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卒業式の在校生(仮題)

 木造の講堂から聞こえてくる楽器の音が気になって気になって仕方なくなったのはいつからだろう。放課後校庭でサッカーの練習をしているときも、夏休みのプールの時も気になって、気になって。

 ピアノ、アコーディオン、ピアニカ、木琴、鉄琴、ティンパニー、シンバル、それから大太鼓、小太鼓、オルガン、チェロ、コントラバス、とにかく、いろんな楽器が一緒に同じ曲を何度も何度も繰り返して演奏している。
 3年生のときから同じクラスのレンコンと鳥居が器楽部に入っているって言ってたし、夏休みも毎日練習だって話していたし、うちのクラス担任の日下先生が顧問をしていることは知っているけど、どんな部活なのかな。
 別に講堂は誰でも入っていいんだから、練習を覗いたって怒られないと思う。さっきプールが終わって、みんなは帰ったり、校庭に残って遊んだりしている。
 僕は着替えが済むとこっそり講堂へ忍び込んだ。別に忍び込まなくても、普通に入ればいいんだけど、なんか、こっそり入らないと怒られそうな感じだって自分で思い込んでたから、そうしてしまった。
 講堂には舞台があって、その舞台の天井はとても高くて、照明や幕や看板を吊れるようになっている。時々放課後に友達と登ったりかくれんぼをしたことがあるから、だいたいはどうなっているのかは知っている。舞台の両側にはたくさんの楽器が置かれていて、器楽部以外の生徒は触ることが許されていなかったから僕も触ったことがなかった。

 広い床は雨の日には体育で使われているし、体操部が練習で使っているから、普段は木の長椅子が後ろのほうへ積まれていてがらんと広くなっている。
 僕は、積まれた椅子の脇で小さくなって舞台を見ていた。
 日下先生が舞台の中央で向こう向きに立って指揮棒を振っている。4年生から6年生の部員がそれぞれの楽器を演奏している。聴いたことがある曲だ。確か「剣の舞」っていうんだ。

 練習は延々続いた。みんなすげえ。日下先生も、普段教室にいる日下先生じゃない。すごくかっこいい。

 どれだけ時間が過ぎたんだろう。練習が終わったみたいで、みんな楽器を片付け始めて、先生も楽譜をまとめている。どきどきしてきた。そのどきどきを体の外へ出してしまわないように僕は講堂の外へ出た。なんてゆうか、このどきどきが消えて無くなっちゃうのが、ものすごく勿体無いような気がしていた。

 校庭ではサッカー部とソフトボール部が練習をしている。多分プールでも水泳部が練習を続けているだろう。夏の夕方の時間の少し前、まだ太陽は熱い。セミも鳴いている。でも僕の耳には何も聞こえない。夏の熱も、僕の体の内側に比べたら秋みたいなもんだ。何時の間にか覚えてしまった剣の舞のメロディーを頭の中で何度も繰り返しながら僕は走って家に帰った。
 その日の夜、母親に注意されるまで、オルガンで剣の舞のメロディーを弾いて弟がうるさがって、喧嘩して、やっぱり叱られた。翌日から、僕は学校の講堂へ通い始めた。目的は器楽部の練習を覗き見るためだ。


 3日目のこと。僕は、いつもの長椅子の横で、器楽部の練習を見ていたら、その練習が一段落して、先生が休憩だと言って、職員室へ行ってしまった。僕はトイレでおしっこをしてまた長椅子の脇へ戻ろうとしていたら、6年生の名倉さんが女子便所から出てきた。(今、僕は、器楽部の部員の名前をほとんど全員覚えてしまっている。)名倉さんは色黒でちょっと大人っぽい感じの6年の女子で、テナーアコーディオンを担当している。同じクラスで1学期に一緒に学級委員をやったレンコンと同じパートだ。(レンコンは土屋礼子というから、レンコン)もう一人同じくラスの鳥居はアルトアコーディオンを弾いている。こいつは幼稚園も一緒だった女子で、すげえうるさい。

