「褒める」教育に違和感
僕には嬉しくない褒められ方と、嬉しい褒められ方があります。
これを説明するために上司にプレゼン資料を提案した時を想定しましょう。
まず、嬉しくない褒められ方です。プレゼン資料を何度か提案しましたが、上司に「こうしろ」「ああしろ」と言われて訂正し、ほぼ上司が考えたプレゼンになったとします。そして、そのプレゼンが成功したとします。そこで言われる、「よくやったじゃないか」というお褒めの言葉は、僕嬉しくないです。
次に、嬉しい褒められ方です。自分なりに工夫してプレゼン資料を作成し、上司に見せたとします。そこで言われる「よくできているじゃないか!面白い!」というお褒めの言葉は、僕嬉しいです。
では、前者と後者は何が違うのでしょうか??前者は「言いなりになったことへの評価」であること、後者は「創意工夫したことへの評価」だということです。
僕は「言いなりになったこと」を評価された時には、嬉しくないどころか、褒めが逆効果に働きます。「はいはい。今後も言いなりになっていればいいんでしょ?」とか「ただ僕をコントロールしたいだけじゃん。創意工夫したって意味ないじゃん。」なんて思ってしまいます。そして、主体的に何かをしよう!という意欲がどんどん下がっていくことになります。
ただし、上司の方が経験も技術も上です。ここで言う「言いなり」の方が、自分の成長に繋がる事は確実でしょう。
では、「上司の言いなり」になって、プレゼンが成功したとき、僕はどんな言葉をかけて欲しいのか。それは「すごいじゃないか!」「良いじゃないか!」「成長したじゃないか!」なんてお褒めの言葉じゃなくて、
「私の指摘にも負けず、粘り強く頑張ったね!!」
という、認める言葉です。頑張り自体を認めてもらえることで、次も頑張ろう!という意欲につながります。
これらの具体例から僕が言いたいのは、「褒める」ことが逆効果になっているような指導が僕の指導の中に散見されるのではないかということです。
僕は、叱りと褒めを「飴と鞭」のように使い、子どもをコントロールしようとしてしまっているのではないか?ということです。
そしてこのような指導は、子どもは「先生の言うことさえ聞いていればいい」といった受動的な態度を育てていないか?ということです。
これらの疑念をもとに、さらなる指導力アップに繋げるため考えをまとめていきたいと思います!!
それではよろしくお願いします!!
(参考にしたのは以下の書籍です。書籍の中で一部、「これは違うんじゃないか?」って思うところもありましたので自分の主観も入っているかと思います。)
前提として、全ての褒めが悪いとは思っていません。
素直に教師が心から「すげえ!」とか「素敵だな☺️」って思うことはたくさん褒めてあげていいと思います。上手なイラストを描いている、とんでもないスピードで計算が解けた、友達のピンチにすぐ駆けつけた、などです。
でも、教師が教えた(悪く言えば押し付けた)ものを褒めることは先ほどの例のように子どもの「工夫してみよう!」とか「チャレンジしてみよう!」という意欲を削ぐことになるのではないかと考えています。
どんな場面か超具体的に言うと、
・図工で「もっとこうした方がいいよ」とアドバイスして子どもが素直に書き直した場面
・係活動などで子どもが考えてきた企画案に意見を言って、子どもがその通りに動いた場面。
などです。
もしここで「とても良くなったじゃん!」とか言っちゃうと「先生の言うことに従っていればいいんだな」っていう諦めみたいな、捻くれみたいな気持ちを引き出してしまうと思うんですよね。
その代わりに、いずれの場合も、「人の意見を取り入れてくれる人なんだね」などと”認める”声かけをすることで、子どもの意識は先生に従ったということよりも、人の意見を取り入れたということに向き、今後もそうあろうと思うのではないでしょうか?結果、力もついていきます。
そして「認める」と「褒め」の最大の違いであり、これが最大のポイントだと思うのですが「認める」言葉には「感謝」の感情がつきものです。
上の例で言えば、「先生のアドバイスに聞く耳をもってくれてありがとう」。
というニュアンスが入ってくるということです。子どものことを「認める」際には感謝の気持ちをもって伝えることで、直接「ありがとう」と言わなくても子どもには伝わるのではないかと思います。
感謝って、魔法ですよね。感謝を伝えることは「あなたの存在価値を認めていますよ」というメッセージを伝えることであり、感謝のためなら人間どこまでも頑張れます。もちろん、それは子供も例外じゃありません。
