許せないデッドラインを決める
前回の記事で、子どもに対してどこまで強制力を働かせるべきが分からないという悩みを書きました。
なので今回、どこまで許してどこからは譲らないかを整理していきたいと思います!
何の計画性もなく書き始めました。書きながら思考を整理していくつもりです。なので、まとまりのない、メモのような記事になると思います。
それでも読んでくださる方は、よろしくお願いします!!
まずは基本的なところから
これは迷わず指導しないとですよねえ。
3の暴言に関してなんですが、うまく叱れてないのが現状です。
なんか無駄に考えちゃいます。
暴言を吐く→興奮している→今厳しく言ったところでただの喧嘩になる→無視する→後で話す
っていう感じになることが多いです。
ここで気になるのが周りの児童の目です。
僕は上記のような意図で無視しているのですが、他の子どもには関係ありません。
「なんで先生は注意しないんだ」
「自分たちも言って良いのかな」
そうなってしまうのが怖いです。
これは、どうするのが正解なんでしょうか?
次点として以下のものを挙げます。
これも迷わず指導するべきなのでしょうが、これもまた無駄に考えてしまいます。
「褒め方・叱り方」みたいな本には、よくまずは共感する、事情を聞く、アイメッセージを伝えるということが大切みたいなことが書いてあります。
それが大切なのは理解しているのですが、現場は現在進行形で常に進んでいます。そうやって立ち止まる余裕がないのが現状です。
また、女子にみんなの前で叱るとダメ、かと言って男子だけ叱ると当然不公平だと感じる男子が出てくる・・・。
もう考えることが多すぎてわけわかめです。
その次は以下の通りです。
ここが一番悩むところです。
やらないと困るのは本人なので、特に厳しく指導もしていなかったのですが、ここを注意しないと前回の記事でも述べた「動物化」が進行します。
要するに、目の前の欲に負けて、それに流される習慣がついてしまいます。
一方で、「ラクダを水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
という諺もあるように、結局は機会を与え続けることしかできないという見方もあります。
一方の一方で!!!
厄介なのが、「自分はやっているのに」感情です。
「自分は一生懸命授業受けているのに、何であの人は突っ伏しているんだ!」
「自分は忘れ物してないのに、何であの人はいっつも忘れているんだ!」
っていうやつです。
人は人と言えばそれまでですが、そこが割り切れないのが人間というもの。大人でもできない人がいるのに、子どもに割り切れと言うのも酷です。
そしてこの感情、一歩間違えばいじめにつながります。
ほんっとに・・・出口が見えない笑
「学校は個性を潰す場所!」
「学校は同じような人間を大量生産している!」
そんな学校批判があります。僕もそんな批判をしていました。
でも・・・今になったら分かります。ある程度の恐怖感をもって、理不尽なルーツを押し付けて、子どもを均一化することで、学校でのトラブルは一気に減ります。
それが間違っているのは分かっています。でもそれがないとイジメが生まれ学校批判、子どもの不満が生まれ保護者から批判・・・されます。
学習指導要領や教育書に書いてある理想と現実が複雑に絡まり合って、まだ力のない僕には解くことはなかなかできません・・・。
ああーー!力が欲しい!!
どうすりゃ良いんだーー!結局デッドライン、決まらなかったよ!
でもこの悩んだ経験が、今後めちゃくちゃ生きてくるのでしょうね!
それまで精々失敗しまくって、成長してやりますよ!!
I can do this all day!!!!!!
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