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Shinkansen with Pakistani

さすがというべきか、お盆の新幹線は混んでいた。

新大阪から乗れば始発に乗れただろうが、そのとき僕は京都駅から新幹線に飛び乗ったのだった。あまりに急ぎすぎていて、入り口近くの2列シート最前列に何も考えず座った。そして隣に座っていたのがパキスタン人だということにも最初気づかなかった。ひょっとしたら、ほぼ満席の新幹線で、彼の横だけが空席だったのは、彼が日本人でなかったからかも知れない。

呼吸も落ちてきて周囲が見えるようになった。「彼」が困っていたことに気づいた。どうやらスマホで音楽を聴きたかったみたいなのだが、イヤホンが壊れてしまっていたようだ。あまりに不自然な動きをしていたので、思わず声をかけてしまったのだった。

「すみません、どうかしましたか?...(そして、この人日本人じゃない!と気づく)」

その会話をきっかけに、僕はパキスタン人の彼と会話を始めた。もちろん英語で。残念ながら英語での会話を思い出すことができないので、僕の脳内で変換された日本語でこの記事は書くことにする。

とにかく積極的に話しかけられた。

「いやー、君が英語が話せる人間で良かったよ!東京まで2時間ヒマだからね。音楽も聴けなくなったし。そんなことはどうだっていい。とにかく話そうじゃないか!」

おいおい、ずいぶん親しげに話してくるじゃないか。会ってまだ5分も経ってないというのに。大阪のおばちゃんも顔負けの距離の詰め方である。

が、僕もかなり嬉しかった。当時の僕といえば、オンライン英会話を始めてわずか数ヶ月。当時は仕事で英語も全く使っていなかった。オンライン英会話は一回25分だが、パキスタン人と生きた会話が2時間無料で楽しめるかもしれない!そう思うと俄然やる気がしてきたのだった。

会話を通じて彼の素性が分かってきた。名前は"Ali"(仮名)。40代男性。妻と子供がパキスタンにいるらしい。国際的な金融企業で働いている。日本には約1年間仕事のために単身で来ている。大阪で開催されたパキスタン人の交流会に参加し、滞在先の千葉に戻る途中...らしい。

僕の英語はお世辞にもうまくはなかったが、オンライン英会話講師以外の外国人に自分の言葉が通じていたことがとても嬉しかった。そしてAliの英語も非常に聞き取りづらかった 笑 何を言っているか分からない時が何度もあり、そのたびに僕は聞き返した。Aliは言い方伝え方を変え、僕に伝わるように丁寧に説明をしてくれた。(Rの発音が特に聞き取りづらく、"Service" を「さるう゛ぁいす」と発音していたのはさすがにお手上げだった)

さてAliとの会話は当たり障りのない初対面トークがほとんどであったのだが、その中でも"Ali"に日本の印象を聞いた時の返答が未だに印象に残っている。

「日本についてどう思うかって?観光で来るならいいところだと思うよ。だけど仕事で来て分かったのは、俺たちの住める場所じゃないね。」

それは僕が初めて外国人から日本の「負の側面」を突きつけられた体験だった。それだけに衝撃も大きかった。

「まず、日本人のほとんどは英語が話せないよね。だから、俺はどこにいっても満足に会話をさせてもらえない」

「あとは食に関してはもうどうしようもない。俺たちが入れるようなレストランなんてどこにもない(宗教上の理由から)。だから俺は日本にきてから昼飯が食えなくなった。朝に家で食べて、夜に家で食べる。」

「だから日本では友達もいない、趣味もない。来る前は家族を連れてくることも考えていたけど、単身で来て正解だったよ。こんな思いをするのは俺一人で十分だからね。」

Aliとの会話を英語で思い出すことはできないけれど、"No friends" "No hobbies" というセンテンスだけは鮮明に覚えている。

そして僕がなんて答えたのかも思い出すことができない。"I'm so sorry to hear that..." みたいなことを言ったのではないだろうか。それしか返せなかったと思うし、今でもそれしか返せないと思う。

「ああ、それでも日本人のことは大好きなんだ。君も含めてね。礼儀正しく熱心で、いつも助けようとしてくれる。無償であってもね。だからこそ、外国人に配慮がない文化のことは残念に思うんだ。」

正直な感想を教えてくれたAliに感謝する。僕の日本のイメージはアップデートされた。そしてこれから気づけることもたくさんあるだろう。


もう一つ、別れ際に交わした忘れられない会話がある。

新幹線は品川を通過し、あと5分ちょっとで東京駅となったとき、Aliが急に話題を変えてこう言った。

「君は子供はいるかい?」

「まあ、どっちでもいいんだけどさ」

「子供ができたら大切にしなよ」

「子供はいつも新しい経験を運んでくれる。子供はいつも世界を広げてくれる。まさに宝だよ。」

「日本に来てからね、一番悲しかったことは、友達ができなかったことでも食が合わなかったことでもないんだ。子供を持つことが嫌だと思う人にたくさん会ったことなんだ。価値観が人それぞれなのは理解できるけど、子供一人の経済負担が●千万だとか、子供がいたら忙しくて自分のやりたいことができなくなるとか、そうした話はもううんざりなんだ。」

彼が日本のどこで、誰からそうした話を聞いたのかはわからない。彼の仕事の関係なのか、何らかのコミュニティに参加したのか。ひょっとしたら、これが人口が増え続けている国と、人口が減っていく国の価値観の違いなのかもしれないと興味深くあった。


東京駅で握手をしてお別れした。もうAliはパキスタンに帰ったのだろうか。家族と一緒に暮らしているのだろうか。たった2時間の異文化交流だったが、今でも思い出すことができるということは、やはり強い印象をもった出来事だったのだと思う。

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