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一番「えらい人」。一番「えらい児童」。



 ずっと考えてました。一番「えらい人」ってどんな人なんだろう?どんな人が賞賛される世の中が、一番幸せな世の中なのだろう??って。

 規模がデカすぎるので、視点を学校現場に絞ります。

 どのような児童を「えらい」と賞賛すれば、児童にとって居心地の良い学級になるのだろう??


 私の中でとりあえずの結論が出たので、それを整理する記事にしたいと思います。

 どんな児童を「えらい!」と賞賛するのが子供たちにとって良いのでしょうか??

 それではよろしくお願いします!

 

 結論から言います。
  
 私が考える、一番えらい児童は・・・・





「自分の能力を使って、他人を幸せにしようとしている子」

 





だと思います。

「勉強ができる」、「運動ができる」、「コミュニケーション能力が高い」、「絵が上手い」、そのような高い能力を持つ児童がいます。

 でも、高い能力を持つこと自体に大きな価値はないのだと思います。それはただ運が良かっただけです。

 それらの能力を学級のため、友達のために使うことで初めて、大きな価値を生み出すことになると思うんです。

 もっと言っちゃえば、能力の高い低いも関係ないと思うんです。

 そりゃあ、能力の高い人の方が多くの人を幸せにできる可能性は高いと思います。

 でも、能力が決して高くなくても・・・、少ない人数しか幸せにできなくても、「自分の持てる力を使って、誰かを幸せにしようとしている」という意志そのものが尊く、価値があるものだと思うんです(タコピー・・・)。

 要するに「能力」そのものよりも、「能力をどう使うか」に価値があるのではないかと、そう思うんです。

 だから、私の中で「学力が圧倒的に高くて、たくさんの児童に教えてあげようとしている児童(=結果たくさんの児童の学力が上がった)」と「学力は普通で、隣の子に勉強を教えてあげようとしている児童(=隣の子の学力が上がった)」の行為の価値は等しいんです。



 だから私のすべきことは、

・児童が自分の能力を活かして、他者に貢献しやすい仕組みと雰囲気を作ること

・決して「能力」そのもので子どもを評価するような態度や発言はしないこと

・高い、低いに関わらず、児童の中に眠る「能力」をできるだけ発見してあげること

・「高い能力」を振りかざして、他人を傷つける行為は最も卑劣な行為であることを理解させること

 なのではないかと思います。

 

 きっと学級の中にはなんでもできる能力の高い子もいれば、何もできないよう見えてしまう、能力の低い子もいるでしょう。

 そして、残念ながら大人になっても能力の差はなかなか埋まりません。

 私も、そんな能力の差に何度も何度も絶望してきました。

 でも、

 「能力の高い低いなんて関係ない。自分のできる範囲で誰かの役に立てれば、それだけで自分は偉いんだ。」

 っていうことに、やっと気づけたんです。

 アベンジャーズには神様と、ただの弓の上手いおじさんが同列のメンバーとして所属しています。

 もちろん、神様の方が多くの人を救えます。でも、2人は同じように「ヒーロー」と呼ばれます。ここに全てが詰まっていると思うんです。

 能力なんて関係ない。それらの能力を使う意志そのものが、その人を「えらい人間」か「そうでない人間」に分けると思うんです。

 なので、私はそういったことを、言動から行動から、児童に伝えていけたら良いなって思います!!

 そして私自身、教師としての能力が高くても、低くても、自分の能力をフルに使って、子供たちのためになれるように頑張りたいです!



 今回は私の考える「えらい人」、「えらい児童」について述べてきました。あくまでも私の考えなので、「それは違う!」って思った方もいると思います。

 そんな方がいたら、ぜひ教えてくれたらなって思います!視野が広がるので!

 そもそも、「えらい人像」を1つに絞っている時点で視野が狭いのかなとも思います。ぜひ、視野を広げてやってください。

 ここまで読んでくれて、ありがとうございました!




 

 

 



 

 


 



 

 




 

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