以上から、僕は学校において何でもかんでも褒めるのではなく、「褒める」と「認める」を使い分ける必要があるんじゃないかと考えます。
また・・・これは物議をかもすかもしれませんが・・・以下のような場面でも「褒める言葉かけ」よりも「認める言葉かけ」が有効だと考えます。
・児童が廊下をしっかりと歩いている場面
・宿題を忘れて叱られた児童が次の日、しっかりと宿題をもってきた場面
物議を醸しそうなのはここからです。僕が今から主張するのは
「廊下を歩く」とか「宿題を毎日出す」といった、決まりごとを教師が押し付けたものとして捉えるべきだということです。よって、認める言葉かけをするのが良く、さらに感謝の気持ちさえもつべきであるということです。
反論として、「決まりは誰もが守るべきものであって、押し付けるといったものではない。ましてや感謝なんて・・・。」というものがあると思います。そうだと思います。ただ、子どもの立場を考えてみましょう。子どもの中には廊下を全力疾走したいと思っている子がいるはずです。宿題なんてサボりたいと思っている児童もたくさんいるはずです。そんな子供からしたら、教師による「廊下は歩きなさい」「宿題は毎日出しなさい」というのは教師による押し付けだと感じると思うのです。
特に高学年にもなれば、そういった思いが強くなる児童もいるでしょう。そんな児童に「廊下を歩けて偉いね」とか「今日は宿題をちゃんと持ってきたんですね。すごいですね!」なんて褒めの言葉を使ってしまうと、「この先生たちは僕をコントロールしようとしている」→反発。もしくは、「こんなことで褒められるなら、何も考えず先生の言うことに従っておこう」→受動的な人間の育成。に繋がってしまうのではないかと思うんです。
だから、廊下をしっかり歩いている児童に対しては「みんなの安全のために歩いてくれているんだ(ありがとう)」、宿題を持ってきた児童に対しては「約束を守ってくれる人なんだね(ありがとう)」と声かけしていくといいんじゃないかって思います。
結論です。子どもが「飴と鞭の指導」によって、先生の言うことだけしか聞かない受動的な人間にならないようにするためには、「褒める」言葉よりも「認める」言葉を使うのが有効なのではないかと考えます。
「褒める」「認める」という言葉について考えてきました。
この二つの言葉について触れたんだから、触れないわけにはいかない言葉がありますね。そう、「叱る」です。
皆さんは「叱る」の反対はなんだと思いますか??
僕はずっと「褒める」だと思っていました。でも、この記事を書いていてとある仮説が降ってきました。その仮説とは、
「叱る」の反対は、「ありがとう」である
という仮説です。
この仮説を説明するために、図を描いてみました。
数直線があります。マイナスの領域が「児童の好ましくない行動」だとします。プラスの領域が「児童の好ましい行動」だとします。
僕はこの記事を通して、プラスの領域では「褒める」のではなく「認める」ことによって好ましい態度を強化していくべきだという主張をしてきました。その主張の通りいくのだとすれば、「認める」の反対、つまりマイナスの領域に対して行うべき指導は「認めない」指導になります。
「認めない」の表出として先生に現れるのは「叱る」という行為でしょう。叱るという行為を通してプラスの領域に児童を導きます。そしてプラスの領域に至ったら、「認める」声かけをします。「認める」の表出として現れる気持ちは・・・「ありがとう」でしたね。
「認める」と「認めない」は対立概念であるため、「認めない」の表出として現れる「叱る」と「認める」の表出として現れる「ありがとう」も同様に対立概念だと言えます。
よって僕は「叱る」の反対は「ありがとう」だと考えます。
こうやって、持論を持ってポジションを取るということは、批判されるということです。たくさんの建設的な批判をお待ちしております☺️
余談です
「叱る」の反対は「ありがとう」となったときに・・・「褒める(評価する)」の反対はなんなんだろう・・・?「????(評価しない)」
「認める」が人間性や態度についての評価だとしたら、
「褒める」は能力的なことについての評価になりますよね。
能力がない人に対して人間がとる行動は・・・「バカにする」「軽んじる」「差別する」「否定する」
になりますかね。
どちらにせよ、教育において「褒める」の反対は必要なさそうです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?