び取ったことを自分なりに整理する記事です!

 私は仏教に詳しくないので、言葉を間違えたり解釈を間違えているかもしれません。それはコメントとかで教えてくれたら嬉しいです!

 では、よろしくお願いします!!


○中道をとは?


 中道とは、自分が進むべき道、もっと言えば、自分の行動の指針とも言えるものだそうです。

 例えば、友達に対してとんでもない怒りを感じている時。そこでただ感情任せに怒るのではなく、「私の中道であればどのようにするだろう」というように、自分のお手本として使います。

 このように中道を設定することで、感情の揺れ幅が少なくなり、心の余裕が持てるようになります。

 そして、この心に余裕を持つことこそが、幸せになるために必要不可欠なことであると住職さんは言いました。

 これは私にも心当たりがあります。心に余裕がない時って、自分で自分を制御できない感じがあるじゃないですか??私の場合は胸が負の感情に引っ張られて、胸の動きに体全体が振り回される感覚がします。

 一方で心に余裕がある時って、なんていうか、自分で自分の人生をコントロールできてる感じがするんですよね。理想を持てたり、人に優しくしようって思ったり、そして実際にそれらの実現のために行動できたりします。

 だから、「心に余裕を持つ」ってすごく大事ですよね。


 ここで「心に余裕を持つ」ことに必須である、中道とは何なのかっていうのをもっと深掘りしていきたいと思います。

 メトロノームをイメージしてください。

 メトロノームの針の動きは感情の動きを表します。

 針が揺れれば揺れるほど、感情の動きが大きいということです。そしてこの感情の動きが大きい状態っていうのはすごくエネルギーを使います。これは心当たりがある方が多いんじゃないでしょうか??めっちゃ悲しんだり、めっちゃ怒ったり、めっちゃ喜んだ後ってすごく疲れますよね?

 だから、この針の動きが激しい状態がずっと続くと、心が疲弊し、いわゆる「心に余裕がない状態」になってしまうんです。

 だから、意識的にこの針の動きをなんとか穏やかにしていかないといけません。とはいえ、どれくらいに振り幅を抑えれば「心に余裕がある状態」になるのか、調整が難しいのも事実です。

 針の振り幅を適正なものにするために、必要なものが・・・中道です。

「心に余裕が持てる範囲の手本となるもの」それこそが、中道なんです。

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 大きく感情が動き、針が大きく揺れているなって感じたら、針が上の図の範囲に収まるように調整します。中道という確かな範囲のお手本があることによって、「心が安定している状態」を作りやすくなるってわけです!!

 感情の振れ幅の真ん中にある道・・・だから”中道”なんですね!! 

 この中道は、仏教徒にとってのお釈迦様、キリスト教にとってのイエス・キリスト、私にとってのキャプテン・アメリカです。住職曰く、中道は自分が信じるものであれば、何を設定しても良いとのことです。

 中道を設定し、自分なりに感情をコントロールできれば、常に穏やかな状態で過ごすことができると、住職さんは教えてくれました。

 実際、私たちにこれらを教えてくださった住職さんは常に穏やかで、植物のような方でした。

 そんな住職さん、嘆くようにこんなことをおっしゃったんですね。

 「現代人は心の余裕がなさすぎる」


○現代人の中道


 昔は多くの人が同じ信仰をしていました。

 ほとんどの人が中道を持っていたんです。

 そしてその中道とは、基本的に「人として〜あるべきだ」とか「幸せになるためには〜するべきだ」といった「精神的な豊かさ」にスポットを当てたものでした。(仏教やキリスト教)。

 だから昔は、「どれだけ精神的に豊かなのか」で、人のレベルを測っていたのではないでしょうか?? 


 一方、現代日本はどうでしょう。

 多くの人が無宗派です。

 多くの人が中道を持っていない可能性が高いです。

 では、現代人が中道の代わりに拠り所にしているものは何でしょう??それは、

 お金と、それを生み出すもの

 ではないでしょうか??

 具体的には、学力、容姿、地位、運動能力、コミュニケーション能力など、持っているとお金を稼ぐっていう意味で有利になるものです。

 だから今の世の中は「どれだけ物質的に豊かなのか、もしくは物質的に豊かになれる可能性を持っているのか」で、人のレベルを測っているような気がします。


 昔は「精神的豊かさ」で人が評価され、今は「物質的豊かさ」で人が評価されます。

 だから昔の人は魂を鍛え、精神的に豊かになれるように努力しました。

 だから現代人はお金を稼ぐのに都合の良い能力を鍛え、物質的に豊かになれるように努力します。

 昔の人は物質的には豊かではなかったかもしれませんが、精神的に豊かであるために人生に悔いを残さず亡くなっていく人が多かったかもしれません。

 今の人は物質的には豊かですが、物質はどこまでいっても物質です。心を少しばかり満たすことができても、それ以上はありません。地位やお金に囲まれて、人生に未練を残しながら亡くなっていく人が多いかもしれません。


 みんながみんな物質的な豊かさを求め、競争を続ける資本主義社会。

 みんながお金に囚われ、あたかもそれが人間の価値そのものだと錯覚してしまうような社会。

 もしお金に意識があったら、自分達に翻弄されている人間たちを見て滑稽だと大笑いすることでしょう。

 私たちは、精神的豊かさを犠牲に、どこまで物質的豊かさを求めるつもりなんでしょうか・・・??



○中道を行く


 私はこの生きづらい世の中を、自分なりに楽しく生きるために中道を行きたいと思います。

 私は4月から教員です。心の余裕が求められるお仕事です。

 常に心に余裕を持ち、その一瞬一瞬で子供たちのためにできることを全力でやりたいと思います。

 

 本当に今思い返しても不思議で刺激的な体験でした。きっと一生忘れることはないでしょう。2時間以上もお話してくれた、住職さんには感謝してもしきれません。

 仏教徒になるというわけではありませんが、住職さんに教えてもらったことは無駄にはしません。これからの人生に活かしてみせます!!


 ここまで読んでくれてありがとうございました!! 何かの縁でこの記事を読んでくださった皆さんも、一緒に中道を歩いていきませんか???

 

 

 

 

 


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