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真夜中過ぎのタイトルマッチ(仮題)


「それじゃあ、お疲れさまでした。」
「今日はどうもありがとうございました。」
「いや、こちらこそ。久しぶりに楽しい飲み会でしたね。」

 僕らは居酒屋の前で、そんなやりとりや軽い冗談を言い合って三々五々散った。
 かつて一緒に仕事をした仲間達が、久しぶりにみんなで集まって飲もうということになり、電話とファックス、メールでお互いのスケジュールを調整しあって、やっと全員が集まることができたのだった。
 相変わらず皆多忙であり、従って集まる日を今日と決めたのは半分以上強引なものであったが、そうでもしなければ何だかんだで先送りになってしまうし、僕らの周りにいる人種はとかくそうした傾向にある。
 梅雨の最中であることを忘れさせてくれるほどの晴天だった昼間の真夏を思わせる暑さが、雨の降り始めにふと匂う独特の空気の湿っぽさと共に少しずつ下降していくのが肌で感じられる、そんな夜だった。
 今僕達が出てきた居酒屋は2軒目であり、普段は決して酒量が多くない僕も、今夜はリラックスしていたせいもあって、少し飲みすぎた。しかし、楽しい宴席での酒は、僕をあまり酔わせなかった。

「さてと、家は東の方だっけ?送ろうか?」

「ありがとうございます。でもだいぶ飲みましたよね。
 いいですよ私なら。近いからタクシー拾いますよ。」
 と彼女は言うだろうと思っていた。

「送ってくれますか?」

 僕は酒のせいで少しいい気分だったが、彼女の返答を聞いてなぜだか一瞬素面に戻ったような感じがした。意外な返答に不自然な態度になったかもしれないことを悟られまいと努めて自然体を装い

「うん、じゃあ車はすぐそこだから、歩いていこう。」

 彼女の名は島崎啓子。年齢は僕より8才下だ。

 啓子はこのチームで、主にデスク的役割を果たしていた。
 僕らはそれぞれ別の会社に勤め、あるプロジェクトのもとに集められたエキスパート集団であり、個性もアクも強い。従って、仕事が進む程に緻密化する業務を誰かが集中管制し、チーム全体に適時現状やそれぞれが持っている情報を収集して全員に発信し、連携浸透させたり、様々な調整をこまめに、時には大胆に行うチームマネージャー的な専任を置かなければ、最悪の場合プロジェクトは空中分解してしまうということは当初から想像できた。プロジェクトそのものは参加者全員にとってやりがいのあるものだったし、それなりに大人であったから、表立った衝突は無かったが、スタートから2ヶ月が経過した頃からミーティングなどで少しづつ険悪な雰囲気が漂い始め、それに輪をかけて、プロジェクト全体の予算調整もあり、誰彼ともなく不平不満の声が出始めた頃だったと思う。いつの間にか啓子がその管制塔のポジションに収まり、全員がそれを機能させて、結果的にこのプロジェクトは目的を果たすことができた。
 啓子は何度も泣きながらそれでも最後まで逃げることなく奮闘をし続けた。そのことは全員が認めるところであり、それまではどちらかというと目立つ存在出はなかった彼女が、今夜のような会があると自然に幹事役のようになって、チームの全員も彼女の仕切りには素直に従った。僕らが集まって飲むのは今夜で3回目だった。

 宴席の最中の楽しかったエピソードなどを話題にしながら、僕らは車に乗り込んだ。
 エンジンをかけながら僕は冗談の延長として
「3次会はどうしようか。」と言ってみた。

「2次会までは多少遠慮してただろ。幹事への労いとして旨い酒を一杯ごちそうさせてもらえないだろうか。」

 車をゆっくり前進させながら僕は努めて自然に彼女へ問を発した。

「たくさんいただきましたよ。もう飲めません。」と返されると思っていたのだが、またしても予想外の返答だった。

「どこか連れていってくださるのですか。」

 僕はドキっとしたのを悟られないように注意深く
「じゃあ、僕の隠れ家へ招待しよう。」と言い、車の進路を変えた。

 啓子はなかなかの美人である。
 例のプロジェクトで一緒に仕事をしている時にも何度か意識したことはあったが、あくまでチームメイトの枠の中のことであり、つい数分前までは僕も彼女に女を感じることはなかった。
 ちょっとした冗談にもならない一言が僕を男に変えつつあった。

 啓子と一緒に入った店は僕が今の仕事を始めた頃、当時の上司が連れてきてくれたショットバーで、イレギュラーにジャズのライブもやっている。雑居ビルの細い通路を奥へ入っていくのだが、通りやビルに看板が出ていないため、ここにこんなバーがあるとは常連以外にはわからない。
 ライブ演奏のためのドラムセットとキーボード、小さめのアンプリファイアーと譜面台が置いてあるスペースとアンティークな面持ちの茶褐色のカウンター、丸いテーブルが2つと奥まったところに6人ほどがかけられる長方形のテーブルという、決して広くはない店内スペースに2人連れのサラリーマンが丸テーブルに、夜中に暇を持て余して帰る気がなくなった感じの中年男性が独りカウンターにいた。