 名倉さんが僕を見て、こんにちわ、と言った。僕は、びっくりして、がんばってください、と、とっさに言ってしまい、顔の皮が熱くなっていくような感じがした。

「誰か友達がいるの?」名倉さんが僕に聞いた。

「同じクラスのヤツとかいるけど」

「月曜日からずっと見てるよね」ばれていた。

「音楽好きなの?」なぜか僕はアピールしたほうがいいと思った。

「幼稚園のときに、オルガン教室いってて、鼓笛隊でリーダーやってました」

「へえ、もし器楽部入りたいんなら、先生に言えばいいんだよ」

「日下先生?」

「そう、今日言ってみれば?」

「入れるのかな?」

「入れるよ」またどきどきしてきた。

「終わったら、わたし、一緒に先生に言ってあげようか」

「あっ お願いします」(うひゃあ)

「いいよ。ええと、なんていうの?名前」僕は名倉さんに苗字と名前を言った。

「先生来たから行くね、最後まで見ていてね」

「はい」

 名倉さんは舞台に向かって歩いて行って4段の階段を上ると自分の持ち場に就いた。僕はこの日、練習が終わるまで、ずっと6年生の名倉紀美子さんを見ていた。

 練習が終わった。
 名倉さんが僕を手招きして、僕はそれに従って、なんか照れながら舞台へ向かった。

 レンコンが育ちのよさを自然に表しながら僕にコンニチワと言った。

 鳥居は楽器を片付けながら、なにやってんの?こんなとこで、とでかい声で言った。

「先生、この子、器楽部入りたいんですって」

 名倉さんが僕を先生に紹介した。紹介されるまでもなく、僕は先生のクラスで1学期の学級委員をしていたから別にいいんだけど、なぜだかめちゃくちゃ緊張していて、先生に向かって正しいお辞儀の見本をやってしまった。

「え?お前、やりたかったの?俺はてっきりレンコンを見に通ってると思ってた。」

 日下先生はスポーツマンだからさばさばしていて、冗談も言うし、楽器は何でも演奏できる先生だから僕は憧れていたんだけど、レンコンがどうとか言われて、ちょっと怒れた。

 ああ、名倉さんが笑ってるし、鳥居と周りの女の子達がひゅーひゅー言っている。うせえなあ、ばか鳥居。明日蹴ってやる。

「じゃあ明日から練習に出ろ。最初っからいきなりは無理だけどとにかく参加しろ」

「僕、剣の舞、弾けます」

「え?そうか、ふーん、なに、見ながら覚えたのか?ちょっと弾いてみ」

 レンコンがアコーディオンをケースから出そうとしていたけど、名倉さんが僕の隣にいたから名倉さんのアコーディオンを借りた。

 とりあえず、主旋律を弾いて見せた。

「やるなあ、よし、じゃあ、今度の大会まで、お前もテナーアコーディオンやれ。土屋、いろいろ練習のこととか教えてやれな」

 レンコンがハイと返事をして、名倉さんがニコっと笑い、よかったね、と言ってくれた。

 お前確か楽譜読めたもんな、と日下先生が僕に聞いたから、ハイと答えた。

「えーっ!入るのー?やだなー」鳥居がいいやがった。

 うるせえ、お前なんかいじめてやめさせてやるから覚悟しとけブス。

 10歳の夏休み、わら半紙にガリ版印刷の楽譜をもらって僕は器楽部員になった。
ネクタイ
 11月に子供音楽コンクールがあって、それに出場して、市で優勝すると県の大会に行けるし、県で2位までに入ると、東京でやる全国大会へ行ける。この部は、それを狙っていた。

 翌日から猛練習が続いた。

 名倉さんは僕らのパートのリーダーで、僕の横に座っている。僕の後ろに5年生の吉尾さんがいて、その横にレンコンがいる。4人で編成されたパートだったけど、僕が入って5人になった。

 でもソプラノのパートが弱かったらしく、もう一人の6年の神谷さんがそっちへ回り、結果的にバランスがよくなったって先生は言っている。

 僕はひたすら、それこそ家にいるときも寝ても覚めても、剣の舞を練習し続けた。両親が感心して結構喜んでいる。弟は僕がいないときにテレビを独占できるからこちらも喜んでいるらしい。
 名倉さんに対する想いは、自分でも何なのかわからなかったけど、やっぱり練習が始まる時間が近づくと心臓がドキドキし始める。誰にも内緒だけど。

 器楽部には男子が僕を入れて全部で5人いる。6年生の加藤君と清水君がコントラバスという大きくて低い音の楽器を担当していて、4年の3組の正志がティンパニー、5年生の朝田君がシンバル、で、僕がアコーディオン。 他の男子の担当楽器は、なんっていうか専門家って感じで、僕だけ女子の中でアコーディオンだったからちょっと羨ましかったというか、来年は加藤君たちが卒業するし、僕はコントラバスをやろうと勝手に決めていた。

