目を背けたくなる自分の存在
昨日、7人で宅飲みをしました。
5人以上の宅飲みを経験したことがある方ならわかると思うんですけど、5人以上になるとそれ未満の人数の宅飲みとは全く違う立ち回りをしなくてはなりません。
5人未満であれば、1つの話題についてみんなで話すことができるので、ただ気楽に話しているだけで良いのですが、それ以上になるとなるべく「みんな」が楽しめるように配慮しなくてはなりません。
あまり話せていない人に話題を振ったり、なるべくみんなが楽しめるようなゲームを提案したり、考えながら立ち回らなきゃいけないんです。
お酒が回る前は、そんな風にみんなで気を遣い合いながら誰も置いて行かないように飲み会を進行するのです。
そのように飲み会が進行していたものの、だんだんみんなの思考能力が鈍ってきます。脈絡のないことを話したり、変な行動をしたり、カオスな状態になってきます。
この時間帯は人の本質が現れる時間です。さっきまでの、配慮はどこいったんだってくらい、みんなが自分のしたいことをし始めます。
”目を背けたくなる自分”が現れたのは、この時間帯でした。
「あいつは面白いから、いっぱい注目されてるな。いいなあ」
「あいつはイケメンだから、いっぱい注目されてるな。いいなあ」
「俺は面白くもないし、イケメンでもないから誰もお話し振ってくれないなあ。悲しいなあ。」
「この空間で俺だけが必要とされてない気がするなあ」
「誰かに必要とされたいなあ」
こんな気持ちが自分の心を支配していくのを確かに感じました。さっきまで気を遣って話を振ってくれた人たちが、お酒で酔って本性が出た結果、自分の相手をしてくれなってしまったように感じたんです・・・。
絶対みんなそんなつもり無かっただろうし、きっと私の被害妄想なんだと思います。ダサすぎますよね・・・😭
私はかつて人との比較で不幸になりました。だから人と比較するのをやめることを決意し、最近では人と比較することがほとんどなくなりました。
しかし今回の宅飲みで、嫉妬に狂いまくる自分がまだ心の中にいることに気がつきました。
まさに、目を背けたくなる自分です。
この例以外にも、私の中には”目を背けたくなる自分”がたっくさんいます。
でも、そんな自分から目を背けちゃいけないんだと思います。
目を背けたくなる自分も1つの人格です。無視し続けたら昨日の宅飲みの私のように拗ねちゃいます。
だから私はそんな自分と向き合い、対話し、彼が一体何を求めているのかを把握して、彼のことも大好きになれるように努力していきたいなって思います!
ここまで読んでくれてありがとうございました!!
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