 僕達は、店の一番奥にある長方形のテーブルを挟むかたちで差し向いに椅子に腰掛けた。今日はライブ演奏がないようで、従ってレコードが適度な音量でかけられていた。この手の店には珍しく、今日はギターメインのライブ盤であり、カウンターの男性が目を閉じて音に酔っている風だった。

「隠れ家って、感じ、わかりました。」笑いながら啓子がそう言った。

 席に着いてメニューを渡され、そのまま彼女に渡すと
「同じものでいいです。おすすめのお酒を一杯お願いします。」

「甘いお酒は?」

「好きです。」

「バーボンは飲む?」

「いえ、あまり飲まないです。」

「好きじゃない?」

「いえ、そんなこともないと思うんですが。」

「じゃあ、飲んでみてよ。すみません。
 えっと、フォア・ローゼズのジンジャーエール割を2つ。」

 いざ、こうして啓子と差し向かいになってしまうと、何を話していいのかわからずに、僕はタバコに火をつけた。酒が運ばれてくるまでの間を当たりさわりのない質疑応答でやりすごし少し落ち着かなくなった所を甘口のバーボンの乾杯が救ってくれた。

「どう?」

「おいしい。甘いけれどカクテルみたいじゃなくて。バーボンってもっ
 と無骨な感じのお酒というイメージがあったんですけど、これはなん
 かジュースみたいに口あたりがいいですね。」

 彼女の顔が一瞬華やいだ。
 その後は僕も緊張が解けて、いつもの冗談と饒舌さが戻り、しばらくは彼女を笑わせたり、最近のお互いの仕事について半ば相談と報告、半ば愚痴というような会話が続き、日付が変わった。

「さてと、どうしようか。」

僕はそろそろ切り上げようか、というつもりで聞いたのだが、彼女は
「どうしましょうか。」と聞いてきた。

「う~ん、今日、いや既に昨日だけど、みんなで集まった時間の直前まで僕は長い会議の席にいたから、できることならシャワーでも浴びてやわらかいベッドの上でくつろぎたいなあ。」

これは本当のことだった。

「いいですねえ。わたしもシャワーを浴びてくつろぎたい。」

「では、くつろごうか。」

 自分でも吹き出しそうな陳腐な台詞が口から出てしまい、僕は少しばつが悪かったが、啓子は極自然な笑みをたたえて僕を見ていた。

「いま、シャワーを浴びてくつろいだら、僕は多分眠ってしまう。」

「眠る前に、ひと勝負しましょうか。」

「ポーカーか何かかい?」

「夜中にトランプしたいですか?」

「まさか、君とする勝負なら、横になってがいいな。」

 3軒一緒に酒を飲み、他に誰もいないという状況なら許される類の冗談のつもりで僕は言ってみた。彼女の反応を楽しむ意図もあった。

「挑戦者はどちらですか?」

「キャリアだけで言えば、君かな?」

「戦歴は年齢だけでは量れませんよ。」

「好戦的だね。」

「相手にとって不足ですか?」

「不足も何も、望むところだという感じでファイトが湧くよ。」

「眠ってしまうとおっしゃってました。」

「そうなれば君の不戦勝だ。でもそんなことをしたら僕は引退をしなければならなくなる。」

「では、引退前にお手合わせ願えるのですね。」

 いたずらっぽく笑っている彼女に対して、僕は少しだけ間をおいて

「やぼを承知で聞くけれど、真に受けていいのかな?」と訪ねた。

「今日は最初からチャンピオンの隙ずっとをうかがってました。」

「なるほど。」

 僕らは支払を済ませ、雑居ビルの細い通路を抜けて、通りへ出た。

 この若い挑戦者との勝負には、朝帰りの言い訳を忘れて集中しなくてはならないと考えている僕を想像しながら、今これを書いている。


注意:お酒を飲んだら運転は絶対にしてはいけません。

2000年からしばらくの間、当時の自分のウェブサイトに雑文をちょいちょいアップしていた。
エッセイだったり、ショートショートだったり、気が入ると連載小説だったり、ほんとのただの暑分だったり。

そのサイトはサービス側の事情でクローズしてしまったんだけれど、元のテキストはまとめて保存してあった。
それを最近見つけた。

これはその頃に公開したもののひとつで、当時連載していた小説が完結した直後に、そこに登場する女性を異なる世界に置いてみたものだ。

その連載小説は、この前にポストしたものなので、続きを読んでくださる方がいればそっちも続けていこうと思う。

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