見出し画像

『恥ずかしい』が人生の大半を占めている

くだらないテーマについて、皆であーだこーだ話し合う…いわゆる、雑談をする機会がめっきり減ってしまって

仕方がないからnoteで一人雑談。


私は昔から心理テストの類が好きなんですが、
自己分析って迷路。難解です。

人の事は分かっても、自分の事はなかなか分からない。
ありとあらゆるテストや占いなんかを通して、
少しずつ少しずつ紐解いてく感じ。

私が一番好きなのは
『岡田斗司夫の4タイプ』(マニアック)
なんですが、この他にもエニアグラムや、カバラ数秘術、ホロスコープなどなど

昔流行った動物占いや、細木数子の〇星人なんかもやりました。(全部無料枠。笑)

これだけやっていくと、
必ず出てくるなこのワード…
というのがあったり
大体の人柄や人生の目的やらも見えてきたりして

占いが統計学だっていうのもなんだか妙に納得してしまいます。


そんな事を授乳中にぼーーっと考えている時に、


自分の人生に一番ふさわしいフレーズってなんだろ?


という問いがフワリと浮かんで


結局出てきた答えが

「恥ずかしい」

でした。

小さい頃は、
特に恥ずかしがり屋で
皆の前でお話しするなんて出来なかったし
声も小さく写真で見ると笑顔も控えめ。

そもそも自分の意見を言うことはあまり良くないこと、と何故か認識していたのと
生まれ持った本質部分で「私なんか」という自己肯定感の低さがあったと思います。
(※育て方や環境に原因はなさそうです。)

小学生の時も、
習字道具やら彫刻刀やら裁縫箱なんか全部兄のお下がりで。なにが嫌って、“古い”事はどうでも良くて“皆と違うデザイン”なのが嫌でたまらなかったんです。皆同じデザインなのに私だけ…と恥ずかしかった。

中学生でも、
皆と同じが安心できて、流行りはなんだ!話題についかないと恥ずかしい!と必死になっていた記憶があります。

その後は、友だちの影響で古着にハマり、“個性派”ブームも到来して、今度は“没個性”が恥ずかしい という感覚になりました。

自分の意思や、アイデンティティをしっかり表現した方がカッコイイと思っていて、なんだか自分を大きく見せていたように思います。
あぁ、恥ずかしい。

この『恥ずかしい』という感覚は、良くも悪くも常に人目を意識している事になります。


誰も見てないよ、私のこと。

卑屈になってるわけではなく、事実そうだと思います。

人は思ってるほど人を見てない。
それでもやっぱり、人目が気になってしまうんです。

知らない場所は
おどおどしたら恥ずかしいので、念入りに下調べするし
集団で話してる時、自分が話題に上がると恥ずかしくて頭がうまく働かなくなってしまいます。

公共の場で目立つ行動を取ること(静かな車内で話したり、急に立ち上がって車両移動するとか、バスの降車ボタンを押すとか…)も苦手でした。

結婚式も、ゲストが来てくれて嬉しい、貴重な時間を私なんかの為に、招待したのは自分なのに恥ずかしい。と感情が乱れていたのを覚えています。

『恥ずかしい』

自分の人生で、この感情の出番が一番多いんじゃないかと思います。
歳を重ねるごとに、だいぶ改善されたんですけど

それでも「恥ずかしいかどうか」は今でもかなりの判断基準になっていると思います。
理屈抜きで、やっぱり生来のものなんでしょう。

皆はどうなのかな?

まぁいっか なんとかなる

めんどくさい

許せない

動きたい やってみたい

好かれたい

勝ちたい 1番になりたい

褒められたい

などなど
自分に一番しっくりくるピッタリのフレーズは何ですか?


それが実際と違くても

あー私もそう!
えーそんなこと思うの?
本当人それぞれだね〜

って。
ダラダラダラダラお喋りしたいなぁって


『新しい生活様式』
になって、全然できてないなぁって


結局それが言いたかっただけです。

#話のタネ #エッセイ #自己肯定感 #自己分析

この記事が参加している募集

#休日のすごし方

54,173件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?