 だけど、加藤君と清水君が卒業ってことは名倉さんも卒業か。中学はまた同じになるから、僕が中1の時名倉さんは中3か。

 10月の運動会が済むと、器楽部の練習は毎日夕方6時頃までやるようになった。なんったって、あと3週間でコンクールなんだ。日下先生はなんで音楽をやっているんだろうってくらいのスポーツマンだから、練習のペースも半端じゃないんだよね。だけど、僕は毎日が楽しくて楽しくてたまらなかった。


 ある日、楽器を片付けながらレンコンに、楽しいね、と言ったら、レンコンが、楽しいねと言ってきた。

 レンコン(以下レ)「東京行きたいね」

 僕「うん」 

 レ「がんばって一緒に東京行こうね」

 僕「うん」

 レ「楽しいね」

 僕「うん、楽しい」

 僕はレンコンがちょっとカワイイなと思った。

 加藤君と清水君がコントラバスを片付けて、こそこそしながら近づいてきた。僕の横で楽譜をまとめている名倉さんの後ろに立っていきなり後ろから胸を触った。きゃっーという声を出して立ち上がった名倉さんのチェックのスカートをめくるとうおーっと言いながら舞台を飛び降りて、えっちすけっちわんたっち!と言いながら走り回って講堂の外へ飛び出して行ってしまった。名倉さんは、ばかーっと言って、落とした楽譜を拾い集めた。お嬢さんのレンコンは目と口を大きくあけたまま固まっている。僕はただ呆然としているだけだった。名倉さんはブルマを履いてなかった。


 練習が終わると肌寒く感じるような季節になってきた。コンクールまで、あと1週間。楽曲の仕上がりは順調だって先生が言っている。

 合唱部の望月先生がアンサンブルを外から見る役になってここんとこ練習に参加してくれるようになった。この学校には、日下先生と望月先生とあと2人、音楽が得意な先生がいる。

 大学でバトンをやっていた牧野先生と、声楽をやっていた中島先生。望月先生を入れてこの3人の先生は、みんなきれいで若い。しかもみんなスポーツウーマンで、どうしてこの学校の音楽の先生は体育教師みたいなんだろう、と僕はいつも思っている。この日は望月先生と中島先生と牧野先生が講堂の真ん中に長椅子を置いて、そこに座って舞台の上の僕らの演奏を聴いてくれた。

 休憩の時、牧野先生が日下先生に、本番のときの衣装はどうするのか?と聞いた。日下先生は、男子は白いワイシャツに紺色の半ズボン、女子は白いブラウスに紺のスカートと答えたら美人の3人の先生達が、えーっ?と言って、なんか当たり前過ぎませんか?と口々に言った。
 牧野先生が、例えば、なんかワンポイントっていうか、欲しくないですか?と言って望月先生が、うん、ね、先生、生徒達の晴れ舞台だし、なんか目立たせましょうよ、と言って、中島先生が、みんなこんなにがんばってるんだし、だけど、やっぱり楽しい感じにしたほうがいいんじゃないでしょうか?どこの学校も判で押したようなマジメな子供っぽい服装でくるでしょうから、そう、さっき日下先生がおっしゃったみたいな、わたし、みんなには、成績もだけど、とにかく楽しんで欲しいんです、と言った。 

 普段大人しい中島先生が、とてもはっきりと意見を言ったから、僕らはおしゃべりをやめて、先生達の方を見ていた。

 いいこというじゃん、と牧野先生が受けて、望月先生が案を出した。「例えば、男子はネクタイをして、女子は黒いハイソックス、で、リボンつけるって ゆうのってどうですか?なんか、イギリスの寄宿学校の感じ、かっこよくない?」

 日下先生が僕らに向かって、どうだ?みんな、と聞いた。

 僕らは、その服装がいいのか悪いのかわからなかったけど、なんとなく気持ちがスキッとしてきて、声をそろえて、いいでーす、と答えた。

 日曜日にネクタイを買ってもらわなきゃ。


 コンクール本番の僕らの出来は、多分100点だったと思う。全部の学校が演奏を終えて結果発表を待っていた。他の学校もみんな相当がんばっていたしうまかった。43人の部員は、みなそわそわしていた。僕は、一人だけじゃなくて、みんなで一緒に何かをやって、それを競って上に行くということが初めてだから、緊張しながら、でも、すごく楽しくてたまらなかった。

