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■ 白銀堂 ■

糸満市にある「白銀堂」に行ってきました。白銀堂は「御嶽」で、珍しく「岩穴」自体が御嶽となっています。岩穴の上には赤瓦の立派な建物となっており、岩穴には入れないように鍵もかかっています。白銀堂は大事にされているようで、撮影した日も多くの人が訪れていました。それでは、なぜ「白銀堂」と呼ばれるのか?

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昔々…
西原の幸地に「美殿(みどぅん)」という青年がいました。美殿は漁師になることを志し、糸満市に移りすみました。ところが、お金がなくサバニを買うことができませんでした。そこで、薩摩の児玉宗左衛門にお金を借りることにしました。

無事お金を借り、サバニも買うこともできたのですが…悪天候が続き漁が上手くいかず、あまり稼ぐことができません。そんな中、お金を返す日がやってきました。美殿は岩穴に隠れ、児玉宗左衛門をやり過ごそうとしたのですが、見つかってしまいます。弁明する美殿に対して怒り心頭の宗左衛門、刀を抜き出します。すると…

「意地ぬ出らー手引き、手ぬ出らー意地引き」

と、思わず叫びました。その言葉を聞いた宗左衛門は、怒りをおさめ刀をしまいました。ちなみに意味は、「怒りに負けたら手を出すな、手を出すのなら怒りをおさめよ」です。

返済の期限を1年伸ばし、宗左衛門は薩摩に帰ります。深夜に家に着いた宗左衛門、嫁を起こさないよう静かに寝床に行ってみると…なんと、知らない男が嫁と寝ています。怒った宗左衛門は刀を振り上げたその時、美殿の言葉を思い出します。怒りをおさえ刀を鞘に収めた時、嫁と男が目を覚まします。よくよく見てみると、それは宗左衛門の母でした。

母の話によると…
宗左衛門が琉球に行っていていない間、嫁が襲われることのないよう、男の恰好をして隣に眠っていたとのことでした。そのことを聞いた宗左衛門は、美殿に恩義を感じました。

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それから1年、美殿はちゃんとお金を用意して待っていました。ところが互いに恩義を感じていた2人、「返す、受け取れない」の押し問答のすえ、

「それではあの岩穴にお金を埋めて、お互いの気持ちを表そう。」

と、いうことになりました。そのことから岩穴は「白銀堂」と呼ばれるようになり、いつしか地元の聖地となりました。現在では、航海の安全と豊漁を司る神様として祀られています。また、糸満ハーレーの時には優勝チームを先頭に白銀堂へ参拝し、競技の報告をする習わしがあります。

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ちなみに白銀堂にまつわるもう1つのお話…話はだいたい一緒なのですが。糸満のマンクーという人物が、漁に出た時に難破してしまい、道具を全て無くしてしまい、お金を借りたとなっています。



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