 約4分間の演奏時間が、夢のようだった。43人の音がひとつになって行く中に僕はいた。

 ティンパニーの正志はさっきから何度もトイレに行っている。朝田君は7:3に分けた髪の毛がどうにも落ち着かないらしく、ワイシャツの胸ポケットからコームを取り出しては髪をなでている。加藤君と清水君は相変わらずがちゃがちゃして、先生に頭を叩かれたり女子にうるさがられているけど、やっぱり落ち着かないらしくて、さっきから静かになっている。僕の後ろにいるレンコンと鳥居は胸の前で手を合わせて目を閉じて祈っている。名倉さんは膝の上に置かれた楽譜に目を落としている。


 結果が発表されて僕らは2位だった。

 泣いている女子部員がいる。あれ?加藤君と清水君が泣いている。6年生は最後のコンクールだからかな。レンコンは泣き出した鳥居の面倒を見ていた。レンコンはしっかりしているなあ。僕は、悔しくて悔しくて、来年は絶対に優勝するぞと神様に誓った。日下先生と望月先生が僕らに、よくがんばったと言ってくれた。そしたら僕もなんだか涙が出てきてしまった。

 楽器を片付けて会場を出ると僕らはバスで学校へ帰った。今日は日曜日だから誰もいない。楽器をバスから降ろして、堂の舞台の上に片付けて、みんな整列して、先生が挨拶した。

 6年生に拍手!という言葉でみんなが拍手をして握手をした。

 僕は名倉さんに、ありがとうございました、とお礼を言った。あとで覚え言葉だけど、このときの僕の気持ちは「切なかった」だった。


 6年生は、もう放課後になっても講堂の舞台に来なくなった。加藤君と清水君がいなくなって空いたコントラバスを、一応先生に断って僕は練習し始めた。昔ドリフの長さんがコントラバスを演奏していたのを、親に連れて行ってもらった市民会館のコンサートで見に行ったことがあるんだけど、その時の長さんはものすごくカッコよかった。僕は長さんを真似た。


 3月が来て6年生が卒業式を迎えた。器楽部と合唱部が合体して、鼓笛隊をつくって6年生を送った。指導は日下先生と3人の美人音楽先生トリオ。 牧野先生が4年と5年の女子を何人か集めて、体操部も混ぜてバトン部を作った。この日、コンクールの時に買ってもらったネクタイを締めた僕はシンバル担当だ。

 卒業式が終わって各クラスでの段取りが済むと6年生が正門から出て行く。それを鼓笛隊と在校生と先生が花道を作って送り出す。僕らは3曲のレパートリーを繰り返し繰り返し演奏した。

 本物のシンバルはすごく重たい。練習で、特に最初の頃は、夕飯の時に茶碗が持てないくらい腕がぱんぱんになった。

 6年生たちは先生と握手したり後輩と抱き合ったりしながら出て行くから結構時間がかかる。僕らはぶっ続けで1時間近く演奏する練習をしていたからまだ大丈夫だった。

 加藤君と清水君が、僕の前を通り過ぎる時、でかい声で言った。

「お前、もう俺達よりうまいから、コントラバス正志に教えて、二人でがんばれな」

「・・・(加藤君、清水君、ありがとう)・・・」


 全体の4分の1くらいが門から出た頃、名倉さんが見えた。

 シンバルを打ちながら名倉さんを見ていたら僕らのほうへ近づいてきた。

 曲と曲をつなぐブリッジのパートになるのを待って名倉さんは僕に「ありがとうね、楽しかったよ」と言った。

「・・・(あっいや、お礼は僕が言わなきゃ)・・・」

「あと2年あるんだよね、礼子ちゃんと一緒にみんなを東京連れてってあげてね」

「はい・・・(な、名倉さん、あのー・・)・・・」

「礼子ちゃん、がんばってね」

「はい」

 僕の横でベルリラを叩いているレンコンが元気に返事をした。

「ほら、ネクタイまがってるよ」

 名倉さんが僕のネクタイに両手を伸ばしてまっすぐにしてくれた。

 ちょうどブリッジが終わり曲のイントロが始まるとこだったから、僕と、なぜかレンコンも入るタイミングが少しずれてしまい、ちょっとだけ変な演奏になった。


(2001年の今頃に公開したもの。ほぼ実話)

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